カンパリ:イタリアを象徴する食前酒は永遠のデザイン・アイコン: 大矢麻里&アキオの毎日がファンタスティカ!イタリアの街角から#25
イタリアには、ユニークで興味深い、そして日本人のわれわれが知らないモノがまだまだある。イタリア在住の大矢夫妻から、そうしたプロダクトの数々を紹介するコラムをお届けする。
始まりはカフェで評判のリキュール
読者諸氏は「カンパリ(CAMPARI)」の名前を一度ならずとも聞いたことがおありだろう。夕暮れ時、イタリアのバールには食前の軽いお酒「アペリティーヴォ」を愉しむ人々が集う。Aperitivoとはラテン語のaperitivus(開く)に由来し、食事を美味しくいただくために“胃袋を開く”という意味がある。「カンパリ」はそうした食前酒のひとつで、ハーブやスパイスを原料とした、ビター系リキュールである。ほろ苦さと、宝石のような鮮やかな赤い色で長年人々を魅了してきた。
その知識を深めることができるミュージアムがミラノ中心部から地下鉄1号線で行ける場所にある。北部セスト・サン・ジョヴァンニにある「ガレリア・カンパリ」だ。
施設はカンパリ社の本社内にある。参考までに、社屋は2010年にカンパリ誕生150年を記念して建設されたもので、東京の大手町や丸の内でも近年みられるように、旧棟の構造躯体を残す手法が採られている。しかも、時代が異なる2つの建造物がうまく溶けあい、違和感を抱かせない。長年にわたり歴史的建築物と生きてきたイタリアの真骨頂といえよう。
ガレリア・カンパリは20世紀初頭から今日に至るまで、3500点以上にわたる自社の広告ポスターや販促グッズ、著名アーティストによるオブジェを収蔵。歴代CMを紹介するコーナーもある。
展示室内で歴史を辿る。ときはイタリア国家統一が達成される1年前である1860年のミラノに遡る。大聖堂広場に面したカフェで店主ガスパレ・カンパリが提供する赤いリキュールは、ミラネーゼたちの間でたちまち評判となった。その成功をもとに、ガスパレの息子ダヴィデは1904年、セスト・サン・ジョヴァンニにリキュール工場を設立、量産に乗り出した。それこそ今日に続くカンパリの始まりであった。
ボトルに込められた未来派の思想
フロア内でとりわけ大きなスペースが割かれているのは、1932年に発売され今日まで続く「カンパリ・ソーダ」だ。カクテルを家庭でも手軽に味わえるようにと、あらかじめリキュールとソーダを最適なバランスで割り、飲みきりサイズのボトルに詰めた商品である。
このガラス製ボトルのアイディアは、20世紀イタリアの前衛芸術運動「未来派」のアーティスト、フォルトゥナート・デペーロによるものだ。
彼はソーダの鮮やかな赤色を印象づけるため、敢えてラベルを貼らず、エンボスのロゴで商品名を表した。表面の凹凸加工は見る者に水滴を想起させることで新鮮さを強調するとともに、滑りどめの役割も果たす。それは未来派の旗手フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティが提唱した視覚を超えた感覚的刺激「触覚主義」を実践したものといえた。円錐形はビジュアルの美しさだけに留まらず、ボトルを互い違い上下逆さまにして詰めることで箱の体積を劇的に減らし、輸送効率にも貢献した。
ソーダ以外にも、カンパリは未来派とのつながりがみられる。発売から数年後、前述のカフェ前に設置されたカンパリ・ソーダの自動販売機は、「科学技術の発展が社会に進化をもたらす」と考えた未来派の理念と一致したものだった。
また、「アートの未来は広告を軸にすることで強化される」と唱えるデペーロは未来派の特徴的スタイルを反映しながら、その後もカンパリを通じてそれを実践。同時にカンパリの広告を宣伝手段以上のものに昇華させた。その裏には、いち早く広告戦略の重要性を認識し、アーティストに活躍の場を与えながらブランドのアイデンティティを確立させた、ダヴィデ・カンパリの先見の明もあった。
日頃から何気なく目にしているカンパリは、かくも広告史や美術史と深く結びついていた。外に出て本社棟を見上げると、外壁に描かれたデペーロの広告キャラクターが「あなたも一杯どう?」と誘ってきた。まんまと乗せられた私は、その足でふらふらと近くのカフェに吸い込まれていったのだった。
INFORMATION:
ガレリア・カンパリ(完全予約制 詳細は以下サイト参照)
https://www.campari.com/it-it/galleria-campari/