オリックスの鈴木博志(磐田東高出身)登録名「博志」に。「2025年も無欲で。どこでも投げる!」
オリックスの博志、緊急登板にも動じず
オリックスの鈴木博志投手(磐田東高出)は、登録名を「博志」に改めて新シーズンに臨む。
中日から現役ドラフトで移籍して1年目は32試合に登板し、9ホールド防御率2.97。オリックスはリーグ3連覇を支えた投手陣が不調で、苦しい1年となったが博志投手は「チャンスだと思ってやってきた。いろんな場面でチームのために投げられたので良かったと思う」と与えられた場所で最大限のアピールをした。
持ち味と経験生きた移籍1年目
セ・リーグからパ・リーグへの移籍となったが、その違いについてこう語る。
「セでは細かい野球を教えてもらった。パはパワー勝負という感じ。セでは変化球を使ったり、わざとボール球を投げたりするけれど、パは簡単に言えば、ストライクゾーンに連続でストレートだけで三振とか。『ボール球はいらないから勝負しろ』と言われたりする。考え方がちょっと違うなと」
もともと力強いストレートが武器の博志投手にとっては「思い切りよくいける。変に考え過ぎず、性格的にはやりやすかった」。一方でランナーを背負う場面での登板が多かったため、セ・リーグで経験した細かい野球が役に立ったと言う。「ピンチでは今までの引き出しがある。大胆にいくところと一歩引くところがあった」
オリックスのチームカラー
オリックスのチームカラーも新鮮に感じたようだ。「全体練習は短め。自主練、自分たちの時間が多い。自分でやりたいことを考えてできる。若い選手に活気があり、いい意味で生意気な感じ。伸び伸びと、自分のいいところを伸ばしている印象だった」
苦労したのは飛行機での長距離移動という。例えば、北海道から埼玉への移動は5時間ほど。「北海道で試合が終わって、次の日朝イチで飛行機に乗り、2時間半くらいで羽田に着いて、羽田からバスで2時間半くらいで球場に着き、すぐにアップして試合に臨む。帰りもバスで東京駅まで行って新幹線で大阪に帰る」。そうした環境の違いにも適応が必要だったという。
古巣戦を機に手応え
24年シーズンを通じて最も印象に残った試合は6月1日の古巣・中日との交流戦。先発の東晃平投手が危険球退場となり、急きょ出番が巡ってきた。
1死一、二塁のピンチを併殺でしのいで流れを持ってきた。その頃から「困った時には呼ばれる。先発がダメだととりあえず準備してくれという感じ」で出番が増えた。
スクランブル登板が多かったが「いくしかない。気持ち入れたりしているともたないので淡々と“無”の気持ちでやっていた。ドラゴンズ3、4年目くらいで野球を辞めようと思うくらいどん底でうまくいかない時があって。移籍はチャンスだと思った。今年駄目なら野球辞めるくらいの覚悟、開き直りがあり、変な欲を出さずに無になって1個1個のアウトを取りにいった結果が良かった」
25年は「1年間1軍で」
無欲で臨んだ24年。「来季も欲なしです。欲が出ると本来の自分じゃなくなる。そろそろ勝ちパターンで投げたい、まだ使ってくれないのか、などと思い始めると、本来の自分じゃなくなり、結果も内容も悪くなる」。新シーズンも「どこでも投げる」という姿勢を変えず、数字もあえて挙げることはしない。「1年間1軍で」。出番に備える。
(編集局ニュースセンター 結城啓子)