稲垣吾郎、ライフワークの『No.9 -不滅の旋律-』で4度目のベートーヴェンに挑む心境を語る
2015年に初演され、再演を重ねてきた『No.9 -不滅の旋律-』が帰ってくる。楽聖ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンはいかにして珠玉の名曲を生み出したのか——。その人生をたどるこの作品をライフワークとしている稲垣吾郎に意気込みを聞いた。
ーー4度目の上演が決まってのお気持ちは?
この作品、この役はずっと演じ続けていきたいとこれまでも何度も言ってきましたが、やっぱりうれしかったですね。前回は2020年から2021年にかけての公演で、何とか最後まで完走することができましたが、本当はこんなに時間をあけずにまたやりたかったんです。3年くらい経ちましたし、キャスト一人、音楽一つ変わるだけでも舞台って本当に変わるので、鮮度を保ちながらまた新しい気持ちで演じることができるんだなと思うとすごく楽しみですね。
ーーベートーヴェンというかなりエキセントリックなキャラクターを演じ続けるお気持ちとは?
あまりにも偉大な人だし、作品によって解釈、描かれ方もさまざまですよね。この作品に関しては、中島かずきさんの脚本、白井晃さんの演出の中で、「交響曲第9番」を作るまでのさまざまな話が描かれていく、そのラインに沿って、僕なりのベートーヴェンを演じています。自分にちょっと引き寄せながら演じているところもありますね。演じても演じてもつかみきれない役なんです。今回、久々に台本を読んでみたら新鮮な気持ちになれて。舞台上では、心臓をドキドキさせて、心拍数を上げながらセリフを言っているから、そういう状況にならないと演じているときの感覚を呼び覚ませないと思って、ランニングマシンで走りながら台本を声に出して読んでみました。(ベートーヴェンは)すごく起伏が激しくて、あまりにも自分の中にないエキセントリックな部分がある人なのに対して、僕はどっちかというと静かに穏やかに生きたいと思っている方なので、だからこそ演じていて面白いというのがあります。でも、実は自分の中にある部分もあるのかなって最近思います。
今回の公演中に100回以上演じることになるんです。役にナルシスティックにこだわりすぎるより、観終わったときにお客さんに喜んでいただきたい、最後に「第九」を聴いて感動していただきたいという思いで取り組んでいます。俳優の仕事で100回も同じ役を演じるってなかなかないことですよね。飽きちゃう人もいるかもしれないけれども、僕は何か、やってもやっても完成できないという思いがあって、舞台に関してはそういう道、一つの役を演じ続けるということもあってもいいかなと思っていて。観る人の心も時代も変われば、また新しい作品になっていきますしね。
ーーそこまで演じ続けたい作品、役の魅力とは?
やっぱり、あまりにもベートーヴェンの音楽が偉大だからかな。彼が作り出したすばらしい音楽にふれていたいし、そのすばらしさを伝えるということに参加できるんだったら、ということが一番大きいかな。キャラクターもすごく好きですね。偉大だけど、人間くさくて、意外にわかりやすさとチャーミングさがあって。何か、普通の人間ってそんな風にむき出しになれないなと思うんですよ。何に対しても全力で、裏がないというか。人間関係も、家族、女性に対してもそうですし、もちろん音楽に対しては一番そんな感じだし。それゆえに正直すぎて他人からは誤解されてしまったり、偏屈に思われてしまったりということはあると思うんですけれども、決して矛盾はしていない。何かそんな風に生きられたらいいなって思うときがあるので。何かそう思いません? そうむき出しに生きられないでしょ?
ーー稲垣さんは、いい意味で割とむき出しに生きていらっしゃる方かなと思っていました。
マイペースっていう意味ではね。むき出しっていうのは、言いたいことを、あ、でもまあ僕も言ってるか。そう言われたらもう何も言えないよね(笑)。でも、わからないです。ベートーヴェンが本当はどういう人だったかわからないから。エピソードによっては人格がいろいろ浮かんでくるし。若いときは社交的だったけど、途中から、難聴を知られたくないとかがあって、そこから人づきあいが大変になって、誤解されるようなことが起きていったということもあると思うし。その苦しみって我々には想像つかない。難聴じゃなかったら、意外とバランス感覚のいい、社交的な穏やかな人だったかもしれない。エピソードだけを断片的に読んだりしてもわからない。でも、すごく魅力的な人物。親近感を覚えますね。自分と双子のようにも感じたり、でも、彼がやってきたことを考えると、それはおこがましいだろうって思ったり。偉大な人だけど、近くにも感じる。そのくらいじゃないと演じられないよね。
ーーこの作品の中で感じるベートーヴェンの魅力についてはいかがですか。
面白くてコミカルなところ、滑稽なところもありますし、偉大だなと思うところもありますし。好きなのは、ハイリゲンシュタットの遺書のエピソードかな。結果的には過去の自分との決別という意味での遺書だったんだけれども、捉え方によっては死が自分を救ってくれるという感じもある。難聴によって音楽家としてどんどん苦しめられていって、その絶望感ゆえに死ぬことを考えた。でもやっぱり、生涯かけて情熱をもって自分の音楽を作り続けていくという決意があの文書にこめられているのかなと。そこを周りがちょっと誤解して遺書なんじゃないかなって思ったのかなと僕は思うので。ウィーンに行ったときにベートーヴェン・ハウスに行って、ハイリゲンシュタットの遺書も見たんです。耳が聞こえなくなってからも、絶望の中であんな歓びの曲を作れるって、すごいですよね。コーヒー豆のエピソードとか、何十回も引っ越ししたとか、そんなエピソードも面白い。家族や甥のカール、自分の血を残すということに執着のようにこだわるあたりとかも。僕なんかそういうことをあまり考えたりしないんです。魅力的なエピソードがたくさんありますけど、なんだかんだ言って優しいですよね、ベートーヴェンさんって。
ーーエキセントリックなキャラクターを演じる機会が多いかと思うのですが、ご自身のパブリック・イメージと実際のご自分との違いを感じたりしますか。
それをすごく楽しんでいるっていうのがありますね。不思議ですよね、そういうイメージって。どこでそういうのが作られていったのかなって思うし。でもやっぱり、何十年もこうやって仕事をさせてもらって、その中でイメージっていうのは作られていると思うし。自分から見て正しいこともあれば、イメージが先行してるな、ホントは違うのになと思うこともあったり。でも、そういうものですから、この世界。我々みたいな仕事ってそういうイメージによって作られていくものだし、それを面白がらないとやっぱり自分をプロデュースはできないですよね。自分がどう見られているかって常に冷静にわかっていないと。客観的に見られないと、自分の面白さにも気づけない。だから、いろんなイメージをもたれて、この役を僕に演じてもらおうと思ってもらえるのはすごくありがたい。でも本当に最近、かなり偏った役、屈折した役をいただくんですよね。不思議です。でも、何かわかるんですよね。それを僕が演じたらきっと面白いんだろうなというのが(笑)。けっこう自分の中にそういうところがあるんだと思うんですよ。かなり屈折してますよ、やっぱり。まあでも屈折してるくらいの方が演じていて面白いと思うし。やっぱり何かないとね。心に闇というか。ベートーヴェンもそういうところがあると思いますしね。
ーーベートーヴェンを演じて影響を受けたりということはありますか。
どうだろう、あるかもしれないですね。でもやっぱり、自分は違うなと思ってるから影響されないのかな。あんな風に生きられないよね。でも、ああ生きてみたいなとも思う。何かこう一つのことに対して、周りが見えなくなってしまって、その世界に没頭して作品を作り続けるみたいなのは憧れますけどね。あんまりそうならないんですよね、結構バランスよくなっちゃうというか。職人気質というか、そういう人に憧れるんですけどね。楽しそうじゃないですか、そういう人生。
ーー演出の白井さんについてはいかがですか。
白井さんとの仕事は楽しいですね。自分だったらもう諦めてしまうようなことを、白井さんという人は、何が何でも諦めないから。本当にそこは徹底しているので、そのエネルギーにいつも影響されますし、白井さん自身がベートーヴェンみたいな人ですから。止まることなく走り続けている白井さんの演劇脳は本当にすごいなと思う。この作品も、90回以上演じていて、もっともっと進化してって白井さんが言ってくれる。ある程度完成されているのに、それでも毎回、ここは新しく変えた方がいいとか、完成したものをもう一回破壊してからまた構築していこうとするところがすごい勇気だし。だからやっぱりどんどん進化するし、鮮度も保てるのかなと思うと、頭が上がりません。カンパニーみんな白井さんのこと大好きだし、その一体感もすごく心地がいいし。
ーー稲垣さんと白井さんには穏やかさという共通点があるようにも感じます。
それは光栄ですけど、どうなんだろうね。白井さんの本当のところはわからないから。そこに入り込むのは、家族でもないし、失礼だから。僕、距離感ってすごく大切にしたいと思うので。関係性が深いとか浅いとかの問題じゃなくて、お仕事をする人間として入り込んではいけないところって絶対あると思っていて。白井さんもそういうところのある方なので、その、人との距離のとり方みたいなものがもしかしたら似ているのかもしれない。一つのものをどんどん磨き上げる、終わりのない旅を追求していきたいというところもすごく似ているのかもしれないですね。みんなそんな白井さんに喜んでついていっていますしね。舞台が始まってからも、毎公演客席で観て、楽屋に来てくれるんです。来られなかったらVTRを観て、ダメ出しじゃなくてノートって今は言うんですけど、それを毎公演くださって。そうやって見守られながらお芝居をしていたら、やっぱり俳優さんは嬉しいですよ。オーケストラでいうところの指揮者のような存在がいないとね。オーケストラも、指揮者がいなくても演奏はできるとか言いますけど、やっぱりそこに指揮者が立っていることが大切ですよね。それをすごくわかってくれていて、いてくれる。すごく安心感があります。僕、舞台が好きだから、白井さん以外の演出家の方でも、毎日いたら嬉しいかもしれない。それで白井さんは毎日絶対何かノートがあるんですよね。だからこっちもとことんやってやろうみたいな気になる。さらにいいものをずっと追求し続けているし、そういう芸術を作っていく作業に僕自身憧れるし。すごくスピード感のある中でいろんな仕事をこなしていかなければいけないというところで一生懸命やってきましたけど、舞台の世界だと一つのことをずっと追求し続けられる。それが僕の気質には合ってるかなって。新鮮かつパワーアップした『No.9 -不滅の旋律-』を年末年始にお届けできると思うので、楽しみにしていてください。
取材・文=藤本真由(舞台評論家) 撮影=武田敏将