【森町・小國神社】8月24日開館 「土鈴」とは? 起源や見どころ解説「鈴木正彦記念土鈴館」
静岡・森町にある小國神社では、1万点以上の土鈴(どれい)が奉納されたことを記念して、8月24日に「鈴木正彦記念土鈴館」が開館します。知れば知るほど奥が深い土鈴の魅力と見どころを紹介します。
“土鈴博士”が奉納した1万3300点の土鈴
故・鈴木正彦さんは和洋女子大学名誉教授で、“土鈴博士”と呼ばれるほどの土鈴収集家です。
「鈴木正彦記念土鈴館」は、鈴木さんが小國神社へ奉納した土鈴を展示するために造られました。
鈴木さんが生前何十年もかけて集めた土鈴の数は約1万3300点。土鈴館ではそのうち約800点が展示され、約1年ごとに展示替えがされる予定です。
鈴木さんがなぜこれほど土鈴に魅了されていたか。それは土鈴ならではの造形美や世界観はもちろん、土鈴の音そのものに理由があったようです。
日本人の多くが風鈴や鈴虫の音を聞けば風情を感じるように、土鈴の音には心をゆさぶる魅力があります。
奉納された土鈴は、今では入手不可能な土鈴、作った側でさえ持っていない土鈴もあり、歴史を伝える大変貴重な資料です。
寺社の土鈴から、おもちゃや飾りとしての土鈴まで、鈴木さんのコレクションは幅広く、全国各地から収集した大コレクションです。
縄文時代からある土鈴 神社とのつながり
“鈴”にはなじみがあっても、“土鈴”という言葉はなじみがないかもしれません。実は土鈴は縄文時代から存在していました。
そもそも土鈴とは何か、神話の研究をしている奈良大学の鈴木喬准教授に聞きました。
土鈴は縄文時代の遺跡から見つかっており、土鈴の中には固い木の実が入っていて、振ると音が鳴っていたそうです。弥生時代や古墳時代には青銅の鈴や鐸に発展していきます。
奈良大学・鈴木喬准教授:
鈴は古代より装飾や神事の祭具、邪気払い、そして神を招く役割を持っていると言われています。しかし日本最古の歴史書「古事記」や「日本書紀」の神話にも、鈴もしくは土鈴の話は登場しません。なぜ鈴が神事にも使われるほど神聖なものなのか起源は定かではありません
なぜ土鈴や鈴が神様や神社に関係するものになったのでしょうか。参拝には鈴を鳴らし、巫女は鈴を持って舞い、土鈴はお守りとしての授与品にもなっています。
奈良大学・鈴木 准教授:
なぜ神事や神社で重要な役割を果たすようになったかというと、「古事記」で書かれている伊耶那岐命が天照大御神に役を与える場面から考えられます。「首飾りの玉の緒を、もゆらに取りゆらかして」という一文がありますが、首飾りの玉の緒をさわやかな音をたてるように揺らして、「高天原を治めなさい」と委任した時の動きが鈴を鳴らすの動きと同じなのです
つまりは、玉と玉が触れ合い音をたてるよう動かしたことが、鈴の由来だと考えられています。音より、まず玉が揺れ動くさまが神聖な行動だと鈴木准教授は話します。
奈良大学・鈴木 准教授:
さらに「玉」は、同音で始まる「魂」を意味するとも考えられています。神事でも、神職が両手を上下に重ねて中に玉が入っているような手振りをする「振魂(ふりたま)」があります。玉振る=魂を奮うということを表しています
また、天照大御神が天岩屋に閉じこもってしまった際に、一役買ったアメノウズメが鈴の起源とも言われる鐸(おおすず)を鳴らしながら、足でリズムをとって舞っていたとされています。アメノウズメが鐸を持ち、舞ったことが巫女が手に鈴を持って舞う神楽の由来になったとされています。
最初の展示の見どころ
今回展示されている土鈴は約800点。鈴木さんの土鈴収集のきっかけとなった品や、全国各地の寺社の土鈴、異国風な土鈴やおもちゃのようなレトロな土鈴などさまざまです。
収集のきっかけとなった作品
鈴木さんが収集を始めるきっかけになった土鈴が、土鈴作家の故・中島一夫さんの作品です。
中島さんの作品は土人形の伝統技術を基に、独特なデザイン、細部まで色彩豊かで色鮮やかな点が特徴です。
大型の土鈴や干支の土鈴が多く展示されています。
珍しい大型土鈴
ほとんどの土鈴は片手や指先で持てるサイズですが、中には両手を使わないと持てない土鈴もあります。
今回の展示では、大型の土鈴も展示されます。大きい上にガラス越しではないので、直接近くで細部を見ることができます。
ぜひ装飾の細かさ、丁寧さをじっくり見てみてください。
奈良の都ここに
春日大社や東大寺など、奈良のいにしえから続く寺社の土鈴があります。
シカや大仏など奈良の都をほうふつとさせるデザインで、小さい都を作れそうなくらい数が多いので、鈴木さんのこだわりがうかがえます。
神の使いであるうなぎ
うなぎの土鈴は、京都市にある「三嶋神社」の授与品です。うなぎが神の使いとして描かれ、安産や子授祈願のご利益があると言われる神社です。
3匹のうなぎが描かれているのが特徴。土鈴の色や年季の入り方が微妙に違うことから、鈴木さんが何度も足を運んだのではないかと推測できます。
土鈴が物語る伝説や逸話
初めて鈴木さんのコレクションを見て感じた魅力の一つは、土鈴一つ一つに物語があるということです。
一見何を表しているか分からない土鈴も、話を聞けば、その土鈴の姿がまるで物語の一場面のように見えてきます。そんなすてきな物語を持つ土鈴をいくつか紹介します。
なお以下紹介する土鈴は、今回の展示品に含まれていませんが、今後展示される可能性があります。
お櫃納め
まず目にとまったのが「お櫃納め」の土鈴。「お櫃納め」は御前崎市にある池宮神社の神事です。池の竜に、赤飯の入ったお櫃を供えに行く氏子の姿をしています。
お櫃納めの記念品として少量しか作られませんでした。20年以上前に1回だけ授与された貴重な土鈴です。
義経と弁慶の出会い
義経と弁慶の2つの土鈴ですが、並べると1つのシーンが浮かび上がります。
義経の足元に五条橋と書かれているため、2人の出会いの場面だと分かります。
五条大橋で弁慶が義経に戦いを挑み、自分よりも小柄な義経に負けたことから、仕えることになったと言われる運命的なシーンです。
鶴林寺の三面鬼
両手で持つほどの大きさで、存在感に圧倒されて目を奪われたのが兵庫県加古川市にある聖徳太子ゆかりの鶴林寺の「三面鬼」。
お寺の裏鬼門の魔除け瓦で、参詣者にとって名物の鬼瓦がモチーフです。
この三面鬼は、目が4つで、3つの顔を表しています。左右は怒っており、真ん中は困った表情です。
1976年に境内の三重塔が火災に遭い、3年後に修理が完成した際の記念品として作られたようです。
魔除けの瓦と同じ三面鬼が厄除招福を願う土鈴として授与されました。
武将のかぶと
鈴は武将たちにも戦勝祈願などに使われてきました。平将門は大鈴を埋めて戦勝祈願したという逸話があり、その話が由来の「鈴塚」と名付けられた地名まであるほどです。
武将たちも崇めた鈴の力、その武将たちのかぶとをモチーフにした土鈴があります。
どこで入手した土鈴か不明ですが、兜の入っていた箱に武将と兜の名前が書かれていました。鈴木さんが一つ一つ入手した土鈴のようです。
豊臣秀吉、明智光秀、徳川家康、織田信長、浅井長政、伊達政宗のかぶとがあります。
信長のかぶとは南蛮かぶとで、西洋文化に興味があった信長が、西洋の鎧を日本風にしたと言われています。
白玉と赤玉
「赤玉は 緒さえ光れど 白玉の 君が装いし 貴くありけり」
「古事記」に書かれた、海の神・豊玉姫命が妹の玉依姫命に託した、愛する夫への歌です。
豊玉姫命はサメになってお産した姿を夫に見られたことを恥じて、玉依姫命に子を託し、海に帰ってしまいます。歌の解釈は一つではありませんが、夫の姿を懐かしむように、付けている装飾が似合っていることをほめたたえています。
玉依姫命をまつる千葉県にある玉前神社の土鈴で、片面が白玉、もう片面に赤玉が描かれています。令和に入る前まで、お守りとして授与していた貴重な土鈴です。
奈良大学・鈴木准教授:
赤玉と白玉は「玉」がついています。赤は琥珀、白は真珠を意味していると言われていますが、玉から連想させて土鈴になったのではないのでしょうか
今後展示された際にはぜひそれぞれの物語を思い出して観賞してくださいね。
土鈴館は、参道を進んだ右手にある参拝者休憩所の隣にあります。開館時間は午前9時から午後4時まで。入館料は無料です。展示品には触れられませんが、写真撮影は可能です。
参拝と観賞後は深緑を
境内を流れる宮川沿いの深緑は、8月末頃が一番美しい時期です。参拝や土鈴館観賞の後は、青モミジの木陰で川のせせらぎを聞きながら、涼んでみてはいかがでしょうか。
最後に鈴木准教授から教えてもらった、もう一つの鈴にまつわるエピソードをお伝えします。
風鈴を聞くと涼しさが連想されるように、鈴と涼む、同じ響きなのは“涼む”が”鈴”に由来しているからという説があるそうです。
静寂の森の中、透き通った鈴の音がどこかから聞こえてきませんか。青モミジを散策し、残りの夏を楽しんでください。
■施設名 鈴木正彦記念土鈴館
■住所 小國神社 静岡県森町一宮3956-1
■開館時間 9:00~16:00
■問合せ 0538-89-7302
取材/麻衣子