【神田駿河台さんぽコース】神田山はどこへ? 徳川家康が削った山頂を求めて坂道をゆく
かつて、江戸にそびえた神田山。徳川家康が日比谷入江を埋め立てるため山を切り崩し、その土砂を使ったのでいまその山容は分からない。けれど、西から東へ駿河台を歩けば、神田山の稜線が頭の中で美しくよみがえる!
【登山の前に】装備を教えてくれたのは『さかいやスポーツ本店』
ポイントは初夏の登山の発汗対策。「低山ならバックパックは20L前後で十分。ムレにくい背面メッシュのもの、できれば背面メッシュと荷室本体に隙間があり、通気性の高いものがおすすめです」と、スタッフの渡辺拓麻さん。その後の都心での行動を考え、ベースレイヤーは消臭調湿効果のあるメリノウール素材のシャツを。「舗装路ですので、靴はクッション性の高いローカットでOKです」。
『さかいやスポーツ本店』
11:00~20:00、無休。
☎03-3262-0583
【START】皀角坂(さいかちざか)
水道橋から御茶ノ水駅方面へ。今回の行程で一番、山の斜面を感じられるロング坂。サイカチの木が多く植えられていたことからこの名が。今も2本のサイカチの木が坂に残る。
かえで通り
皀角坂を上りきるとゆるやかな下り坂。この辺りが家康の削った場所だろうか?
吉郎坂
かえで通りから、休館中の「山の上ホテル」へ。
その前を下ると、明治大学総長を務めた商学博士・佐々木吉郎にちなんだ吉郎坂の石碑が。
駿河台
西側山頂の、お茶の水交番脇にある町名由来板。ここに神田山や家康の切り崩しに関する説明があり、必読だ。
茗渓(めいけい)通り
3代将軍・家光の頃、清(しん)から亡命してきた朱舜水(しゅしゅんすい)が故郷を懐かしみ、お茶の水渓谷を「小赤壁、茗渓」と名付けたのが由来。
喫茶 穂高
地域の歴史に詳しいマスターの粟野芳夫さん。「創業者の母が山好きだったため、この屋号になりました」。昔から常連が愛するやや酸味をきかせた珈琲650円や、熟成させた有機栽培バナナを使う自然な甘さのバナナジュース850円で、ほっとひと息。本棚には山に関する書籍も。
喫茶 穂高
住所:東京都千代田区神田駿河台4-5-3/営業時間:8:00~19:00/定休日:日・祝/アクセス:JR・地下鉄御茶ノ水駅から徒歩30秒
御茶ノ水駅 聖橋口
この辺りが東側の現・山頂。ここにも駿河台東部の町名由来板があり、駿河台の由来も分かる。
駿台予備学校お茶の水校1号館裏の祠(ほこら)。粟野さんいわく「昔、駿河台の旗本の屋敷で不義を働き、手打ちにされたお女中を弔う祠です」。
紅梅坂
この辺りに紅梅の大樹があったのが坂名の由来。明治時代の町名は東紅梅町だった。粟野さんいわく「ニコライ堂の石垣は江戸城のものを再利用したという説もあります」。調べてみたが、真偽は不明だった。
新坂
坂名は、駿河台上に上る通路として明治維新以降に新たに造られたことから。淡路公園が北側に隣接する。
【GOAL】葡萄舎
マスターが20代のとき、インド放浪で親しんだ味がベース。悪魔のスパイスとされるヒングや後から辛さジワリの青唐辛子などを使うベジタブルカリーが名物だ。
葡萄舎(ぶどうや)
住所:東京都千代田区神田鍛冶町1-3-10 松栄ビル5F/営業時間:11:30~13:30・17:00~23:00(ランチは火~金のみ)/定休日:日・祝/アクセス:JR・地下鉄神田駅から徒歩3分
あなたは~もぉ~登ったかしら♪ 「神田山」は何処へ?
神田山にはタヌキがおってさ♪ 狸親父のあだ名をもつ家康が神田山を削って400年余。いまの頂上・昔の頂上はどこなのかを探し求め、西の麓・皀角坂から上りはじめる。いきなりの胸突き坂に鼻歌が、すぐに荒い息遣いに。坂の途中、神田上水の懸樋(かけひ)の説明板があり、1834年頃の名所図会によると、この辺りから富士山が見えたらしい。
急勾配を登りきると、かえで通りでゆるやかな下りに。ここは学生の往来も多い。江戸時代、この高台には大名や旗本が暮らしていた。駿河台の地名は、家康直属の家臣だった旗本(駿府衆)が多く屋敷を構えたことから。それらの広い武家屋敷の跡地を利用し、明治大学などいまの学生街が形成されたのだ。
吉郎坂を下り、明大通りを上り返すと、御茶ノ水駅西側の交番へ。その脇に立つ町名由来板の説明では「駿河台はもともと湯島台と地続きで一帯は神田山と呼ばれていた。まずは家康が埋め立ての土砂を削り、2代将軍・秀忠の命令で駿河台と湯島台の間に外濠の役目を果たす神田川を開削。これで駿河台と湯島台は切り離された」という。
今度は僅(わず)かな傾斜の茗溪通りを登って聖橋方面へ。山小屋風の『喫茶 穂高』でひと休み。お話好きのマスター・粟野さんはたれ目で、自称・タヌキ。「神田山にはタヌキがいたでしょ(笑)。駿台予備学校お茶の水校裏には、旗本の家で働いていたお女中の死を、弔う小さな祠もある」という。やはり、この辺りは旗本の屋敷があったということか。
御茶ノ水駅聖橋口まで来ると、ゆるやかな上りが終わり、神田駅方面はどちらも下り坂。つまり、皀角坂のてっぺんで西の頂上を踏み、いったん下ってまた上り、聖橋口で東の頂上を踏む。いまの神田山は筑波山のような双耳峰(そうじほう)、つまり猫耳のような稜線を描いているのだ。ということは、皀角坂てっぺんと聖橋口の間の凹んだ部分を家康が削ったのか。いまは踏むことのできない神田山の真の山頂を想像しながら、神田駅で山靴を脱いだ。
取材・文・撮影=鈴木健太
『散歩の達人』2025年5月号より