秋空にキラリ!神輿に活気づく・釜石まつり 曳き船中止も、伝統継ぐ試みで盛り上げ
釜石市の尾崎神社(浜町)と日本製鉄北日本製鉄所釜石地区山神社(桜木町)合同の「釜石まつり」は18日から3日間にわたって行われた。19日に予定していた尾崎神社の神輿(みこし)を乗せた漁船十数隻がパレードする「曳(ひ)き船まつり」は悪天候が予想されたため中止され、ご神体を迎える船など数隻のお渡りとなった。最終20日は秋晴れの下、市街地を背景に両神輿が渡御。沿道は多くの見物人でにぎわった。
19日の釜石港。曳き船のパレードは中止となったが、尾崎神社奥宮から里宮に移るご神体を載せた神輿を迎えようと、岸壁では虎舞や神楽などの芸能団体、市民らが待ち構えた。大漁旗をなびかせた御召船が着岸すると、威勢のいい掛け声やおはやしが響き渡り、活気づいた。
大漁祈願に―。萬漁業生産組合(箱崎町桑ノ浜)は、色鮮やかな大漁旗を掲げた2隻の船を岸壁に寄せ迎えた。「まつりだから。漁ができる感謝もあるし」と萬文貴組合長。今年の漁は上向き基調だったが、ここ1カ月ほどは厳しい状況とのこと。サバ、ソッコなどのブリ系統を狙っていて、「回遊してくる可能性はある。漁師たるもの、もうけねば」と、乗組員14人とともに腕をまくった。
この日は、家々の前で舞を披露する門打ちが早い時間から行われた。大町の釜石情報交流センター周辺でも各団体が虎舞や神楽を繰り広げ、市民らが見物。近くの青葉通りには縁日広場が開設され、夜遅くまで屋台遊びを楽しむ姿が見られた。
神輿の合同渡御は20日昼過ぎに鈴子町を出発。市内15団体、約1000人の行列は魚河岸の釜石魚市場を目指した。途中の「御旅所」周辺など目抜き通りで各団体が神楽や虎舞、鹿踊りなどを披露。沿道を埋めた見物客から盛んな拍手を受けた。
神輿の担ぎ手として参加した父親の姿を「かっこいい」と見つめた松澤優之介君(5)。きらめく神輿が「きれいだった」と笑った。一緒に訪れた60代の祖母らは東日本大震災の影響で海から少し離れた場所に転居し、まつり見物は「久しぶりだ」という。笛や太鼓のおはやし、掛け声といった祭りの音、大勢が集うまちの景色をしみじみと懐かしんだ。
山神社の神輿に続いて「わっしょーい」とかわいらしい掛け声が聞こえてきた。小さな神輿の担ぎ手は、製鉄所や関連企業に勤める社員の子どもら13人。山口伊織さん(9)、橙利さん(7)の兄弟は「初めて参加した。楽しかったし、また担ぎたい」と笑顔を見せ、母親の彩乃さん(32)は「迫力あるまつり。子どもたちの頑張り、かわいい姿を見ることができた」とうれしそうだった。
製鉄所で働く人が暮らす社宅は市内各地にあり、社宅ごとに神輿もあったという。今回、小川地区に残っていた神輿を修繕、復活させた。同社釜石総務室の高橋聡太郎さん(30)は「子どもの頃から地域の取り組みに参加することで愛着を持ってもらえる。まつりの盛り上げにもなる」と意義を強調。大人たちの神輿も「釜石の地で長く事業を続けられているのは地域の支えがあってこそ。感謝を伝える機会として、まつりは重要な位置づけ。人数の確保は容易ではないが、(参加を)定着、継続したい」と熱を込めた。
尾崎神社六角大神輿の担ぎ手にも助っ人が加わった。防災や伝統文化の継承をテーマにした体験研修で来釜した東海大学観光学部の服部泰講師のゼミに所属する3、4年生計25人で、男子学生8人が力を貸した。東京出身の竹中凌さん(3年)は「神様、昔ながらの伝統を感じながら神輿を担ぐのは初めて。手を合わせて迎える人がいたり、そんな重みが肩にのしかかった。まち全体が文化を大切にしていた」と新鮮な経験を楽しみつつ、爽やかな汗を流した。女子学生は物持ちとして列に加わった。
魚市場御旅所では神輿還御式が行われ、奥宮にかえるご神体を各団体がおはやしで見送った。主催の同まつり実行委事務局によると、19、20の2日間で計約1万人の人出があった。