日本のギャル文化考察【1970年代】沢田研二のギャルと橋本環奈のギャルは全然違った!
連載 日本のギャル文化考察①【1970年代】沢田研二のギャルと橋本環奈のギャルは全然違った!
“ギャル” はその “ギャル” だけじゃない
橋本環奈が主演するNHKの連続テレビ小説『おむすび』で描かれたことで、1990年代後半から2000年代初頭のいわゆる “ギャル文化” が再注目された。ただし、作品内で描かれる “ギャル” とその界隈について、制作側は元ギャルを考証担当に迎え、徹底的なリサーチを行ったと説明しているものの、一部の視聴者からは史実とのズレを指摘する声もあるようだ。
この問題に深入りするつもりはないが、そもそも日本における “ギャル” という言葉のニュアンスは一定ではなく、時代により、局面により変容してきた歴史がある。その点に着目し、全5回にわたるシリーズで “ギャルと周辺文化史” というテーマに挑んでみたい。第1回は1970年代編。日本で “ギャル" という言葉が定着し始めた時代を取り上げる。
“ギャル” が一般的ではなかった1970年代
2024年11月現在、Wikipediaでギャルを調べると “girl(ガール)の英語における俗語、galに由来する外来語” とある。そして、昭和初期に若い女性を馬鹿にしたモダン語として “ギャール” という表記で使われ出したと書かれている。なるほど。そうした言葉は一部で使われていたのかもしれない。とはいえ、それが戦時下、終戦直後の混乱期、復興期、高度経済成長期を経て、現在の “ギャル” と地続きになっているとは考えにくい。
また、“1972年に衣料品メーカーのラングラーから『Gals』という女性用ジーンズが発売された時に広まったとの意見もある” といった記述もみられる。“意見もある” と曖昧に記載されているように、連合赤軍による山岳ベース事件やあさま山荘事件があった当時、メディアや若者が、日常語として “ギャル” を使っていた痕跡を見つけることはできない。
70年代前期の映画やテレビドラマを見ても “ギャル” というセリフはまず聞かれない。ポピュラー音楽の歌詞にも、雑誌の見出しにもない。“いやいや、当時から自分は使っていましたよ” という方もいるかもしれないが、少なくとも70年代前期に “ギャル” が一般的ではなかったことは間違いないだろう。
「セブンティーン」に初登場は1977年
1968年に集英社から創刊され、後にギャル系ファッションをプッシュすることになる、『週刊セブンティーン』(現:Seventeen)の見出しに “ギャル” という言葉が初めて登場したのは1977年11月1日号である。
「10/21『薔薇とピストル』でデビューする、お茶目な3人娘★ギャル」
これは “ギャル” というグループ名の3人組女性アイドルを取り上げた記事だ。当時、キャンディーズやピンク・レディーの後を追うように、2〜3人編成の女性アイドルグループが続々とデビューした。1977年のアパッチ、キャッツ★アイ、1978年のトライアングル、1979年のフィーバーなどである。ギャルもそのなかのひとつだった。
このアイドルグループは、日本テレビ系のオーディション番『スター誕生!』からソロデビューしたもののセールス的に苦戦した黒木真由美、目黒ひとみ、石江理世の3人をセットにして売り出したものだ。残念ながら毛利元就の言う通りにはならず3本の矢でも簡単に折れてしまい、シングル4枚で解散となる。だが、当時は音楽番組が多く、バラエティ番組や情報番組にも歌のコーナーがあったため、ギャルもそれなりにテレビに露出していた。雑誌にも取り上げられた。おそらく、彼女たちが日本で “ギャル" という言葉を広くメディアに乗せたパイオニアではないだろうか。
「GALS LIFE」創刊で認知度がアップ
1978年の夏には、ティーンエイジャーの女性をターゲットとした総合雑誌『GALS LIFE』が主婦の友社から創刊された。ここで “ギャル” が “ガール” の別表現であることが明確に示された。1980年代には過激な性表現が問題視され、国会で取り上げられることになる同誌だが、創刊当初は主にアメリカのガールズファッションや生活を推す雑誌だった。創刊号のメイン特集のタイトルは “西海岸ギャルズのスクールライフ" とある。当時は『POPEYE』(平凡出版 / 現:マガジンハウス)がアメリカ西海岸カルチャーをファッションやライフスタイルのお手本として取り上げていて、その女性版ともいえる要素があったのだ。ここでの “ギャル" には、アメリカのスタイリッシュな若い女性たちを象徴する代名詞としてのニュアンスが感じられる。
再び『週刊セブンティーン』の見出しに “ギャル" という文字が登場したのは『GALS LIFE』創刊とほぼ同時期のことだった。
「ニッポンのギャルズ・パワーに青い目もびっくり!」
これは、フジテレビが作った女子野球チーム「ニューヤンキース」のアメリカでの試合を、現地滞在中のピンク・レディーが応援した… という旨の記事だった。アメリカの女性を “青い目” と表現するステレオタイプバイアスは引っかかるが、いずれにしても、この“ニッポンのギャルズ”という見出しには “今どきの若いアメリカ女性≒ギャル” の日本版といった意味合いがあるように思えてならない。
GALが大きく広まったのは1977年
“ギャル ≒今どきの 若いアメリカ女性” のニュアンスは、その後も一部に残るが、1979年になると “ギャル” は “ガール” とほぼ同義の言葉として一気に広がっていった。2つを比べるとガールよりもギャルのほうが新しい時代をイメージさせたが、ガールが古臭いイメージになった訳でもなかった。
『週刊セブンティーン』には “サマー・ギャル” “学園祭ギャル” “カメラGAL” “スキーGAL” といった見出しが、ほぼ毎号のように登場するようになる。杏里、竹内まりや、越美晴、堀川まゆみといった当時のニューミュージック系、現在ならシティポップ系に分類される新人女性ミュージシャン4名を紹介する記事には “4GALS おもしろリサーチ” というタイトルがつけられていた。
一方、創刊2年目の1979年『GALS LIFE』は、アメリカのギャル文化を紹介する路線を継続しつつ “自由が丘ギャルズ” といった言葉も使い始め、ギャルの幅を広げていた。ファッションページでサーフファッションを推すなど、1990年代後期のギャルファッションの源流ともいえる要素も含まれていた。だが、あくまで含まれている程度。“これが、ギャルファッションのオリジンだ!” とは断言できるようなものではない。
沢田研二のヒット曲で全国区に
1979年5月、ギャルと周辺文化史において極めて重要な出来事があった。ヒットチャート上位の常連であるトップスター沢田研二のシングル「OH!ギャル」(作詞:阿久悠 / 作曲:大野克夫 / 編曲:船山基紀)のリリースだ。時事性のある歌詞を書くことで知られる阿久悠が、時代の最先端を走っていたジュリーの曲に “ギャル" を取り入れたのだ。これはデカかった。その影響力はアイドルグループの “ギャル” とは比較にならないほどだった。
「OH!ギャル」の歌詞は、「♪女は誰でもスーパースター」「♪女の辞書には不可能はないよ」と女性全般を称賛する内容だ。どちらかというと “ギャル=ウーマン” という感じで使っている。ジュリーはこの曲が嫌いだったらしいが多くのテレビ番組で披露し、“ギャル” という言葉を連発した。これによって小学生ですら、なんとなく “ギャルとは女性のことである” という認識を持つようになった。
同じ頃、第一線の音楽評論家であり、80年代以降は作詞家としても活動する湯川れい子が自身の日記をまとめた『一億人のGALSたちへ』(CBS・ソニー出版)という書籍を出版している。阿久悠や湯川れい子といった言葉のプロが “ギャル” に飛びついたのが1979年だった。
後の “女子大生ブーム” の前段を描いたドラマ「体験時代」
また、この年から “ギャル” が別のニュアンスで使われる流れも生まれた。それは、若い女性を性的な視点で商品化・消費する表現としての “ギャル" だ。『週刊プレイボーイ』(集英社)は “サマーギャル” “フレッシュギャル" といったワードを積極的に表紙に掲載した。その他の男性向け雑誌も、堰を切ったようにギャルという言葉を使用するようになった。
一方、東京12チャンネル(現:テレビ東京)では、若い女性を性的な視点で商品化・消費した典型的なテレビドラマ『プレイガール』の後継番組が放送されていた。タイトルは『ザ・スーパーガール』。その方面において “ギャル" の使用がマストでもなかったことがわかる。
1979年10月から12月、まさに80年代の前夜に『ザ・スーパーガール』と同じ東京12チャンネルで『体験時代』というテレビドラマが放送されていた。これは、相本久美子、竹田かほり、石田えり、清水めぐみ、谷川みゆきらが出演する、後の “女子大生ブーム” の前段を描いた作品として貴重な映像資料である。
ディスコ、ナンパ、洋楽、テニス、スキー、イベント、ブランド、ニュートラ、プレッピーといった “女子大生ブーム” 的カルチャーが随所に描かれている。主題歌は杏里の「インスピレーション」(作詞・作曲:尾崎亜美 / 編曲:佐藤準)というシティポップである。すでに “ナウなんて言葉はもうナウじゃない” という興味深いセリフも登場する。
横浜の女子大学に通う主人公たちは、何にでも積極的に挑戦することを目指して “クラブ・キャリア・ギャルズ” というサークルを作る。彼女たちはいろいろなアルバイトをやり、スポーツにトライし、ときには人助けのために汗を流す。もちろん恋愛もする。ここでの “ギャル" は、男性週刊誌の “ギャル” とは異なる。『おむすび』で描かれたギャルとはかなり違う。“アクティブに生きる新しい時代の若い女性” といったニュアンスが強いのである。
1979年というのは、目前に迫る80年代への期待が高い時期だった。日本では、その後のどのディケイドの幕開けよりも、80年代の始まりほど新時代感到来のムードが高まったタイミングはなかった。当時の “ギャル" という言葉は、まさにそんな時代の空気にマッチしていた。