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​【美術家・白井嘉尚さんインタビュー】 フロッタージュからドローイングまで。「生きる方向に向けて心と体を開いていくのが大事」

アットエス

静岡市葵区のボタニカ・アートスペースで12月7日、静岡大名誉教授の美術家・白井嘉尚さん(静岡市駿河区)の個展「はじまりは否定の否定 道なき森のなかへ」が開幕する。同会場での個展は2015年1月以来。東京芸術大の学生だった頃の作品から近作まで、半世紀にわたるアーティストとしての活動の中から代表作を抽出した。キャリアを総覧するような作品群から、「作家としての起点」と自認するフロッタージュ(鉛筆のこすりだし)と、現在も取り組む、描く行為を比喩的に提示した「森」のシリーズについて聞いた。(聞き手・写真=論説委員・橋爪充) 

フロッタージュの起点は大原美術館


-今回展示するフロッタージュは、いつ頃の作品ですか。

白井:1979年、静岡に来る前の年ですね。大学院の研究生でした。

-なぜフロッタージュを作品にしたのでしょうか。

白井:大学の学部で4年間、大学院で2年間美術をやったんですが、何をどう描いていいかわからなくなってしまったんです。それまでは主に油彩で、社会的なテーマに関心を持っていました。例えば紛争で傷つく人たちを画面の中でデフォルメしたりして。人間が生きていく上での苦しさのようなものに訴求力があると思っていたんですね。

-どうして行き詰まりを感じたんでしょう。

白井:頭の中でこねくり回すのはリアリティーがないと思うようになったんですね。自分が直接経験したことではないのに、情報だけで頭の中で膨らませて、意味ありげな表現として提出することに嘘っぽさを感じるようになっていました。美術界全体の状況も、イメージを否定したり、絵画自体を否定したりするような流れがあって。それにも影響されたと思いますね。

-表現としていろいろな選択肢がある中で、どこにでも飛び込んでいける環境ではあったわけですね。

白井:何を描いていいか分からなくなって、一時期は美術自体も嫌になっていました。でもアートから離れるわけではなく、演劇を見に行っていました。唐十郎さんの芝居にはよく行っていた。ジャズや映画も好きでしたね。

-美術から離れかけていたんですね。

白井:はい。そんな時に(岡山県)倉敷の友達のところに遊びに行ったんですよ。2、3日もいたらやることがなくなって、仕方なく大原美術館に行った。

-大原美術館は初めてでしたか。

白井:高校の修学旅行以来、2回目でした。美術への気持ちが切れていたから「どうせつまらないだろう」と思っていたんですが、(作品が)いいんですよ。先入観なく見られたからか、古いものも新しいものも、みんな良く見えたんです。

-貴重な経験ですね。

白井:そこで思いました。「良いもの」とは教わるのではなく、自分の内側から感じるものだと。そして、自分の中に「良いもの」を感じる気持ちがあるんだったら、それを表現できると。倉敷から(東京に)帰って、どうすれば自分の感じている美術への感じ方を表現できるか考えました。入口の問題、手法の問題です。そこで見えてきたのがフロッタージュだったんです。

-とてもシンプルな手法ですよね。

白井:頭の中では、何をどう書いていいか分からない。でも、絵は描きたい。そうした時にフロッタージュだったら、(頭に)何もなくたってできちゃうわけです。板の上でもタイルの上でも、紙を置いて手を動かせば形が表れる。これだ、と思いました。これだったらリアリティーがあるなって。

「畳のフロッタージュ」(1979年)


-それで、一番最初に下宿の畳の上に紙を置いてフロッタージュにしたんですね。今回の個展にも出品しています。

白井:畳の模様が浮き上がってくるじゃないですか。でも、畳の模様を表現したいわけじゃない。物質の表面と、紙や鉛筆という道具、自分の手と目。それが渾然一体となるものが見たかったんです。紙の上にリアリティーがある一つの「状況」が出てきて。これは作品と言ってもいいんじゃないかと考えた。

-大原美術館に行かなければ、作品を作り続けていなかったかもしれませんね。

白井:(創作を)やめちゃったかもしれません。でも、(それまでは作品を)自分の目で見ていなかったんですよ。本で読んだ知識、人の意見に振り回されて。でも大原に行った時は、自分の目で見られた。

-今、自分の目で当時のフロッタージュを見てどうですか?

白井:悪くないと思います。その時なりの輝きがある。今とは違いますけれどね。今はあんなふうには描けないし。

あらかじめ方向性とか、結果を決めないでやる

-「森のなかへ」と題した2001年からのシリーズを作りつづけています。水彩やパステルを使ったドローイングですね。以前の取材で、「森」について「描く行為の比喩」と答えていらっしゃいますが、今もそんなイメージでしょうか。

白井:そうですね。描く行為、それ自体を「森」と言っています。その行為の中へ、ということですね。ずっと気になっているのが岡倉天心の「茶の本」にある琴の名手の話です。霊木から作られて皇帝に献上された琴を、ある男が優しく触れて素晴らしい音楽を奏でる。その名手は「自分は演奏しようと思ったんじゃなく、琴に触れて沿っていただけ」というようなことを言うんです。

-音楽と美術の違いはありますが、アートの本質に近いかもしれませんね。

白井:私も描こうとは思っていないんです。色があって、紙があって、画材があって。あらかじめある物にどう沿わせていくか。どう共鳴させていくか。それしか考えていない。自分のイメージを押しつけようとはしていないんですよ。

-作為やデザインとは全く違う次元ですね。

白井:計算はなるべくしない。自分もどうなるか分からず描いていますから。「森」というのはそういうことなんです。見通しがない。一本道が通っているわけではない。そんな中で手探りで、様子を見ながら進んでいく。

-ゴールが見えないまま、頭と手を動かしているわけですね。

白井:自分の中であらかじめ方向性とか、結果を決めないでやるっていうのは、一貫しているかもしれません。その時、その場にあるものとじっくり向き合って、そこから出てくるビジュアルな世界を行為と共に作り出していく。しんどいといえばしんどいですが、行き着く先が知らない世界だから面白いですよね。

-ある種の楽観主義、でしょうか。

白井:何か素晴らしいことがあるだろう、という漠然とした予感や期待ですね。ポジティブな表現にしたいんですよ。生きる方向に向けて心と体を開いていくのが大事だと思っています。

<DATA>
■白井嘉尚個展「はじまりは否定の否定 道なき森のなかへ」
会場: ボタニカ・アートスペース3、4階
住所:静岡市葵区研屋町25
入場料:無料
会期:12月7日(土)~15日(日)
開場時間:午後1時~午後7時(月曜休廊)
イベント:
大塚惇平(ボイスパフォーマンス)×白井嘉尚(ドローイング)
「声と色彩の原感覚に耳を澄ます」
日時:12月14日(土)午後2時~、午後4時~(2回公演)
参加料金:1000円(各20人限定。先着順、予約可)

「シャーベットのように」(1988年)

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