シェフ松嶋啓介が太宰府でいま問う “経済合理性”を越えた文化的価値
2025年2月9日(日)に、「第2回太宰府食サミット」が行われる。1日中ぎっしりと行われる講演会には、「ウェルビーイング」「教育」「節制、依存症」「予防」など今日的なキーワードの中心を「食」がつらぬくユニークなテーマが並ぶ。国内外の著名なスピーカーが集まり、食を通じた社会課題の解決や、文化の再構築について議論が行われる予定だ。
第2回太宰府食サミット太宰府
企画者は松嶋啓介氏。福岡市出身で、20歳で渡仏。現在ニースで「KEISUKE MATSUSHIMA(ケイスケ マツシマ)」を営む気鋭のシェフである。
松嶋氏はサミットにあたってのメッセージに「喰い改めよ! 人を良くすると書いて食。人を良くする事と書いて食事。この漢字の意味が、今ほど切実に感じられる時はありません」という言葉を寄せている。
優れた料理人ほど、社会と食の結節点に敏感である。なぜこのような取り組みをすることになったか、その背景に迫る。
PROFILE
松嶋啓介
まつしま・けいすけ。福岡市出身。20歳で渡仏。フランス各地で修業を重ねたのち、25 歳でニースにレストラン「Kei’ s passion」をオープン。3 年後、外国人として最年少でミシュラン一つ星を獲得し、その後店名を「KEISUKE MATSUSHIMA」に改める。2010 年7 月、フランス政府よりシェフとして初かつ最年少で「芸術文化勲章」を授与、2016年12 月には同政府より「農事功労章」を受勲。日仏の食文化を守り、本当の豊かさを学ぶ料理教室ほか、団体・企業での講演会も行っている。
“プラプラしている人間が世界を変えろ“と言われて
〈▲ 太宰府天満宮 楼門 画像提供:太宰府天満宮〉
食サミットの第1回は2018年太宰府で開催され、その後、東京や名古屋オンライン開催を経て、6年ぶりの“凱旋”となる。そもそも料理人である松嶋氏がサミットを企画したのはなぜだったのだろう。
話は2006年に遡る。
松嶋氏は、かねてから友人だった現在の太宰府天満宮の宮司・西高辻(にしたかつじ)信宏氏を訪ねた折、信宏氏の母である圭子氏に招き入れられ、西高辻家の邸宅の話になったという。“延寿王院(えんじゅおういん)”と呼ばれ、代々当主が住んでいる場所である。
「一緒にお茶を飲んでいたら、お母さん(圭子氏)から『いま座っとるこの場所に、どんな由来があるか知っとお?』と聞かれて、『知らないです』と答えたら、話をしてくれたんです。『あなたの座っとるところに坂本龍馬が座っとったんよ』と聞いて、驚きました。太宰府が明治維新の策源地と呼ばれていることも、その時に知ったんです」
延寿王院には、江戸時代末期、尊王攘夷派の中心人物であった5人の公家が、3年にわたって滞在し、そこへ西郷隆盛や高杉晋作、坂本龍馬ら大勢の勤王の志士たちが訪れ、倒幕や新しい国づくりについて話し合ったと伝えられている。
〈▲ 薩長同盟の前夜、1865年5月 23日から 28日間にわたり、太宰府に滞在していた坂本龍馬。直前に鹿児島を訪問、西郷隆盛らと天下国家のための議論を交わした後、太宰府滞在を経て長州へと向かった メージカット:PIXTA提供〉
「『坂本龍馬がここで薩長同盟のもととなる考えを育てたとよ』などといろんな話をしてくれるものだから、なんで自分にそんな話をするのかと尋ねたら、『あなたみたいにプラプラしとる人が、世の中を変える働きをせんね』と言われて」
それはあまりに唐突で、またスケールの大きい“お願い”であった。そのときは特に気にも留めなかったが、なぜか彼女の言葉は松嶋氏の心に残り続けることになる。
世の中を変える働きとはなんなのか。この場所でそうした働きかけができないものか――気付いたときには、太宰府の土地について掘り下げ、一方で料理人として自分がやりたいことを見つめ直すようになっていた。そして、“文化的価値”に根ざした新しい活動を模索し続けた結果、太宰府の地で「第1回食サミット」を開催するに至る。2018年9月のことだ。
日本を外から見た時に見えてきたもの
〈▲ 松嶋氏が生活をしているフランス・ニースは、年間を通じて温暖な気候で、さまざまな意味で“豊かな地域”として知られる〉
松嶋氏は現在フランス・ニースにオーナーシェフとしてレストランを構え、生活している。そこで日々感じている物事や関心が、今回の食サミットにも繋がっている。
「お母さん(圭子氏)から “プラプラしてる”と言われたのは、まさに的を射ていて、ニースはイタリアとの国境にも近くて、僕はよくイタリアにも足を運びます。日本のことも外から眺められる立場で、いろいろと見えてくるものがあるのです。
イタリアって、経済的にはそんなにうまくいっているとは言えない国です。にも関わらず、全然貧しい感じがしない。一方でフランス、特にパリは、なんだか貧しくなっている感じがする。フランスの方がイタリアよりも経済規模が大きく、一人当たりのGDPも高いんですけどね。
これってなんなのだろうと考え始めたのです。30年近く、フランスで暮らす人間の肌感覚でしかないけど、特にマクロン政権になってから、国の運営が経済合理性で測られることがとても多くなっているように思うんです。それがなんらかの影響をもたらして、経済指標には表れない“心の貧しさ”が国全体を覆っているような感覚があります」
〈▲ パリは今も美しい街としてのイメージを保ってはいる。しかし「なんだか貧しくなっている気がする」と松嶋氏はいう イメージカット:PIXTA提供〉
松嶋氏には、遠く離れた故郷・日本は「それ」がもっと極端に進んでいるように感じられる。〈いい〉といわれるもの・こと・方法・状態。いかなるものも経済的価値を生み出していなければ、価値がないものとみなされる。コロナ禍以降、世界的に(それまでの)経済合理性至上主義を見直そうという機運は高まっており、日本国内でもそうした議論は見かけるものの、松嶋氏から見ればまったく十分ではないという。
「国内外のニュースに目を通していますが、フランス以上に日本の行き過ぎた経済合理性が気にかかっています。フランスも日本も、いろいろな問題を抱えていますし、社会課題もそれぞれ違う。でも、その根幹には経済合理性至上主義があるのではないかと考えています。もちろん経済的に豊かであることは大切です。しかし価値が経済合理性にしか見い出せない社会は健全じゃない。それ以外の価値をどう見出したらいいかというのが、自分の問題意識でもあります。」
経済合理性主義はまちづくりにおいて露骨に表出する。たとえば東京都内では大規模な都市開発が同時進行中だ。さらに福岡市でも中心地で大規模な都市開発が進んでいる。これら再開発事業により、まちはどんどん「便利」になり、経済的に成長することが期待されているが、変わりゆく風景を眺めていると、どこかで「これでいいのだろうか」という思いに駆られる。それが単なるノスタルジーだとしても、引っ掛かるのだ。
ちなみに松嶋氏に住むニースでは、まちの中心にあったバスターミナルを郊外に移して、跡地を公園に整備。さらに自動車の車線を1車線減らしたという。経済合理性だけを考えれば、理に合わない再開発だ。
〈▲ ニースのまちの様子。広々とした公共空間が広がる〉
「わかりやすい便利さではなく、一見お金を生み出さない無駄な空間をつくるって、実はすごいことだと思います。結果的には人が集うことによって文化的な価値をつくることにもつながるのかなと。
文化は、最も広くとらえると,人間が自然とのかかわりや風土の中で生まれ育って身につける立ち居振る舞いや衣食住をはじめとした暮らし・生活様式・価値観など、人間と人間の生活にかかわることの総体を意味します。経済合理性や、グローバル化という便利さの上に暮らす社会では、文化が失われているように感じます」
経済合理性にどっぷり浸かった日々を経て
かくいう松嶋氏も、かつて東京に店を構えていた時は、まさに経営者として経済合理性に基づいた行動指針で経営していた。
こう当時を振り返る。
「シェフと違って、経営者は経済合理性がないと店を持続できない。東京では、家賃やスタッフを抱えて、やっぱり合理的な判断なしではやっていけませんでした。それで10年やりきったのはなかなかだな、と自分では思いますね」
現在ニースの店は、スタッフも最小限で、おいしいものを適正価格で提供できる環境を作り上げた。今では原価率を気にかけることはあまりない。
「儲けは、自分たちが生活するうえで困らないだけあればいいんです。テーブルでちゃんと利益が上がっていれば、原価率のことは細かく考えなくてもいいやって思っています。その結果、うちの店は原価率がめちゃくちゃ高い。
レストラン業界では、ワインを仕入れ値の3倍の値段で売るのが相場です。でもうちではセオリーを無視して安く出しています。そりゃうちのお客さんは幸せそうなはずですよね(笑)。その様子を見て、僕たちもハッピーになれる。自分が消費者として考えた時に、どのくらいの価格で飲めたらハッピーかを、自分の頭で考えているからです。自分で考える手間を省いてしまうと、経済合理性しか尺度がなくなっちゃう」
〈▲ いつも通っている市場で仕入れ中の松嶋氏。素材の吟味は欠かせない〉
また松嶋氏がかつて一つ星を獲得していたミシュランガイドを評する言葉も興味深い。以前のミシュランには確固とした【文化】があったが、タイヤメーカーから独立して採算をたてなければならなくなったいま、その部分は揺らぎ、プロモーション色が強くなっている、と指摘する。
「世の中ってそういうものだよな、とは思うんです。星の獲得が即座に予約の増加につながりますからね。お店も儲かるし、お客さんも喜ぶからいいじゃないかという見方もできるかもしれない。でもそのときに、かつてあった文化の側面を損ないながら、経済を成り立たせるために継続していることへの違和感は持っていた方がいいと思うんですよ。価値基準が一つしかない状況を仕方ないで片付けていると、取り返しがつかなくなってしまいそうで」
外国人としては最年少でミシュラン一つ星を獲得した日本人シェフは今、大きな流れに抗おうとし続けている。
食べることの多様な側面
〈▲ イメージカット:PIXTA提供〉
松嶋氏は、コスパ、タイパという言葉を警戒する。
「いま働いた時間や労力に対して、どれだけ効率的に稼ぐことができたかが価値になっています。料理の世界もそう。でも、料理でそれを突き詰めると、どうなるか。味付けの濃い、見た目のきれいな浅薄な料理に行き着くんです。まさにインスタ映えする料理。“インスタント”には文化的な本質がないと、私は思います」
松嶋氏には、料理は “手間をかける”または“時間をかける”かのいずれかでおいしくなるという持論がある。
「つまりどちらかの手段を使えば、“うまみ”が十分に引き出されます。僕の料理は、わー!と盛り上がるようなものではありません。時間をかけて丁寧に作っていて、うまみがじんわりと感じられるものです。あくまで目や頭ではなく、心と胃腸で理解する料理なので、コスパ・タイパはよくないかもしれません。けれど、食べた人たちは黙って次の機会に戻ってきてくれる。うまみがしっかりと引き出された料理は、派手ではなくとも長い目で見たら経済的にもプラスのアプローチとなり得ると信じてやっています」
フランスに渡って27年。海外に長くいるからこそ、日本という国、文化、社会について外からの目線で見る癖がついてしまった。
「言葉の持つ意味を考えることも多くて。ここ最近は、“食”という文字が、“人を良くする”と書くことが気になってきました。なんでこんな言葉が生まれたんだろう。それを原点にもう少し拡大解釈していくと、“食べる”という行為は、単に栄養を摂るだけではなく、人が最も原初的で大切にしていることと関わっているんだろうと思うんです。それをないがしろにしているから、社会の至るところでいろんな弊害が出ているんでしょうね」
〈▲ 松嶋氏が手掛ける料理。時間をかけてゆっくり身体に染み渡る (KEISUKE MATSUSHIMA(ケイスケ マツシマ)公式サイトより)〉
太宰府で行われる食サミットが、「ウェルビーイング」「教育」「節制、依存症」「予防」など多様なジャンルにまたがっているのは、松嶋氏のこのような視点によるものだ。食の持つ多様な側面にフォーカスが当てられている。
「食べることには、人生を豊かにするヒントがあります。食卓を大切に考えることが、いま改めて必要だと思います。
よくフランスの冷凍食品の豊富さがポジティブに語られます。フランスの女性の社会進出が進んだ背景にある、とかね。たしかにその側面はある。ただ僕はやっぱり長い目で見た時に、冷凍食品に頼るような生き方はよくないことだと考えています。
冷凍食品は温めてすぐにおいしく感じられる必要があるため、どうしても味付けが濃くなりがちです。それに慣れることで引き起こす生活習慣病などのことも、やっぱり考えなくちゃいけない」
もちろん松嶋氏は、「女性が家で料理をすべき」と言っているわけではない。料理をするのは、男性でも女性でも、どちらでもいい。ただ、コスパ・タイパを追求した“インスタント食品”に頼る選択が、食卓の「豊かさ」を毀損していることにも目を向けるべきだと考えているのだ。
「時々鍋の中を見て、音を聞いて、温度を感じて、五感をフルに丁寧に使えば、家の食事がすごく豊かになると思います。その豊かさをもたらしてくれる時間を削いでまで、なんのパフォーマンスを上げたいというのでしょうか?」
〈▲ 五感を使えば、さらに食の体験は豊かになる〉
「あと、最近の人は食べるのが速すぎるように思います。うちの店はカンヌが近く年に1回広告関係者が集まるのですが、よく観察していると、口に入れてすぐに『おいしい!』と言ってるんですよ。おそらく食べ物を“情報”として処理しているのでしょう。本当のおいしさなんてすぐわからないはずなのに、口に入った瞬間の第一印象で反応しているだけで、味わっているとは言えない。
これってコミュニケーションにも繋がっていて、話をすぐに理解できることがよしとされていますが、はたして相手の発言を咀嚼してちゃんと飲み込んでいるかは疑問です。時間をかけたコミュニケーションの豊かさだってあります。こういうインスタントな姿勢はどこか食を雑に扱っているのと関係あると思います。現代社会のアディクション(依存症)ですよ」
原点に戻って学ぶ
松嶋氏は、土地に根ざしたという意味で、九州の食に関わる仕事にも取り組んでいる。
「最近、長崎県民を食で健康にするには、どうしたらいいかという相談を受けたとき、『ちゃんぽんを家で作る料理として取り戻す』という提案をしました。自分で作れば塩分量もわかるし、野菜もたくさん食べられる。ちゃんぽんなんて、ごちゃまぜそのものなんだから、グルタミン酸やイノシン酸のかけあわせで、うまみの相乗効果が狙えるすごい料理です」
先日は、せっかく長崎とつながりができたので、ゆかりの深いポルトガルとオランダに行ってみたそうだ。
「リスボンで街歩きをして、いろいろ食べたら、やっぱり九州と繋がっているってことが実感できました。味付けの仕方が似ているなーと思ったり、九州で食べてきたお菓子はポルトガルルーツだと納得したり。
迷ったらすぐ行動!というのが、僕の生き方です。日本人って、身体を使って体験する前に、本を読んだり資料を調べたりしますが、まず現地に飛び込んでみて五感で獲得するのもおすすめです。僕はいま、ポルトガルとオランダで得たものが多すぎて、すっかり頭を抱えちゃってます」
かつて太宰府は「遠の朝廷(とおのみかど)」や「西の都」と呼ばれ、古代日本において東アジアとの接点だった。遣隋使や遣唐使が帰国し、文化・宗教・政治などの新しい文物が入ってくる要所でもあった。九州もまた、太宰府が東アジアに対して門戸を開いていたように、地の利を活かしていまこそ元気なアジアと繋がる時だと話す。
「遣隋使や遣唐使は、命の危険を賭して海を渡っていたわけじゃないですか。九州の人たちは、もっと韓国や中国、東南アジアにどんどん飛び出していったほうがいいと思います。そうすればもっと九州の姿がよく見えてきますから」
最後に、松嶋氏は太宰府で行われる第2回食サミットについて、こう思いを語る。
「“和魂漢才”という言葉があります。大陸の文化(漢才)を取り入れつつも、日本の心(和魂)を失わないという意味で、太宰府天満宮の御祭神、菅原道真公の考えを表していると言われます。
いまを生きるために、僕たちは学び直さなくてはならない。ただそれは、海外から新しい物を学び直すだけではなく、“和魂漢才”という言葉が表すように、和の心を持ちながら最先端の物事や、これから必要とされる事柄を問い直すということだと考えています。
和魂漢才の精神は、経済合理性を超えて文化的価値を問い直すきっかけも与えてくれるように思います。その精神を体現する場として、太宰府はぴったり。あそこは、これまで長年文化を育んできた土地です。ここだからこそ問いを深め、共有できるんじゃないかと楽しみにしています。問いを学ぶと言う学問の原点に戻り、多くの人と問いを共有できる機会にしたいですね」
食を通じて歴史や社会を改めて見つめ直そうという「太宰府 食サミット」は、私たちが日常の中で見過ごしがちな「食」の持つ文化的価値に立ち返り、経済合理性主義とは異なる軸で存在している「なにか」を探る絶好の機会となるに違いない。過去と未来を繋ぐこの場で、改めて「豊かさ」の本質を松嶋氏らとともに探ってみたいと思う。
〈▲ ニースに訪問し、松嶋氏に博多っ子のソウルフード「うまかっちゃん」を手渡すクオリティーズ日野編集長〉