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アメリカ建国の礎となった二人の「民間人」と「神話」とは。【世界史のリテラシー:和田光弘】

NHK出版デジタルマガジン

アメリカ建国の礎となった二人の「民間人」と「神話」とは。【世界史のリテラシー:和田光弘】

「人工国家」アメリカの独立には、建国神話が必要だった

建国から250年を迎え、今なお世界一の経済大国として覇権を握り、大統領選挙や技術開発など、政治・経済両面で注目を集めるアメリカ。

名古屋大学教授の和田光弘さんによる『世界史のリテラシー アメリカは、いかに創られたか ~レキシントン・コンコードの戦い』は、「人工国家」ともいえるアメリカが国民統合を進めるために生み出した「二つの神話」をもとに、アメリカという国の成り立ちと、超大国を動かす原動力を読みときます。

今回は、著者の和田さんによる本書へのイントロダクションを紹介します。

二つの問い(はじめに)

 南北戦争以前のアメリカ史において、最もポピュラーな人物と言われたら誰を思い浮かべるでしょうか。ワシントン、リンカーン、フランクリン……? それでは政治家や軍人を除いてと言われたら? じつはここにひとつの興味深いデータがあります。ニューヨーク州立大学バッファロー校教授のМ・H・フリッシュが、同校のアメリカ史概説のクラスにおいて、一九七五年から八八年にかけて上記二つの質問について、すぐに思い浮かぶ十名を学生に問い、その反応を集計したものです。クラスの規模は四十人ないし二百七十人で、のべ約千人が回答しました。この結果にさらに手を加え、簡潔にまとめ直したのが次の二つの表です。

 さて、最初の問いに対する反応(上の表)は、いわば予想通りといってよいでしょう。第一位が初代大統領ワシントン、次いで第十六代大統領リンカーン、第三代大統領ジェファソン、ベンジャミン・フランクリン……といった具合です。しかし、政治家や軍人を除くとの条件を付した第二の問いに対する回答(下の表)は、少なくともわれわれ日本人にとっては、かなり意外なものでしょう。すなわち第一位がベッツィ・ロス、次がポール・リヴィア、さらにジョン・スミス、ダニエル・ブーン、コロンブスなどとなっています。コロンブス(また、綿繰り機を発明したホイットニー)を除いて、他はあまり一般に聞きなれない名前ではないでしょうか。これは、一般のアメリカ人が日本史のフォーク・ヒーロー──たとえば水戸黄門、大岡越前、石川五右衛門ら──について、おそらくはまったく無知であるのと同様の事態といってよいと思います。

 ちなみに一九九〇年代初頭に同様の調査を、ハーヴァード大学名誉教授のL・T・ウルリックが、当時教鞭をとっていたニューハンプシャー大学の学生を対象に実施したところ、ほとんど同様の結論が得られたということです。ただし、彼女が二〇〇四年にやはり同様の調査をハーヴァード大学の学生二百名におこなったところ、第一の問いについての回答はまったく同じでしたが、第二の問いについてはかなり様相が異なり、「ワシントン夫人」や「リンカーン夫人」などの回答や、回答紙が空欄のケースも目立ったということです。結果としてポール・リヴィアが一位、ベッツィ・ロスは七位となりましたが、全体に回答が散らばり、有意な結論は得られなかったようです。

アメリカ建国二百周年を記念して一九七五年に イギリスでエノク・ウェッジウッド社が製作した リバティ・ブルーのシリーズ。砂糖入れにはベッ ツィ・ロスの絵柄が、クリーム入れにはポール・リ ヴィアの絵柄が描かれている(著者蔵・撮影)

 本書では、南北戦争以前の最もポピュラーな「一般人」として認知されている前掲「下の表」の第一位と第二位の人物、すなわちベッツィ・ロスとポール・リヴィアについて検討を加え、なぜ彼女/彼がかくもポピュラーな存在となり得たのか、詳しく見てゆきます。上の写真のティーセットからもわかるように、並び立つ両者はアメリカの「建国神話」の文字どおり中枢に位置しており、両者をめぐる歴史的展開は、建国神話の形成過程そのものといえましょう。そこにおいてわれわれは、アメリカ人の「集団記憶」の中で変容する文化的アイコン(イコン)の姿を垣間見ることができるのです。つまり、アメリカの建国神話を手掛かりとして、この国がいかに創り上げられたのか、この国を成り立たせているものは何か、探ってゆく試みです。

 やや大上段に振りかぶっていうならば、そもそも君主の存在しない共和制国家では、国家という抽象的な存在それ自体に対して直接、忠誠心を抱かせる必要があります。しかし、政治学者のベネディクト・アンダーソンのいう「想像の共同体」を想像するためには、やはり具体的なイメージは不可欠なのであって、英雄や国旗など、さまざまなシンボルが国民化のために総動員されました。国民化とは、中央のエリート層、すなわち「公式文化」の側からの操作(「名づけ」)によってのみ達成されるわけではなく、一般の民衆、すなわち「ヴァナキュラー文化」の側の同意(「名乗り」)も得る必要があります。両者のヴェクトルの合力(ごうりょく)として、国民化は推進されるのです。

 しかし多様な民族・人種からなり、東部から西部まで地域差も大きい人工国家=合衆国において、この国民化・国民統合の課題はとりわけ困難なものといえました(実際、南北戦争の勃発で、国民化のプログラムは破綻の危機に瀕しました。少なくともこの戦争まで、連邦の存在は州と比べて、あまりにも見えにくいものでした)。ともあれ、人種、民族、階級という多様な社会層をまとめあげ(「垂直の統合」)、セクションや州などの地域差を克服して(「水平の統合」)、文字どおり「想像の共同体」を人工的に創り上げる努力がなされたのであり、その過程で、たとえば州民は国民となってゆきました。

 このようなナショナル・アイデンティティ、国民意識の創造は、「ヴァナキュラー文化」を巻き込む形で巧みに進行し、その過程において建国神話の果たした役割は決定的でした。「新しい」人工国家であるがゆえに、むしろ建国神話が必要とされたのです。それは、いわばこの国の制度設計=ハードウェアを支え、国を動かすソフトウェアと言い換えてもよいでしょう。

 本書では、独立戦争の始まりを告げたレキシントン・コンコードの戦いに焦点を当てますが、この戦いこそ、ポール・リヴィアを(のちに)建国の英雄として祭り上げた事件でした。レキシントン・コンコードの戦いは、わが国では高校世界史の教科書にも必ず出てきますが、この戦いの端緒におけるリヴィアの役割については、ほとんど知られていないと思います。しかし、真夜中に馬で疾駆して情報を知らせた彼の勇気ある行動などは後世、レキシントン・コンコードの戦いを記念する「愛国者の日」を彩る行事となり、十九世紀末から、あのボストンマラソンも連綿と開催されているのです。本書では、レキシントン・コンコードの戦いの史実を詳述するとともに、リヴィアの神話化の過程を追跡します。

 また、星条旗を生み出したとされるベッツィ・ロスについても、史実と伝説のあわいを解き明かしてゆきたいと思います。さあ、アメリカはいかに創られたのか、一緒に見てゆきましょう。

『世界史のリテラシー』では、「アメリカ独立戦争はいかにして始まったか?」「アメリカ独立革命はどのように展開したのか?」「ベッツィ・ロスと星条旗の神話はいかにして生まれたのか?」「建国のアイコンはなぜ、どのようにして生成されたのか?」という4章で、アメリカを動かす「原動力」について考えていきます。

著者

和田 光弘(わだ・みつひろ)
1961年広島県生まれ。名古屋大学大学院文学研究科教授。大阪大学文学部卒業、大阪大学大学院文学研究科博士後期課程退学。博士(文学)。専門はアメリカ近代史。主な著者に『植民地から建国へ――19世紀初頭まで(シリーズ アメリカ合衆国史1)』『タバコが語る世界史』『紫煙と帝国――アメリカ南部タバコ植民地の社会と経済』『記録と記憶のアメリカ――モノが語る近世』など。
※刊行時の情報です。

■『世界史のリテラシー アメリカは、いかに創られたか ~レキシントン・コンコードの戦い』より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビ等は権利などの関係上、記事から割愛しています。

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