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細野晴臣が日本の音楽シーンに与えた影響 ④ キャラメル・ママからティン・パン・アレー

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1973年05月25日 細野晴臣のファーストアルバム「HOSONO HOUSE」発売日

細野晴臣が日本の音楽シーンに与えた影響 ④

はっぴいえんどの解散直前となる1972年末、キャラメル・ママ結成


スタジオミュージシャンの集合体であるティン・パン・アレーの登場は画期的だった。それまでも、石川晶(ds)、杉本喜代志(g)、鈴木宏昌(key)、江藤勲(b)などによる “石川晶とカウント・バッファローズ” や、猪俣猛(ds)、水谷公生(g)、大原繁仁(key)、鈴木淳(b)などによる “猪俣猛とサウンド・リミテッド” など、スタジオワークを行うグループは存在したが、共に本来はジャズコンボ。ポップスでのスタジオミュージシャンの集合体ということでは、ティン・パン・アレーが先駆者的存在だった。

はっぴいえんどの解散直前となる1972年末に、細野晴臣(b)と鈴木茂(g)は、新たなバンドの結成を画策する。小坂忠&フォー・ジョー・ハーフに在籍していた松任谷正隆(key)と林立夫(ds)とともに、新バンドとしてキャラメル・ママを結成した。初仕事は、1973年の細野のファーストソロアルバム『HOSONO HOUSE』のレコーディングで、埼玉県狭山市の稲荷山公園の近くの通称アメリカ村にあった細野の自宅で行われた。

これは、ザ・バンド『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』(1968年)や、ジェームス・テイラー『ワン・マン・ドッグ』(1972年)などの、海外のミュージシャンのホーム・レコーディングに刺激されたのがきっかけだった。さらに、スライ&ファミリー・ストーン、ビリー・プレストン、リトル・フィート、ヴァン・ダイク・パークスなどの影響が抽象的に入り込んだ作品となり、『HOSONO HOUSE』はベルウッド・レコード(キングレコード )より、1973年5月25日にリリースされた。

本作には、吉田美奈子や西岡恭蔵などのカバーのほか、後にアニメ『新あたしンち』(2015年)のエンディングテーマにも使用された「ろっか・ばい・まい・べいびい」、ティン・パン・アレーや “ハリーとマック” でセルフカバーされる「CHOO CHOO ガタゴト」、斉藤任弘に提供した「終りの季節」、矢野顕子、中村一義、サニーデイ・サービスによってカバーされた「恋は桃色」、高田漣やCorneliusにカバーされた「薔薇と野獣」などを収録。あくまで、細野のソロ名義だが、演奏者はキャラメル・ママの4人に駒沢裕城(steel g)のみで、実質的にはキャラメル・ママのファーストアルバムと認識することもできる。ただし、キャラメル・ママの名前はまだクレジットされていなかった。

同年に、吉田美奈子『扉の冬』、荒井由実『ひこうき雲』などに参加。ミュージシャン同士でアレンジを組み立てていくヘッドアレンジで制作されており、モデルはマッスル・ショールズ・リズム・セクションだった。1974年に入ると、アグネス・チャン、雪村いづみ、ザリバ、麻田浩、南沙織、スリー・ディグリーズ、殿岡ハツエなどのレコーディングを担当する。中でも 雪村とは、“雪村いづみ+服部良一+キャラメル・ママ” 名義で『スーパー・ジェネレイション』をリリース。アーティスト名がキャラメル・ママ名義の作品としては唯一の作品となった。当初はバンドとしての構想だったキャラメル・ママは、この頃にはプロデュースチームやレコーディングチームというスタイルに変化していた。

キャラメル・ママからティン・パン・アレーへ


夏には、ティン・パン・アレーに改称。あくまでも4人をベースとしながらも、伊藤銀次(g)、佐藤博(key)、矢野誠(key)、矢野顕子(key)などが参加することもあり、セッションミュージシャンの集合体のようになってくる。

改称後に演奏を担当したアーティストは、小坂忠、矢野顕子、吉川忠英、かまやつひろし、沢田研二、風コーラス団、ハイ・ファイ・セット、いしだあゆみなど。中でも、“いしだあゆみとティン・パン・アレイ・ファミリー” 名義( “アレー” ではなく “アレイ” )でリリースした『アワー・コネクション』(1977年)は、レア・グルーヴとして90年代以降に再評価された。ほか、ドラマ『はぐれ刑事』(1975年)や映画『宵待草』(1975年)の音楽も担当した。

また自らも、『キャラメル・ママ』(1975年)、『ティン・パン・アレー 2』(1977年)、 前田憲男とティン・パン・アレー『ソウル・サンバ』(1977年)、女性コーラスグループのパラシュートとの共演作『メルヘン・ポップ』(1979年)をリリースした。なお、『メルヘン・ポップ』には、細野はイエロー・マジック・オーケストラなどで多忙だったため不参加となっている。実際には、この『メルヘン・ポップ』をリリースしたころにはティン・パン・アレーは自然消滅していた。

バックバンドやプロデュースチームとしての活動に移行していったティン・パン・アレー


1998年には松任谷由実の『ノイエ・ムジーク』収録曲の2曲でティン・パン・アレーが復活。2000年には、細野晴臣、鈴木茂、林立夫3人のTin Pan名義で『Tin Pan』(2000年)を、矢野顕子+Tin Pan 名義で『さとがえるコンサート』(2015年)と矢野顕子+Tin Pan PartⅡ名義で『さとがえるコンサート』(2016年)をリリースした。

バンドとしてスタートしながらも、高い演奏力と音楽的センスで、バックバンドやプロデュースチームとしての活動に移行していったティン・パン・アレー。その後に登場した、トランザム、ミッキー吉野グループ、惣領泰則&ジム・ロック・スーパー・セッション(惣領泰則&ジム・ロックス)、TALIZMAN、パラシュート(前述のコーラス・グループとは同名別グループ)など、同志向のグループの先駆者として、フォーマットを確立した功績は大きい。

参考文献:
前田祥丈:編『音楽王細野晴臣物語』(シンコーミュージック / 1984年)
細野晴臣『レコード・プロデューサーはスーパーマンをめざす』(徳間書店 / 1984年)
北中正和 編『細野晴臣インタビュー THE ENDLESS TALKING』(平凡社 / 2005年)
『レコード・コレクターズ』2005年4月号(ミュージック・マガジン / 2005年)
門間雄介『細野晴臣と彼らの時代』(文藝春秋 / 2020年)

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