豊かで輝かしく最高音は超絶長い「誰も寝てはならぬ」 異次元の歌を聴かせるクンデという奇跡
この夏、中部イタリアのペーザロでグレゴリー・クンデのコンサートを聴き、衝撃を受けた。初っ端からロッシーニ「ギヨーム・テル(ウィリアム・テル)」のアリアで流麗なレガートと輝かしすぎる超高音に撃たれたが、最後の最後まで衝撃は止まなかった。
アンコールで歌った《トゥーランドット》の「誰も寝てはならぬ」の、密度の高さといったらない。人気のアリアだから聴く機会は多いが、クンデのそれはまさに異次元だった。高い音圧がかかった声の厚み、スタイリッシュなフレージング、あふれる情感。いずれも胸に迫り、息を凝らして聴くうちに、最後の「vincero!(私は勝つ!)」にいたった。
コンサート前にインタビューした際、クンデはこう語っていた。
「『誰も寝てはならぬ』は最後に高い“シ”の音があって、楽譜にはその音を伸ばすようには書かれていませんが、お客さんが待ち望んでいるので、テノールみな“シ”をできるだけ伸ばして歌います」
そうはいっても伸ばすのは至難だが、クンデは輝かしいシを往年のパヴァロッティ張りに伸ばしたのだ。しかも、比類ない輝きを添えて。割れんばかりの拍手と「ブラボー!」の大喝采に包まれたのはいうまでもない。
ここまでクンデのことを、まるで30代か40代で、声が盛りを迎えた歌手のように書いてきたが、驚くべきことに現在70歳である。30代か40代のような輝かしい声で、メリハリの利いた歌を歌うのだから、ことさらに年齢を強調すべきではないかもしれない。しかし、この声、この歌が70歳と知ると、感動はまた格別のものになる。しかも、年季が積まれているぶん、歌に込められた情感も深い。
なぜ、この年齢で、これほどの歌を歌えるのか。クンデに尋ねると笑って、
「わからないねえ! ただ、キャリアをはじめた45年前、往年の名テノールのアルフレード・クラウスに『時間をかけ、落ち着いて前に進むべきだ。できることだけをして、前に進みすぎないことだ』といわれました」
その教えを守り、ていねいに声を育ててきたら、50代で自然に声がドラマティックになり、いまにいたっているという。ちなみに、《イル・トロヴァトーレ》も《道化師》も《マノン・レスコー》も、いまのクンデの年齢でいまのクンデのように歌った歌手を、実演も録音もふくめて、私は過去に一人も知らない。
私自身、このところ欧州で、クンデが出演する舞台に多く接している。ヴェルディ《オテッロ》のほか、プッチーニ《マノン・レスコー》や《外套》、ジョルダーノ《アンドレア・シェニエ》……。声一つで若者にも壮年にもなりきる。実年齢より50歳くらい若い役を歌っても、その声は若者のそれにしか聴こえない。もはや奇跡のようだった。
ところでペーザロでは、米国生まれのクンデには歌の原点だというアメリカン・オールディーズ・ポップスも聴かせた。それは東京のコンサートでも味わえる。こちらは「フランク・シナトラのような歌唱法で」とのことだが、こうしたポップスもこのレベルの歌唱を得るとこんなに輝くと知らされ、やはり異次元だった。
どの方向から眺めても、これは奇跡に立ち合える異次元のコンサートというほかない。コンサートのたびにアンコールで歌う「誰も寝てはならぬ」も聴けるはずだ。2月1日、私たちは奇跡の目撃者になれる。
文=香原斗志(オペラ評論家)