【岡山の古墳】岡山市内で石棺が気軽に見られる場所3選!
石棺といえば、普通は古墳の中に置かれているか、博物館の中に展示されているものだと思いますよね。しかし古墳の宝庫である岡山県では「え、こんなところに?」という意外な場所に石棺があります。今回は比較的気軽に見学できる岡山市内のスポット3ヶ所をご紹介します。
1.JR備前一宮駅
まずは、駅のホームに半分に割られた石棺の蓋が置いてあるという、なかなかクセの強いスポットをご紹介します。
ちなみに、石棺の下半分を「身(み)」、上半分を「蓋(ふた)」と言います。
それは、JR桃太郎線(吉備線)の「備前一宮駅」にあります。近くに「吉備の中山」という多くの史跡が集まる山があって、その中腹に「石舟古墳」という横穴式石室を持つ古墳が残されています。昔から、桃太郎伝説の鬼の原型とされる「温羅(うら)」のお墓だと信じられていた古墳だそうです。石棺の身は古墳の石室に今も残されているのですが、なぜか蓋だけがこの場所にあります。しかも縦方向に真っ二つに割られています…。
裏側から見ると石を割る際にクサビを打ちこんだ跡がたくさん付いています。割られた蓋のもう片方は行方不明とのことなので、もしかすると石を何かに転用することが目的ではなく、割ること自体に呪術的な意味があったのかもしれません。この場所に石棺の蓋が置かれている経緯についてJR西日本さんにたずねてみたところ、「申し訳ありませんが弊社の方でわかる者が今はおりません…」とのこと。それだけ昔からここにあるということなんですね。
参考解説:「備前一宮」とは
「吉備の中山」は、桃太郎の原型とされる「吉備津彦命(きびつひこのみこと)」の生涯にゆかりの深い場所で、古来から山全体が信仰の場であり、史跡の宝庫となっています。その山の麓に2つの大きな神社があります。
・今回取り上げた「備前一宮駅」から徒歩約3分ほどの場所にあるのが「吉備津彦神社」です。駅名のとおり備前国で最も格式の高い「一宮」で、「吉備津彦命」をご祭神としています。
・もうひとつ、JR桃太郎線の隣の駅「吉備津駅」の近くには「吉備津神社」(彦が付かない)があり、同じく「吉備津彦命」をご祭神とする備中国の「一宮」です。
このふたつの神社はルーツは同じですが、飛鳥時代に吉備の国が分割された際に「吉備の中山」に国の境界線が設定され、備前国と備中国の双方に「一宮」として存在することになったのだそうです。
2.青陵神社
岡山市北区の「万成(まんなり)」という地区の住宅街のなかに「青陵神社」はあります。青陵と書いて「あおはか」と読むそうです。かつて青陵古墳という前方後円墳があり、その後円部に神社が鎮座しています。残念ながら墳丘は開発によって大きく改変を受け、前方部は削られて消滅してしまったとのこと。
その古墳から出土したとされる石棺が境内に祀られています。実は、この場所にも「温羅」にまつわる伝説が残されています。この近くに「首部(こうべ)」という地名があり、はじめはそこに「吉備津彦命」によって討ち取られた「温羅」の首が埋められていました。それが夜ごと呻き声をあげるので、この地に丁重に埋葬し直したところ呻き声は止み、この辺りは豊作に恵まれたことから「万成(まんなり)」という地名になったのだとか。ここでは「温羅」は五穀豊穣の神様なのです。
板状の岩を組み合わせて作られた「箱式石棺」です。意図は不明ですが岩の隙間をモルタルか何かで埋めてあるようです。しかしながら、地元の方から大切にされていることがよくわかります。
「温羅」のお墓や首が埋められたとされる場所は岡山には複数あって少し混乱しますが、それだけこの地域の人々にとって重要な存在だったのだと思います。
3.岡山後楽園 正門前(岡山県立博物館)
日本三名園のひとつ「岡山後楽園」の正門の前に「岡山県立博物館」があります。その入口横に、なぜか石棺がふたつ並んで置かれています。博物館の中に入らなくても貴重な石棺を見せてもらえるなんて、ありがたいことです。
手前に置かれているのは岡山市南区の児島半島にかつて存在した前方後円墳「八幡大塚古墳(やはたおおつかこふん)」の組合せ式「家形石棺」です。埋葬時に石棺に塗られたという赤い顔料が今もはっきりと残っています。この古墳は開発のために消滅してしまいましたが、破壊される前に発掘調査を行なったところ、なんと前方部にあった横穴式石室は未盗掘!発見された副葬品は県立博物館に収蔵されています。
奥に置かれているのは赤磐市にある前方後円墳「朱千駄古墳(しゅせんだこふん)」から出土した組合せ式「長持形石棺」です。「長持」というのは被服などを収納しておく木製の箱のこと。縄を掛けて運ぶための大きな突起が特徴的で、石棺の中に大量の赤い顔料が残されていたことが古墳名の由来だそうです。所在地は吉備三大巨墳のひとつ「両宮山古墳」のすぐ近くで、被葬者はかなりの有力者であったと考えられています。残念ながら明治時代に盗掘に遭い、紆余曲折を経てこの場所にたどりついた不憫な石棺です。
まとめ
この写真は「造山古墳」(岡山市)の前方部に鎮座する「荒神社」の境内に残された石棺の蓋の破片です。部分的に赤い顔料が残っているのがお分かりいただけるでしょうか。境内には巨大な石棺の身も残されています。これらが造山古墳のものであるのか、他の古墳から運ばれてきたものなのか詳細は謎ですが、石材が熊本県産であることだけが分かっています。遠く熊本から巨石を運搬してくるなんて、古代の吉備と九州はどのような関係だったのでしょうか。
このように、ひとくちに「石棺」と言ってもいろんな特徴があり、さまざまな来歴や謎を秘めています。「石棺」それ自体が、とてもディープな世界を持っているのです。普段は特に興味のない人でも、思いがけず石棺を見かけたことで意外な伝承を知ったり、失われた史跡があることを知ったり、歴史に興味を持つきっかけになるとしたら素敵なことだと思います。物は試し、今回ご紹介した石棺を見学して、ぜひディープな世界に足を踏み入れてみてください。