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【ミリオンヒッツ1995】華原朋美「I BELIEVE」1990年代を駆け抜けた朋ちゃんの輝き

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1995年10月11日 華原朋美のシングル「I BELIEVE」発売日

リレー連載【ミリオンヒッツ1995】vol.10
I BELIEVE / 華原朋美
▶ 発売:1995年10月11日
▶ 売上枚数:102.8万枚

“TKムーブメント” の中心にいた華原朋美


1990年代、小室哲哉は爆発的な勢いでミリオンヒットを連発していた。そんな “TKムーブメント” の中心にいたのが、安室奈美恵と華原朋美であろう。CD売上の面においては、trf(現:TRF)やglobeも引けを取らないが、楽曲のみならず、ファッションや趣味嗜好など文化的側面でもその影響力を波及させたという点で、安室と華原は特別な存在であった。

沖縄アクターズスクール出身で、歌手として成功するという強い意志をもって上京した安室奈美恵に対し、きらびやかな芸能界に憧れアイドルとして活動していた華原朋美。音楽に関する特別な教育を受けた経験はなかったが、その高音域での力強い歌唱は、それまでのポップスや歌謡曲にはみられなかったもので、新鮮な驚きをもって受け入れられた。

また、自然体で等身大なキャラクターも、同世代からの支持を集めた。同じく女子たちの憧れであった安室が、スタイリッシュで歌唱力も高い歌姫であった一方で、少し幼さの残る天真爛漫な “朋ちゃん” は身近で親しみやすく、その後彼女が出演した『桃の天然水』のCMは “ヒューヒュー” というキャッチフレーズと共に大ヒット。また、牛丼の “つゆだく” を世に広めたのが華原であるというのも、よく知られた話だ。

「I BELIEVE」が誕生したきっかけは?


「I BELIEVE」は、1995年10月にリリースされた彼女の2枚目のシングルで、この曲の大ヒットによって華原朋美は人気歌手の座を確固たるものとした。一途な恋心を真冬の情景に映して歌った切なくもアップテンポなラブソングである。この歌が誕生したきっかけは偶発的なものだったようだ。

当初、globeが出演する車のCMソングとして小室は「Joy to the love」を提供したが、スポンサー側が難色を示し、楽曲の変更を余儀なくされた。そこで小室は多忙の合間を縫って山中湖のスタジオに篭り、不眠不休で約2日を費やして新曲を書き上げた。これが「I BELIEVE」の原型となる楽曲だった。

ところがこの楽曲に対して、スポンサー側は “前の曲に戻してほしい” と再度の差し替えを求めた。実はスポンサーの意向は “「♪Joy to the love」はそのままで、アレンジを変えてほしい” というもので、楽曲そのものの変更を望んだわけではなかったのだ。食い違いの原因は、仲介するスタッフがスポンサーの意向を汲み取れず、誤った解釈で小室に伝えてしまったことであった。

結局、CMは「Joy to the love」をそのまま使用する形で決着。では宙に浮いた「I BELIEVE」は、ボツ曲として日の目を見ることなく葬られてしまうのか? 一連の経緯を追いかけていた密着系ドキュメント番組のスタッフが問いかけると、小室はニヤリと一言。“ある人がもらうのかな…”。その傍らには “ある人って誰だろう?” と無邪気に笑顔を振りまく華原朋美の姿があった。

華原朋美自身を表現している「I BELIEVE」


小室哲哉の歌詞について、深く考察するのは野暮というものかもしれない。しかしながら、興味深い一節があるので、少々お付き合いいただきたい。

 Anytime I believe your smile
 どんなときでもあなたの笑顔 捜してた
 Anytime I believe your love
 ずっと前から あなたをきっと見ていた

“believe=信じる” という英単語は、多くの日本人が認知しているところである。しかし、本来 believeとは “人の言ったこと、概念や、事実について信じる” ときに使うもので、その人自身を信頼するときには、trustを使うのが一般的だ。また、believe in~で “その存在、価値、相手の能力や人格について信じる” という意味になり、believeよりも強いニュアンスを含む。

裏を返せば、「I BELIEVE」において繰り返し使われている “believe” は、それほど強く信じることができない、儚いものであると解釈することができる。どちらかというと “あなたの愛を信じたい” という意味に近いのではないか。だから「♪あなたをきっと見ていた」と、確信が持てないし、「♪愛を貫いて 苦しむより ほんの少し甘えた夜もあった」と、心が揺れ動いてしまうのである。

そしてこのフレーズは、華原朋美というアーティストを如実に表している。何の下地もないまま、歌手という未知の分野への挑戦に対する不安と、小室哲哉への信頼の間での葛藤。明るさの裏に見え隠れする危うさ、すべてが「I BELIEVE」に集約され、彼女自身を表現しているような気がしてならない。 

誰よりも輝いていた華原朋美の高音ボイス


1995年末、小室が主宰した年越しライブ『スーパーカウントダウン 1995-1996』は “TKムーブメント” の極みともいうべきものであった。チャリティー企画によって誕生した楽曲「YOU ARE THE ONE」を、小室ファミリーが一堂に会して歌う映像は、小室の天下を世間に印象づけた。そして、このとき誰よりも輝いていたのは、華原朋美ではなかったか。歌唱順で安室奈美恵とKEIKOに挟まれ、サビを分担した3人の中でも、彼女の持ち味である伸びやかできらびやかな高音ボイスを遺憾なく発揮していた。

その後、紆余曲折を経て復活した華原朋美は、アメリカでの武者修行の成果もあってか、以前より歌唱力が上がり、ミュージカル曲「夢やぶれて」を歌いこなすまでになっていた。小室プロデュースを離れ、1人の歌手として自立した華原の姿は、力強く、誇り高く、それでいて可憐であった。もっとも、危なっかしさも消えることはなく、未だにメディアを賑わすことも。しかしそれでも、1990年代を駆け抜けた朋ちゃんの輝きを、私たちが忘れることはない。

【参考資料】
1995年10月23日放送『スーパーテレビ情報最前線』噂の天才!仕掛け人小室哲哉の秘密公開」(日本テレビ)


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