Yahoo! JAPAN

香川県の町工場から世界的アクリル水槽メーカーへ 日プラ・敷山靖洋さんインタビュー

サカナト

沖縄美ら海水族館の「黒潮の海」(提供:PhotoAC)

例えば沖縄美ら海水族館のジンベエザメ。

その圧倒的な迫力を海に入ることなく見られるのは、ジンベエザメを一望できる巨大な水槽があるからこそ。当然のことながら、水槽にはたくさんの水が入るため、水槽はその水圧に耐えられるものでなければならず、製作のためには高度なアクリル加工技術が必要となる。

香川県にある水槽用大型アクリルパネルメーカーの日プラは、水族館黎明期からこうした技術を培い、これまで北米、南米、ヨーロッパ、アフリカ、中東、アジア、オセアニア、そして日本と、文字通り世界中の主要な水族館に多様な水槽を納めてきた。

会社の道程や水槽メーカーとして考える水族館の本質などについて、同社代表取締役社長である敷山靖洋さんにお話をうかがった。

※本記事は2023年5月発売の書籍『水族館人 これまで見てきた景色が変わる15のストーリー』から抜粋したものです。

日プラの歴史

日プラの創業は昭和44(1969)年のことです。

地元の四国電力さんのグループ内で、香川県の屋島という山の上に、東洋一の水族館をつくりたいという構想が出てきたようです。そのとき香川県としては、自分たちの県がハマチの養殖の発祥の地であり、県魚でもあることから、ハマチを回遊させるドーナツ型の水槽をつくりたいという構想を持たれたんですね。

そのドーナツ型の水槽は、外周16メートルで、ドーナツの穴の内径が10メートル。お客さんが10メートルの穴の中に入って、中から水槽を見回せるというデザインでした。そのとき四国電力グループの方たちが、柱のない水槽をイメージされました。

当時の大型水槽はガラスでつくるのが常識でした。今でこそアクリルを使っていますが、アクリルで水槽をつくろうという発想はあまりなかった時代なんです。ですから、ガラス水槽で構造検討を始めたわけですけれども、ガラスメーカーさんは全社ともNGを出されたんですね。それでも電力会社側はあきらめず、「ガラスでダメなら他のもので検討できないか」と言われました。

その頃、ちょうど日プラの創業者が、日プラの前身となる会社に勤務していたんです。その会社は四国電力とご縁があって、「ガラスでは、こういう構想が実現しない」ということで頭を痛めているという話を聞かされ、「あなたたちの技術で何とかならないか」という相談を受けたのがそもそものきっかけでした。

その会社では、アクリル材を接着剤でつないで強度の高いアクリル加工品をつくる技術を開発していましたが、なかなかその素晴らしい技術が利益に結びつかないというジレンマを抱えていました。

そういった折に、この話をいただき、私どもの創業者が「これこそ自分たちが開発した技術を生かしてもらえる、社会貢献度の高いビジネスになるんじゃないか」という閃きを得て、「やりたい」と手を上げたんですね。

しかしながら、その会社の役員たちは、構造的にリスクがある仕事をいきなり請け負うのはいかがなものかと躊躇しまして。

そこで私どもの創業者は、「いや、これこそが自分たちが生き残っていく大きなチャンスじゃないか」と考えました。「この仕事を持って独立させてほしい」と相談し、円満退社して、自分の会社をつくった―― というのが日プラの始まりなんです。

水族館に関わる人たちがこだわりを語り尽くす、書籍『水族館人 これまで見てきた景色が変わる15のストーリー』(提供:サカナト編集部)

そのときに賛同してくれた職人さんが当時2名いたそうなんですね。ですから創業者と、職人2名がいて、それに事務員さんとかを入れた6名の従業員で小さな町工場をつくったわけです。そこで初めて手がける仕事が屋島水族館の回遊水槽ということになりました。

当時生産されているアクリルの中で、最も大きい原板が1.8メートル×2.4メートルで厚み15ミリというものでした。ところが直径10メートルの円筒をつくるためには、その厚さ15ミリの板では水圧に耐えられないということが、計算上分かりました。ですから、その15ミリの板でどうやったら大きな水圧に耐えられる水槽をつくれるか、ということになります。

そうするともう貼り合わせるしか方法がない。

ちょうど私どもの創業者が、強度や透明度を落とさずにアクリル板を貼っていく技術を持っていたわけです。小さなアクリル板を貼り合わせるのであれば、当時日本でも何社かできたと思いますが、最大級の板を、泡も入れず綺麗に貼り合わせるというのが、我々の創業者の開発した特殊な技術でした。

それを応用して、つまり1.8×2.4メートルの板を重ねて厚くしていき、それを熱で曲げて曲面にしたものを並べることによってハマチの回遊水槽をつくりました。

たった6人でしたが、屋島水族館の仕事を見事成功させました。

その後、高知県の宿毛(すくも)にあった水族館からも引き合いがあったので、そこも当社のアクリル技術を生かして水族館の水槽をつくりました。ゆっくりではありましたが、そういった実績を一つ一つ積み重ねていくうちに、声をかけていただく機会が増えていきました。

だんだん水族館業界の中で大型水槽が求められるようになってきた頃でしたが、やはり大きな水槽はガラスメーカーさんだと難しいところがあったからです。

モントレーベイ水族館で起きたドラマ

会社の歴史の中で、一つの転機となったのがモントレーベイ水族館の仕事です。

私どもは、アクリル水槽の技術としては世界でも最先端のものを持っていたのですが、いかんせん当時は四国の町工場という立場でした。ですから、東京に本社のある一部上場の大企業と競合すると、どうしても二番せんじに甘んじてしまうところがありました。これは技術力の差というよりも、はっきりと企業力の差です。

そんな折、アメリカのモントレーベイ水族館が世界一の水槽をつくるということで、その水槽つくりを日本の大手メーカーとアメリカのメーカーの2社で競合していました。

アメリカの水槽メーカーの特徴は、我々のように何枚ものアクリル板を貼り合わせて大きな水槽をつくるのではなく、1個の巨大なアクリルの塊を水槽にして、それを納めるという形でした。ですからアクリルの接着技術が進化していなかったわけですね。

ところがモントレーに求められた水槽は、幅16メートル、高さ5.2メートルもあり、それを1個の水槽としてつくっても、とても運べない。当然アメリカのメーカーは、水族館側から「アクリルを現場でつなぎ合わせてつくる方法はできますか」と質問されました。そこで、アメリカのメーカーがこのように答えたそうなんです。

「日本の日プラというメーカーがすごい接着の技術を持っている。自分たちはそこを下請けとして提供するから安心してほしい」

モントレーベイ水族館としては、急に日プラの名前が出てきたので調べてみたところ、どうも確固とした技術を持った日本のメーカーで、水族館の大水槽に携わってきたらしいと。

そしてある日、我々のもとにモントレーから手紙が届きました

そこに書いてあったのは「あなたたちが大型のアクリル水槽をつくる技術を持つ会社と聞きました。あなたたちはアメリカの市場に興味ありませんか」という質問だったんです。もしアメリカの市場に興味があれば、モントレーのプロジェクトに参加しませんかと。

我々にしてみたら、そんなの天から降ってきたとんでもない朗報です。アメリカの市場に興味がないわけはありません。「お客さんから我々の技術を求めていただけるのであれば、誠心誠意対応させていただきます」とお返事しました。すると、「あなたたち単独で来てください」というお招きをいただいたんです。

我々がモントレーに乗り込んでいくと、設計人から物凄くたくさんの質問を投げかけられました。それに対して、我々も一つ一つ資料をそろえて、彼らに説明するため何度も通って対応したわけです。

もう必死でした。

ところが、競合していた他メーカーというのが、そのへんの対応があまり良くなかったそうなんですよ。それに対して、日プラの対応はずば抜けて良かった。こちらの質問に対してかゆいところに手が届くような対応をしてくれた。何よりもアクリルのテストをやったときに強度が一番だったと。

最終的には、3社で入札することになりました。

そのとき、実は私どもは2番目の価格だったんです。一番はアメリカのメーカーだったそうです。その金額の差は全体の10~15%くらいあったと思いますが、それは輸送代の差でした。アメリカのメーカーはトラックによる国内移動だけで済むわけですが、こちらは太平洋を船で渡っていかなくちゃいけない。

当然輸送費が上乗せになってしまいます。ですから、最後の打ち合わせをする際、その差分を値引きするつもりで行ったんです。

ところがモントレーベイ水族館の方は「あなたたちから買うから値引きの必要はない。差額の15%はあなたたちの技術料だ」とおっしゃったんです。「私たちはより良い製品を買うんだから、値段が15%ぐらい高いのは当然だ。責任を持って相応の品質のものを納めてほしい」と。もう日本人のビジネスの中では考えられないようなコメントでした。

そう言われると、我々物つくりの人間としては、負けるわけにいかないじゃないですか。だからもう採算度外視ですよ。とにかく最高のものをつくって乗り込もうと

モントレー水族館というのは、世界でも1、2を争う名実ともに素晴らしい水族館でした。その水族館がアメリカで実績もない小さな日本の会社に、世界最大のアクリル水槽を発注した──そのニュースは業界の噂としてかなり広まったそうです。

「モントレーベイ水族館は大丈夫なのか。そんなところに任せていいのか」と、かなり冷やかされたりもしたそうで、私どもが現場に乗り込んだときも、「我々は自分たちで確かめて、あなたたちの仕事が最高であると確信している。その期待を裏切らないでほしい」と発破をかけられました。

我々は「任せておいてください」と言って、ついに水槽を完成させました。

新しい水族館が完成したとき、アメリカ中の水族館の館長さんたちがオープニングセレモニーに来られました。大水槽の前にお客さんがみんな並んでいます。そこでモントレー水族館の当時の館長さんが、除幕式のような感じでテープカットをして、水槽の前のカーテンが降りたのですが、そのとき館長さんが言ったのが、「私たちの選択に間違いはなかった。これが日プラのテクノロジーだ」という言葉でした。

カーテンが降りると、そこには柱のない幅16メートル、高さ5.2メートルの大きなアクリルでできた水槽があり、もちろん水が入ってサカナが泳いでいました。

当時、アメリカでは、それほど大きな水槽であれば柱がないとできないというのが常識でした。それなのに、目の前に柱のない巨大なアクリル水槽がドンと現れた。そこからですね。「こういうものができるのなら、うちの相談にも乗ってほしい」という話がいくつも入り、どんどん仕事が舞い込んでくるようになりました。

そうして、5年、10年と経っていくうちに、アメリカだけでなくヨーロッパやアジアからも引き合いが来るようになって、気が付いたら市場が世界一周していました。世界で何十ヶ所という実績を積んだあたりから、日本でも水族館ブームがまた始まったわけです。

平成2年の頃から毎年、日本で大型水族館が生まれた時代がありました。そういった大きな水族館をつくるにあたり、館の方は世界の水族館の視察にも行かれたそうです。そこにある巨大水槽を見て、「この水槽はどこがつくったんでしょう」と聞くと、「日プラという、あなたたちの国の会社だ」と言われたそうです。そこで大手の設計技術者の方から、自分たちの計画にも相談に乗ってほしいという相談があり、ご説明にあがると熱心に話を聞いてくれました。

モントレーベイ水族館の仕事をする前、私どもが二番せんじに甘んじていた頃は、技術の話をしてもあまり聞いてくれなかったのですが、世界を一周して帰ってくると向こうから声をかけてくれて、採用してくれるわけです。そうして、日本でも仕事がつながっていき、「沖縄に世界一の水族館をつくろうじゃないか」ということで、ギネス記録にもなった沖縄美ら海水族館の〈黒潮の海〉の水槽ができました。

沖縄美ら海水族館の「黒潮の海」(提供:PhotoAC)

美ら海水族館のジンベエザメを入れる巨大水槽の正面パネルには、実は初期の計画だと全部柱が入っていたんです。高さ8メートルの柱が、2.5メートルの間隔でずっと並ぶ構想でした。

ただジンベエザメって、7、8メートルもありますよね。それが柱のある水槽の中を泳ぐとなると、檻の中を泳ぐようなイメージになってしまいます。どうしても見づらいわけです。その見づらい水槽で世界一を名乗っても、単に水量が世界一というだけであって、「小さい窓を並べているだけじゃないの」と言われてしまいます。そこで我々の方から設計事務所に、「この柱を全部取っ払いましょう」というご提案をしたんです。

「そんなことができるの」「全部取っ払うと板厚は何ミリになるの」といった質問が出て、計算してみると、厚さ60センチにすれば大丈夫という結果になりました。厚さ60センチのアクリルは世の中に存在しません。それまで扱った一番厚いパネルでも、30センチほどでした。そこで「30センチ厚のアクリルを2枚重ねて60センチをつくります」と説明しました。

ただ実現にあたって問題も起きました。

それまでの工程だと、何枚ものアクリルパネルを現場に寝かせて、それを1枚の大きな板になるようつなぎ合わせ、最後に重機で起こして設置していました。ところが美ら海水族館の大水槽のパネルは、1枚の大きなアクリル板にすると130トン以上になってしまいます。重機を使っても重すぎて起こせないわけです。アクリルを接着をするのに温度を管理しないといけないし、雨風も入れてはいけないので、天井を開放して作業するのもダメです。

そこで別の工程を考えました。厚さ60センチ、高さ8.2メートル、幅3.2メートルのアクリルを1枚とすると、だいたい20トンです。20トンであればトラッククレーンを水槽内に入れて、一つ一つ立てることができます。一枚ずつ立てて、立てた状態で接着していく── そういう技術をここで開発しました。最終的には7枚の巨大なアクリル板を現場でつなげました。

ぶっつけ本番でやるのはあまりにも怖かったので、我々の工場で大きなアクリルを立てて接着する練習をしておきました。貼っては失敗し、貼っては失敗し…… それはもう何度もやりましたね。その後、「このやり方、この手順、この温度でやれば失敗しない」と確信を持てたところで、美ら海水族館で実行に移しました。

書籍『水族館人』のカバーにはジンベエザメが描かれている(提供:サカナト編集部)

我々は、ある段階から加工技術の機械化をやめたんです。工場の機械がないと作業ができないということでは、いろいろな現場に対応することができません。ですから道具は人間の手で持って運べるものを基本として大きな水槽を作ろうじゃないか、という発想に変えたわけです。

日プラの職員たちには、「あくまで工事現場でできることの中で、技術を構築していきましょう」と言いました。そういった発想の中で培ってきたのが、我々の技術なんです。

その技術が確立してからは、どの国のどの場所でも大型水槽をつくれるようになりました。例えば気温が50度にもなるサウジアラビア、気温がマイナス30度にもなるロシアや中国北部、そういうところでも同じ品質を安定して提供しています。

いくら大手メーカーが資本力を発揮しても、この技術は絶対に生まれてこないです。だからライバルメーカーがなかなか出てこないというところもあるかと思います。

大きな水槽をつくって、初めて水を入れる瞬間には、基本的にうちの社のものも立ち会っています。そのときはまあドキドキしますよ。

壊れる心配はしていませんが、水圧がかかってきますから、アクリルがどんどんコンクリートの躯体に馴染んでいくんですね。そのときドンッという、かなり大きい地響きのような音がするんです。ゼネコンの監督さんや水族館の方はまず逃げますね。

少しずつ水を入れていくことで、ミシミシ…… パキッ…… ドドドッ…… ドン! という音が出るのは、水槽が躯体に馴染んでいる証拠です。小さな地震が積み重なることで、大きな地震を発生させないようにしてるのと同じですね。だからうちの前社長などは、その音が「子守唄に聞こえる」と言っていました。

まあでも、あんな音がしたら身がすくみますよ、やっぱり。

 水槽のアクリルをカーブさせると……

アクリルの光の屈折率というのは、実は水にとても近いんですね。

ガラス水槽だと、屈折率が水と変わるので、レンズ効果が高くなります。ですから、ちょっとでもガラスが湾曲すると、中の生きものがかなり歪ゆがんで見えてしまうんです。その点、アクリルの屈折率は水に近いので、フラットなアクリル水槽でサカナを見ると、それほど大きさが違って見えないんです。

それをカーブしたパネルにすると、やはりレンズ効果が出るので、中を泳ぐ魚は大きく見えたり小さく見えたりしてくるわけですね。そこはもうアクリルの持っている特性なので、技術的に解決しようとしても難しい。

でも、気持ち悪くなるような水槽をつくっちゃ駄目なわけですよね。

私どもはよく設計段階で、「カーブパネルをつくるのであれば、同じアールにしましょう」と言っています。そうすると、泳いでいる途中で大きくなったり、小さくなったりすることがなくなって、それほど違和感なく見えるからです。

建築設計事務所の先生や発想豊かなオーナーさんから、「これだけじゃつまらないからS字型にしよう」「A型ってどうなの」「フラットにしておいて、最後にカーブをつけてみたい」といった質問やリクエストが来るんですけど…… まあ技術的にはつくれます。

ただ、例えばフラットな面からカーブして曲がるところ、そのフラットとカーブの境目ですよね。そこでサカナがビヨーンと伸びてしまったり、逆に縮んでしまったりします。そういうのって何か興ざめするんですよね。

もう一つ避けるべきは、ダイヤモンドのような多面体の水槽です。

円筒水槽ならいいんですけど六角柱とか八角柱の水槽になると、中のサカナがおかしな見え方になります。一匹が二匹に見えたり、途中で消えてあるところからポンと飛び出したり。ひどいのになると魚が前後に切れて見えたり。そういうのはもう「水族館でサカナを見る」という本質から外れちゃうわけですよね。

アクリルからレンズ効果をなくすことはできません。ただ、それをできるだけ自然に見せるデザインや形状はあるので、そこのところは経験からアドバイスさせていただくよう努力しています。

新屋島水族館での挑戦

最初に申し上げたように、屋島水族館は私どもの会社の原点になります。

それが15年ほど前に「もうお客さんも減って収入もないし、老朽化した建物や水槽の修理もできない。残念ながら経営をクローズしたい」という相談を受けました。

屋島水族館というのは、香川県の子どもたちにとって小学校の遠足で行くところです。中学校になれば友達同士で行きますし、高校になればデートで行ったりもします。結婚して子どもが生まれれば、小さい子どもを連れて行く場所でもあります。香川県民であれば、あそこの水族館に行ったことのない人はまずいないと思うんです。

実はそれに先駆けて、香川県の栗林公園というところにあった栗林動物園が閉園になっていました。動物園の閉園に際して、行政も民間も誰も努力せず、ただ見ていただけで終わってしまったんです。それから香川県の子どもたちはどうしているかというと、愛媛県の戸部動物園や徳島動物園に行ったりしています。

我々は県外まで足を運ばないと動物に触れ合えない県民になってしまったわけですよ。これは香川県民にとって、ある意味不幸なわけです。

さらに屋島水族館がなくなったら、動物園も水族館もない県になってしまいます。そんなところで育つ子どもは幸せなのかと考えてしまいまして……。

私の中でも栗林動物園の閉園のときに何も手を出さなかったことについては、すごく悔しい思いがあるというか、反省をしてる部分がありました。それが水族館の閉園という話になると、我々にとってあまりに関わりが深い。そこで「では、自分たちが引き受けましょうか」という話になったわけです。

日プラであれば、水槽の修理なんて自分たちでできます。私どもは建築関係の資格も持っているので、建物の修理についても、多少なりともできるわけです。日プラは世界中の最先端の水族館に携わってきたノウハウを持っていますから、いろんな形、いろんな見せ方の水槽をつくってみて、屋島の水族館に並べてみようと。

今、新屋島水族館は、サカナがそこを泳ぐとどういうふうに見えるのか他の水族館にも見てもらおうという、ショールームのような使い方もしながら、地元に水族館の火を消さないように運営しています。

例えばその中に<巨大ドーム水槽>というものがあります。これはある意味自虐ネタなんです。一枚の板を風船のように膨らますドーム成形という技術があるんですが、その技術を使って世界最大のアクリル原板で直径3メートルの半球水槽をつくってみました。

それは物凄いレンズ効果があるんですよ。普通の伊勢エビを入れたりしていますけど、外から見ると1メートルくらいの巨大エビがいるように見えるわけです。ただ同じアールになっているので、歪みなどの違和感はない。まさに虫眼鏡で観察しているような状態ですね。

ただ、やはり水族館というのは、水槽というハードが主役ではなく、中の生きものたちというソフトが命です。

その生きものに携わっている飼育員たちの仕事というのは、本質的に言うと、サカナを飼育したりショーのパフォーマンスをやったりすることではなくて──それもありますが、一番は見に来てくれたお客さんとのコミュニケーションだと思うんですよね。

サカナはものを言いませんから、どんなに珍しい貴重な魚が泳いでいても、知識がないとただのサカナにしか見えないわけです。だけど、そこで飼育員が間に入って説明することで、このサカナの特徴は何か、このサカナがいかに貴重であるか、今後生き延びていくためにはいかに周りの環境が重要なのか、そういうことを伝えることができるんです。

来てくれたお客さんに対して面白おかしく、興味深く、教育的なお話をして、「水族館に来て良かったね。また行きたいよね」とか、「学んだことをきっかけにいろいろ調べて勉強してみよう」とか、そういうきっかけをつくるのは、飼育員の一番の役割だと思います。

ですから新屋島水族館では、そういったところを徹底的に社員教育しています。

世界の水族館に携わることでいろいろな経験を積み、一歩下がったところで、いかにソフト、つまり生きものが大事であるか気付くことができました。自分たちの小さい施設で実験的に水族館の本質を表そうとしている、それが今の新屋島水族館です。

【プロフィール】
しきやま・やすひろ:香川県のアクリル水槽メーカー、日プラ株式会社代表取締役社長。創業者、敷山哲洋氏を父として同社の運営に長く携わる。日プラが手がけた沖縄美ら海水族館の大水槽は2003年度ギネス記録に認定。その後も、ドバイモールや中国チャイムロング横琴海洋王国の水槽でギネス記録を更新。同社のアクリルパネル製作に関する独自技術を引き継ぎ、現在も世界中の施設で新たなアクリルパネルづくりに挑戦している。

※本記事は2023年5月発売の書籍『水族館人 これまで見てきた景色が変わる15のストーリー』から抜粋したものです。ウェブへの転載にあたり、一部改行や画像を加えています。なお、日プラ株式会社は2023年12月1日に社名を「NIPPURA」に変更していますが、本記事では書籍掲載時のままの表記としています。

(サカナト編集部)

【関連記事】

おすすめの記事