地下鉄サリン事件 30年 「忘れてはいけない日だ」 多摩区在住 佐藤康晴さん
1995年3月20日、当時28歳だった佐藤康晴さん(58)=多摩区登戸在住=は、勤務先である大手町に向かうため、千代田線に乗っていた。
時刻は9時前。霞ケ関駅手前で車内放送が流れた。火災があり、同駅には停車しないことを伝える内容だったという。
「停車するはずの駅に停まらないのは、人生で初めてだった。大丈夫だろうかと不安になった」と振り返る。「何があったのだろう」と霞ケ関駅を通過するとき、車内からホームを見た。普段は通勤ラッシュの時間帯だが、「ホームには会社員やOLなどの姿はなかった。見えたのは、救急隊員や消防隊員が慌てている、右往左往しているような姿だった。また、煙はまったく見えず、火事ではないのではないかとも感じた」と佐藤さんはその時の記憶を話す。その後、佐藤さんは勤務先に到着。テレビでは臨時ニュースが流れていた。八丁堀駅の出入口付近で、多くの人が横たわりぐったりとしている映像が目に飛び込んできた。当時は結婚したばかりだった。妻は勤務先に向かうために同駅を利用していた。他の場所にいた上司からも佐藤さんの安否を確認する電話が入った。「広範囲で、何か大きな事件が起こっているのか」と心配になり妻の勤務先に電話を入れた。「何かあったの?」。妻は無事だった。「心から安心した。でも、もし少しでも時間がずれていたら被害に遭っていたかもしれないと思うと、恐ろしくなる」と佐藤さん。会社の同僚にも被害に遭った人はいなかった。
その後しばらくして「地下鉄サリン事件」の内容が分かってくると「日本で無差別テロが起きたことに驚いた」。佐藤さんは約20年前から3月20日ごろになると、個人ブログでこの日経験したことを発信している。
「1995年は阪神・淡路大震災も発生した年。天災による被害も悲しいが、人の手によって起こされたサリン事件。こんな悲しい事件は二度と起こしてはいけない。体験した私には、後世に伝えていく責任がある。私にとって、3月20日は、忘れてはいけない日なのです」