【古代中国の宮女たち】どのように寂しさを紛らわせていたのか? 驚きの方法
古代中国の宮廷は華やかさの象徴でありながら、そこに暮らす者たちには厳しい規律と孤独がつきまとった場所でもあった。
特に、皇帝やその家族に仕える宮女たちは、家族や自由を犠牲にして宮中に入る者が多かった。
宮女たちは一定の高さの生活水準はあるものの、家に戻ることも許されず、宮中の男性と関係を持つことも禁じられていた。
彼女たちのほとんどは妙齢の少女たちであり、容姿も悪くない上に、思春期の真っただ中にあった。
そんな宮女たちは、一体どのように寂しさを紛らわせていたのだろうか。
宮廷での宮女たちの暮らし
『漢書』などの記録によれば、宮女は幼少期に地方の貧しい家庭から徴集されることが多かった。
宮廷に入った彼女たちは、身分に応じて日々の雑務や妃嬪の世話を行う生活を送っていた。
宮廷での暮らしは一見すると恵まれているように見えるが、実際には外界との接触がほぼ完全に断たれた閉鎖的な世界であり、強い孤独感と疎外感に苦しむ者も多かったという。
家族との面会は事実上不可能で、皇帝の寵愛を得ることが叶わなければ、一生をこの孤独の中で過ごすことになる。
さらに、皇帝の寵愛を得るための競争は熾烈を極め、敗れた者たちは精神的な疎外感に加え、他の宮女たちからのいじめや、妃嬪の冷遇を受けることもあった。
このような中、宮女たちは孤独を紛らわせるため、さまざまな方法を模索したのである。
宮女たちの孤独を支えた「対食」とは
宮女たちの孤独を紛らわせる方法の一つとして知られるのが「対食(對食)」である。
この言葉は本来、文字通り「一緒に食事をする」という意味であるが、宮廷では宮女同士、あるいは宦官との特別な関係を指すようになった。(※宦官とは貴族や宮廷に仕えた去勢された男子)
『漢書』の記録によれば、対食は元々、宮女同士が夫婦のように振る舞う、同性間の親密な関係を指していた。
皆曰宮即曉子女,前屬中宮,為學事史,通詩,授皇后。房與宮對食。
意訳 :
皆が言うには、宮女の曹暁は趙昭儀(成帝の皇后・趙飛燕の妹)に仕えていて、以前は皇后のもとで働き、詩を教える役目をしていた。曹暁は宮女の道房と親密な関係(対食)にあった。
『漢書 : 外戚傳下』
こうした関係は、宮廷内での孤独感を和らげる役割を果たしたが、時には強い嫉妬や対立を引き起こす原因ともなった。
宮女と宦官(太監)の対食
時代が進むにつれ、「対食」は宮女と太監(宦官)の間でも見られるようになった。(※明清時代からは宦官=太監のニュアンスが強くなるので以後、太監と記す)
特に明代では、対食が宮廷内で広く行われていた。
明代の『萬暦野獲編』には
宮掖之中,怨旷无聊,解馋止渴,出此下策耳
意訳 :
宮中において、(人々は)孤独や虚しさを抱え、それを紛らわせるために低俗な手段を取った。
『萬暦野獲編 内監·對食(対食)』
とあり、これは宮廷内の孤独な環境が原因であったと記されている。
太監は生殖能力を持たないため安全な相手と見なされ、宮女たちにとっては心の支えとなる存在だった。
対食は必ずしも性的関係を伴うものではなかったが、太監が宮女の生活を支えるために物資を提供したり、共に時間を過ごすことが一般的だった。
また、もし長い間「対食」の相手がいなかった場合、同僚の宮女たちから「捨てられた物」として冷笑されることもあったという。
このような関係は、宮廷という閉鎖的な環境において、孤独や苦しみを紛らわせるための最終手段であったといえる。
太監との「菜戸」とは
「菜戸(さいこ)」は、対食よりもさらに深い関係であり、宮女と太監が結婚はしないものの、互いを一生の伴侶とすることを意味する。
菜戸は、明代で特に普及した。
菜戸は経済的にも社会的にも安定をもたらし、宮廷内で暗黙のうちに認められており、皇帝や皇后に「お前の菜戸は誰だ?」と気軽に聞かれることもあったという。
凡內人呼所配為萊戶,即至尊或亦問曰:「汝菜戶為誰?」
意訳 :
宮女たちは自分に割り当てられた太監を「菜戸(さいこ)」と呼んだ。皇帝でさえ、時には「お前の菜戸は誰だ?」と尋ねることがあった。
『萬暦野獲編 内監·内廷結好』
菜戸関係において、太監は宮女のために全力を尽くし、宮女も太監を大切にすることが多かった。
しかし、感情のもつれで恋敵同士の争いが起こったり、ある太監が宮女との関係で失恋し、出家してしまったという例もある。
一方で、宮女が亡くなった後も太監が彼女を想い続け、その霊を弔うこともあり、深い愛情関係で結ばれることもあったようだ。
宮廷外の「黒車」の存在
しかし、すべての宮女が太監や他の宮女との関係に満足していたわけではない。
宮廷内では、「黒車(こくしゃ)」と呼ばれる秘密の手段によって、外部の男性との接触を図る者もいた。
この黒車とは、財産を用いて若い男性を宮廷に密かに呼び寄せる行為で、宮女や妃嬪に提供される商売だったとされる。
こうした行為は極めて秘密裏に行われていたが、発覚すれば厳しい罰則が科せられた。それにもかかわらず、宮女たちはこうした手段を利用することで心の拠り所を見出そうとしたという。
ただし、これが実際にどれほど行われていたかについては、史料が断片的であり、推測の域を出ない。
おわりに
宮女や太監の孤独は、当時の社会構造から生じたものであった。
宮廷の厳格な階級社会において、彼女たちは単なる「歯車」の一つとして扱われることが多く、個人の自由や幸せは二の次とされた。このような社会の中で、宮女や太監が孤独を共有し、支え合おうとするのは自然な流れであったと言える。
また、こうした関係は一部の者にとっては、権力闘争や地位の安定の手段ともなり得た。
太監が皇帝に近い存在であるため、彼らを通じて地位を向上させようとする宮女も少なくなかったのだ。
いずれにせよ、彼女たちが太監や他の宮女と特別な関係を築き、孤独を紛らわせようとしたのは、人間として当然の感情の表れであったといえよう。
参考 : 『漢書』『萬暦野獲編』他
文 / 草の実堂編集部