AIによって、人間が働かなくてよくなる日が来るのか
AIの能力向上がいいペースで進んでいる。
ChatGPTが出たのは、2022年11月。
まだ3年も経っていないが、当時の動作と、現在の動作では比較にならないほど、現在のモデルは優れている。
何せ2023年当時は、簡単な『なぞなぞ』にも、正解ができなかったくらいだ。
『頭の文字をとると、池に落ちてしまう野菜は?』
という、小学生向けのなぞなぞにも正解することができなかったChatGPT。
混乱している様子がちょっとかわいいのだが、仕事では使えない。
でも今のGPT-5は、いとも簡単に解いて見せる。
おそらく通常の推論では、すでに多くの人間に勝つだろう。
もちろん、すでに多くの仕事にAIが適用されるようになっている。
役員会における発言の分析、データによる業績予想、操業の最適化、個人の性格特性からの行動予測、心理操作、情報発信。
仕事のあらゆる部分でAIの適用が試みられている。
このままいくと、あと5年もすれば、多くのホワイトカラーの能力は、AIが代替できるようになるかもしれない。
もちろん、それを使うかどうかは、人によって差が出るだろうが。
そして、多くの人類に残された仕事は、冨山和彦氏が「ホワイトカラー消滅」で述べたように、フィジカルな能力が必要とされる、エッセンシャルワークに収斂する。
これから、怒濤の勢いで押し寄せる生成AIなどによる破壊的イノベーションがホワイトカラーの仕事をさらに奪っていく。 現状、人間でなくても対応できる、比較的間違いようのない問いに答える仕事は、世の中には案外多い。わかりやすい例は、カスタマーセンターの対応である。多数の問い合わせを分類すると、人間の判断が必要のない共通の問い合わせがほとんどだ。(中略)
実際のホワイトカラーの職場は、ボス1人に対して部下が4、5人いる。だとすると、単純化すれば仕事は5分の1になる。(中略)この破壊的変化に真剣に対応すると、「漫然とホワイトカラー」は淘汰されていき、新卒一括採用でホワイトカラーを目指す学生の採用も減っていくことになる。
実際、生成AIの出現によって、早くもホワイトカラーのリストラに着手した大手が数多く出現している。
加速する「AIによるリストラ」、米テック・メディア大手が人員削減に踏み切る(Forbes)
・セールスフォース
・ブルーオリジン
・Bumble
・Business Insider
・Dropbox
・IBM
・Intel
・JPモルガン・チェース
・Meta
・Microsoft
・Ford
・ゴールドマン・サックス
「まだまだ大丈夫」と高をくくっていると、ある日突然、仕事を失う。
新卒は、ホワイトカラー職にはもうありつけない。
そんな未来が、少しずつ現実化し始めている。
AIの恩恵はだれのもの?
もちろん、政治がこのような社会変化を黙ってみているとは思えない。
例えば、失業者が増えるにつれ、遅かれ早かれ、AIで大きな収益を上げる会社には巨額の税が課され、仕事を失った人たちにバラまかれるだろう。
「責任をとれ」と。
AIの力が強くなればなるほど、その恩恵は一部の企業が独占すべきではなく、皆に与えられるべきだ、という意見が大勢を占めるようになるまで、そう時間はかからないだろう。
しかし、それはあくまで「カネ」の話であって、人間の能力が仕事に必要とされない、という事実は変わらない。
歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリが指摘するように、「職がない」というよりも、能力的な不足の故の「雇用不能」だからだ。
そうした不満が、一時的に世の中を不安定にするかもしれない。
人間の手に仕事を取り戻せ、というわけだ。
しかし、それからほどなく「仕事をする」という概念そのものが、大きく変化するだろう。
「仕事をする」が、カネを稼ぐ行為ではなくなるのだ。
AIによって、多くの知識労働が消えれば、仕事は純粋なアートや何かしらの表現、コンセプトの創造や、純粋なモノづくりをする行為になっていく可能性が高い。
これは、アーサー・C・クラークの、SFの古典「都市と星」に見ることができる。
遠い未来、完全な都市である「ダイアスパー」では、人間は仕事で金を稼がない。
だれもが望めば必要なものをすべて手に入れられる世界では、欲などというものが生き残る余地はない。
そこで行われる人の営みは、アート、哲学、ゲーム、ギャンブル、性愛など、純粋な知的好奇心と欲求から出る活動に限られる。
ただし、それによって「競争」がなくなるわけではない。
人は次第に、「自分が生み出すことのできる価値の競争」だけに注意を払うことになる。
都市のアーティストたちは──ダイアスパーの全住民が、いずれかの時期にはかならずアーティストになるのだが──通行人に作品を鑑賞してもらうため、自走路の脇に最新作を展示するのが通例となっている。こうすることで、見るべきほどの作品は、通常、二、三日のうちに、全住民の目に触れ、評価が下される仕組みだった。
各人の評価は、集計装置が自動的に記録する。この装置には、買収もごまかしも利いたためしがなく──ということはつまり、そういう欺瞞の試みが何度となくなされてきたという証拠でもあるのだが──その総合評価で作品の運命が決まる。
高く評価する声が充分に多ければ、その作品の構成情報は都市のメモリーに保存され、それ以降は、いつでもだれでも、望みさえすれば、オリジナルと寸分たがわぬ複製を所有することができた。
いっぽう、評価の高くない作品は、その手の作品につきものの末路をたどる。すなわち、分解されて都市の素材ベースにもどされるか、アーティストの友人たちの家に収まるか、そのどちらかだ。
純粋な能力の発露だけに、人の能力が向けられるようになったとき、どのような世の中になるのかは、まだわからない。
ただし「AI」から得られる恩恵は、ベーシックインカムの財源として機能する可能性もある。
AIによって、人間が働かなくてよくなる日が来るのか
カネのために働かなくてよい日は、AIとロボティクスの発展によって到来する可能性は十分にある。
というより、AIの発展によって、目標とすべき到達点はそこにしかない。
ただし、「競争」がなくなるわけではない。
むしろ、仕事がなくなれば、すべての人が「能力を生かして表現する・創り出す」という点でしか、仕事をやる意味がなくなる。
それは「都市と星」で描かれた、むき出しの能力社会になる可能性が高い。
それが「良き社会」であるかどうかは、別として。
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【著者プロフィール】
安達裕哉
生成AI活用支援のワークワンダースCEO(https://workwonders.jp)|元Deloitteのコンサルタント|オウンドメディア支援のティネクト代表(http://tinect.jp)|著書「頭のいい人が話す前に考えていること」88万部(https://amzn.to/49Tivyi)|
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◯note:(生成AI時代の「ライターとマーケティング」の、実践的教科書)
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