銀行員から島暮らしへ。周防大島で挑む“自分の生業”づくり【地方移住者ストーリーvol.11(山口県周防大島町)】
田舎での暮らしに可能性を感じ、移住して新たな挑戦を始める人が増えています。
この連載では、地方に移住し、SNS等でそのリアルな暮らしを発信している方々にインタビュー。今回ご紹介するのは、移住前は銀行員として働いていた榮 大吾さん。29歳で脱サラし、山口県・周防大島(すおうおおしま)へ移住しました。選んだのは、人口減少と高齢化が進む“課題先進地”。あえてその地に身を置いた理由、築いてきた地域との関係、その生活について伺いました。
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【さかえる(榮 大吾)】
1988年生まれ、東京都出身。2018年、29歳で銀行を退職し、山口県・周防大島へ夫婦で移住。「一生楽しく働いて生きていく」をテーマに、ひじき漁、畑仕事などの漁業・農業を中心として、Web・動画制作、講演など、多面的な生業を展開中。SNSやVoisyでは、田舎暮らしのリアルとその可能性を発信している。妻と、2025年3月に生まれた息子との3人暮らし。
自ら生産・加工・情報発信までを手がける、煮付けにせず“サラダで食べてほしい”高級ひじき「沖家室(おきかむろ)ひじき」は、全国に根強いファンを持つ逸品。
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山口県・周防大島町へ! 移住者の新たな挑戦
「会社員をやめて島へ」——移住のきっかけは“100歳までの人生設計”
――榮さんは、2018年に29歳で、銀行員から「脱サラ」して山口県周防大島へ移住されたのですよね。なにかきっかけがあったのでしょうか?
結婚をきっかけに、妻と「理想の人生ってなんだろう」って話すようになりまして。二人で“100歳までの人生の収支表”を作ったんです。そこであらためて、自分たちがどう生きたいかを真剣に考えたんですね。 行き着いたのが「一生、働きながら楽しく暮らしたい」という答えでした。人生100年時代、もし会社員を続けたとして退職後に40年近い時間がある。人生を野球に例えたとしたら5回裏。むしろ盛り上がるのはそこからだなと。趣味だけじゃ物足りない、仕事も楽しみながら生きていきたい。そのために、体力も気力もあるうちに、“自分の生業づくり”に挑戦しようと決めました。
――なるほど、スローライフを求めたのではなく、一生現役でいるための移住だったのですね! FIRE(=早期リタイア)を目指す人の逆をいく目標ですね……!
まさにそうです。銀行員時代は毎日、満員電車で通勤して、終電で帰ってくるような生活をしていました。帰る家も、家賃は高いのに狭い。仕事はやりがいもあって楽しかったのですが、一生続けられる働き方ではありませんでした。24時間働いても楽しいと感じられるような自分の理想の生き方・働き方を見つけたかったんです。
今は、朝は鳥の声で目覚めて、海を眺めながら一日が始まる。夕方には帰宅して、自分で釣った魚や育てた野菜でごはんを食べる。そんな毎日を送っています。すごく贅沢ですよね。
――幸せに働き続けられる生活が整ったのですね! 移住後はさまざまなお仕事にチャレンジされ、起業もされたわけですが、地方で新しい仕事をスタートさせるのは不安も大きかったのではないでしょうか?
むしろ、地方だからこそ思い切って挑戦できると感じました。地方で起業するメリットは、やはり“固定費の安さ”にあると思います。最初からうまくいくはずがないし、失敗も当然ある。でも、固定費が低ければ、多少の失敗があっても再挑戦していける。七転び八起きの精神で、何度でも立ち上がっていこうと決めました。
また、農業や漁業などの一次産業は担い手不足が深刻になっていますが、一方で、需要は急激には減っておらず、それ以上のスピードで担い手が減っているというデータ通りの状況があります。
つまり、やる人が少ないぶん、一人あたりの市場が広がりやすく、収益チャンスも大きい。簡単ではありませんが、それだけに挑戦の余地と可能性があふれていると感じました。
あえて“課題先進地”へ——過疎地にこそ、挑戦の土俵がある
沖家室(おきかむろ)大橋と透き通るように美しい海
―― 周防大島を移住先に選ばれたのはなぜだったのでしょうか?
妻の実家が広島で、そこから2時間圏内で海のある場所、そして「人口減少が進んでいて」「高齢化率が高い場所」という条件で探しているなかで出合ったのが周防大島でした。
周防大島は、高齢化率約60%、空き家率が約3割の“課題先進地”。 せっかく脱サラするなら、人の役に立って自分の価値が最大化されるところでとことん働くぞと!
―― あえて、過疎地域を選んで移住したのですね。SNSやVoicyで「過疎地域が今、一周遅れのトップランナーになっている」と発信されていたのが印象的でした。
過疎地は日本の未来を先取りしている場所。いま過疎地で起きている問題──人口減少、労働力不足、インフラの維持の問題とか──は、近い将来、日本全国に広がっていきます。そうなったときに、周防大島のような地域から学ぶことはとても多いはずです。ここには強い地域コミュニティと、仕事と生活の両面で生きる力の強い人が大勢いる!
―― そういう方たちとの出会いも、移住の決め手だったんですよね。
そうなんです。移住を決める前に、10日間ほど「お試し移住」をしたんですが、そこで出会った先輩方がとにかくかっこよくて、生き生きしていて、自分の人生を深く考えている人ばかりだった!「どう生きたいの?」って真っ直ぐに聞かれたときには面食らいました。ああ、こういうふうに、自分の人生を自分で切り開いて生きていきたいって思ったんです。
―― 高齢化や過疎地域というとネガティブにイメージしがちですが、周防大島には、パワフルなひとたちの生き生きとした生活があったのですね。
田舎暮らしをしていて一番良かったことは、生き方の選択肢がこんなにも多様なのだと知れたことです。驚くほどいろいろな事業を自分でしている人がいてライフスタイルも千差万別! 今では、実の親より先に何かを報告したくなるような“親分”や“兄貴分”のような方々に日々助けていただきながら暮らしています。ここにいると、高齢化=現役世代を支える経験者(先駆者)が多いことだと、むしろメリットにさえ感じることが多くあります。
榮さんのご自宅裏の畑からの風景
―― 周防大島の中で、お気に入りの場所ってありますか?
やっぱり自宅と、その裏の畑ですね。畑からは、壮大な空と海が眺められるんですよ。
元々は賃貸派で家賃という固定費を下げるために移住したところもあったくらいだったのに、移住後考えが変わって家を建てました。今は、過疎地こそ、持ち家のほうが良い、と思っています。
最新の断熱性能のおかげで冬でも快適で、体調を崩すことも減りました。自宅兼仕事場にしているので、仕事面でも効率が上がっています。
あとこれは移住してみてわかったのですが、過疎地って、空き家は多いですが、すぐに住めるような家は少ないので、その気になれば売ることだってできます。
周防大島に来たらぜひ食べてほしいのが、「海を眺める薪窯料理レストランサルワーレ」の「沖家室ひじきとスモーク鯛のピザ」。目の前の海で店主自ら釣り上げた鯛に、サラダで食べる島の高級ひじきをトッピングした島グルメ。
―― 家を建てたことで、地域との関係にも変化があったそうですね。
島で暮らしていると、数年経った頃から「船譲るよ」「畑使う?」「トラクターいる?」といった声が次々とかかるようになり、地域に根ざした新しい仕事やつながりが一気に広がっていきました。信頼と信用は1日にして成らず、です。でも、家を建ててからはさらに「〇〇もらわんか?」の頻度が段違いに増えました。それまでは“いつ出ていくかわからない人”と思われていた部分もあったかもしれません。でも、家を建てたことで「この土地で生きていく」「生半可な覚悟ではない」というのが伝わったのだと思います。他の人がとらないリスクをとって、あえて自分を土地に縛ることで、得られる強さがあるのだと実感しました。
ドローンで撮影した榮さんのご自宅
―― ご自宅について、こだわりのポイントを教えてください。
インフラをほぼ自給しています。井戸を掘って、電気は太陽光、熱源は薪、インターネットはスターリンク、トイレは浄化槽。どんなことがあっても、家族と身の回りの人を守れる力をつけておきたいという思いがあるんです。
銀行員時代から、為替や株価の乱高下を見てきたからこそ、現物資産や「生きる力」のほうにもより強く価値を感じるようになりました。
どんな災害や経済ショックが来ても、インフラが自給できて、自分で魚を釣って、野菜を育てて、鶏を飼って暮らしていける。そして何より、周囲の人たちとの助け合いを大切にする。生きる力を持てていることに喜びを感じています。
畑に行けば旬の野菜が収穫できて、その日の食卓に並ぶ。
早朝や仕事後に、自分の漁船でさくっと1時間釣りに出ることができる環境だ。
―― 自宅と事務所に1台ずつ薪ストーブがあるんですよね。
薪ストーブがあると、暮らしの幸福度がぐっと上がりますよ。真冬の深夜のひじき漁で明け方冷え切って帰ってきても、ストーブの前で温まりながらストレッチすると、すぐに深い眠りにつけるんです。
焼き芋をしたり、鶏が産んだ卵でゆで卵を作ったり、ちょっとした楽しみもたくさんあります。
あとね、薪ストーブの煙が上がると、近所のおばあちゃんが晩ごはんのお裾分けを持ってきてくれたり、用事がある人が訪ねてきてくれたりする。煙が、まるで狼煙のように“今、ちょっと余裕ありますよ”っていう合図みたいになっているんです(笑)。
煙を出しても迷惑にならない、薪はそこら中にあるというかなり贅沢な環境にいます。
“移住者”から“仲間”へ——地域に溶け込むために大切にしてきたこと
集落の祭りの運営にも参加。伝統と想いを守り引き継いでいく。
―― 都会にはないあたたかなつながりに憧れてしまいます! 一方で、移住を希望する人の中にはムラ社会ともいわれる田舎ならではのコミュニティにうまく馴染んでいけるか不安に感じている方も多いのですが、榮さんはどのように馴染んでいったのでしょうか?
地方移住に限らず、転職でも、転校でも、クラブ活動でも、新しいコミュニティに入る時は同じ。ムラ社会って地方特有のものではなく、人が集まるところにはどこにでもある、人間関係の空気みたいなものじゃないかと思うんです。
大事だと思うのは、まず自分から挨拶したり、世間話をしたり、地域の活動にちょっとずつ参加していくこと。よそから来た人に対して、地元の人も最初は少し警戒すると思うんです。でも、「この人はコミュニティを大事にしたいんだな」って伝われば、少しずつ距離が縮まっていきます。
もうひとつは、相手が答えやすい質問をすること。知ろうとする姿勢が伝わると、良い印象を持ってもらえるきっかけになるんです。
そして最後に大事なのは、どんどん周りを頼ること。そして助けてもらったらしっかりお礼を伝えていくこと。そうしていくうちに、今度は自分が頼ってもらえるようになっていきます。頼られたら全力で応えていく。そうなれば、もう“よそ者”じゃなくて“仲間”になっていけると思っています。
――今では自治会の役員までされてるとか。
はい。役員になると、たとえば自治会費を集めるっていう仕事があるんですが、一軒一軒まわって、現金でもらいに行くんです。最初は「口座振替にしたほうが効率的なのに」って思ったんですけど、実際にまわってみると、そこでの雑談で、お互いの近況がわかったり、メリットがとても多いことに気づきました。
あえて“非効率”にすることで、コミュニティが保たれていることがあるというのは発見でした!
鶏が産んだ卵はご近所との物々交換にも活躍。ほかほかの巣の中から、かわいらしいひよこがひょっこり顔を出す。
「自分たちで守り、築いていく」——地域に根ざす暮らしの先に見えたもの
ひじきの収穫期は、深夜に漁に出て、明け方に戻る日々。島暮らしは厳しいことも多いが、ここにしかないご褒美のような絶景が身近にある。
――地域活動に参加するなかで、見えてきたものってありますか?
ひじき漁の繁忙期でも、消防団や自治会の仕事はひっきりなしにあって、もちろん大変なんですが、街灯がついてるのも、道の亀裂や倒木が直ってるのも、全部“誰かの仕事”なんですよね。
移住するまでは、そんなの当たり前だと思っていたことに、今はすごくありがたいと感じる。自分たちの暮らす場所を“誰かが守ってくれる”のではなく、“自分たちで守り築いていく”。そんな想いで、地域活動に取り組んでいます。
自分たちで荒れ地を開墾し畑に。
――最後に、地方移住や田舎暮らしを検討している方へ、榮さんからメッセージをお願いします。
「地方」 や「田舎」は大きな主語で、グラデーションがものすごくある言葉です。人口20万人の田舎もあれば、人口2人の田舎もある。自分自身がどのような生き方、暮らし方、働き方をしたいのか、それ次第でやるべきことも、目指すべきこと、場所もまったく違ってきます。ぜひとことん具体的に考えてみてください!
生き方を決めたら、何度でも“1年生”になるつもりで、新しいことに挑戦してみてください。僕自身、まさか数年後に漁師になっているとは思ってもいませんでした。その気になれば、人生はいつからでも変えられます!
写真提供: さかえる(榮 大吾)