だから韓国の物語は面白い! 見る者をやきもきさせる「コグマ」の正体――【連載】金光英実「ことばで歩く韓国のいま」
人気韓国ドラマ『梨泰院クラス』『涙の女王』などを手掛けた字幕翻訳家が、韓国のいまを伝えます
流行語、新語、造語、スラング、ネットミーム……人々の間で生き生きと交わされる言葉の数々は、その社会の姿をありのままに映す鏡です。本連載では、人気韓国ドラマ『梨泰院クラス』『涙の女王』などを手掛けた字幕翻訳家が、辞書には載っていない、けれども韓国では当たり前のように使われている言葉を毎回ひとつ取り上げ、その背景にある文化や慣習を紹介します。第1回から読む方はこちら。
#11 고구마(コグマ)
韓国のテレビをぼんやり眺めていたある朝、目に留まったのは「北朝鮮では、さつまいもデートが熱い」という特集だった。
平壌の街角で、焼き芋を買い、女性に手渡す青年たちの姿が映し出された。さつまいもは、スイーツであり、贈り物であり、ちょっとした“愛情のしるし”。「デートでさつまいもをごちそうする」というのが、北朝鮮では気の利いた行動とされているらしい。
その映像を見ながら、私はふと、韓国でのさつまいも文化に思いをはせた。韓国語でさつまいもは「고구마(コグマ)」という。私はこの単語を初めて聞いたとき、「えっ、子熊??」と首をかしげてしまった。やさしくて、ちょっとかわいらしい響きに、思わず笑ってしまったのを覚えている。
けれどこの고구마(コグマ)、韓国ではただの甘いおやつではない。ときに、ネットやドラマの中で、人の感情そのものを映し出す比喩として使われることがある。それが「고구마 먹은 느낌(コグマ モグン ヌッキム)」――さつまいもを食べたときのように、のどにつかえて、胸が苦しくて、息が詰まりそうな感覚だ。
そう、고구마(コグマ)は、視聴者の心をかき乱し、自然と“イラッ”や“共感”の声を引き出してしまう、感情のスイッチのような存在でもあるのだ。
今回は、고구마(コグマ)というかわいらしい言葉の奥にある、韓国ならではの感情のかたちを探ってみたい。
さつまいもが示す感情
たとえば、恋人たちが誤解したまま、すれ違い続けるドラマ。言い返せばいいのに黙ってしまう主人公、目の前にチャンスがあるのに一歩踏み出せないキャラクター、悪役の思惑どおりに動いてしまう脇役たち。
観ているこちらは、もどかしくて、ため息が出てしまう。韓国では、ドラマの放送中にネット掲示板やSNSでリアルタイムに感想を交わす「実況文化」が定着していて、そんなシーンを「고구마 전개(コグマ チョンゲ=さつまいも展開)」と呼ぶ。「고구마(コグマ)を100個食べた気分」「胸に고구마(コグマ)が詰まったようだ」などと、少々大げさに言って笑い合うこともある。
고구마 전개(コグマ チョンゲ)は、2010年代に入ってからネット小説やドラマ、ウェブ漫画などを語る若い世代の間で広がった俗語だ。
ネットでは「うわ、いまの展開고구마(コグマ)すぎ!」といったコメントが飛び交う。とくに女性向けのコミュニティでは「고답ダ(コダブ)」(고구마[コグマ=さつまいも]+답답[タプタプ=もどかしい])と略されたり、「고답이(コダビ)」(고답[コダ=もどかしい]+이[ピ=ヤツ])と、登場人物を揶揄したりする表現にも派生した。
自分の感じたことをその場で言葉にして、誰かと分かち合う――日本と同様、それが韓国のネット文化ではごく自然に行われている。誰かが「苦しい」とつぶやけば、「分かる、それ私も!」とすぐに声が返ってくる。そんな言葉のキャッチボールの中から、こうした比喩も自然に生まれ、育っていく。
この表現が面白いのは、食べたときの身体感覚が、そのまま感情の比喩(メタファー)になっていることだ。焼き芋や蒸したさつまいもは水分が少なく、口の中でもそもそとまとわりつく。よく噛まずにのみ込もうとすると、のどにつかえて苦しくなる。
その「うっ……」というつかえが、感情の詰まりと重なるわけだ。観ていて胸がむずがゆくなる展開には、「고구마(コグマ)だね」とつぶやくのが、いまやすっかり定番になっている。
じれったさを吹き飛ばす爽快感
さらに興味深いのは、その対義語として「사이다 전개(サイダ チョンゲ=サイダー展開)」という言葉があることだ。사이다(サイダ)は炭酸飲料のこと。スカッとする爽快感を表す。
正義感あふれる登場人物が悪役を一喝する、長年の誤解が一気に解ける、愛の告白が真正面から炸裂する。そんな場面には、SNSのコメント欄が「사이다(サイダ)~~~!」の歓声で埋め尽くされる。まさにリアクション芸といっていい。
고구마(コグマ)(詰まり)から、사이다(サイダ)(解放)へ。このコントラストがあるからこそ、韓国の物語は多くの視聴者に「気持ちよさ」を提供できるのだろう。
ただ、Z世代の若者たちは、고구마(コグマ)耐性が以前より低くなっているとも言われている。「さっさと話進めて」「その誤解、何話引っぱるの?」と、SNSや動画コメント欄に辛辣な反応が並ぶ。テンポの速いコンテンツに慣れた若い世代にとっては、もどかしい展開そのものがストレスなのかもしれない。
それでもなお、고구마(コグマ)展開は根強い人気を保っている。むしろその”苦しさ”があるからこそ、사이다(サイダ)がいっそう映える。じれったさと爽快感。その強いコントラストこそが、韓国的なストーリーテリングの特徴なのだ。
고구마(コグマ)は、体にじんわりと残るその「重さ」や「もどかしさ」が、感情の比喩としてしっくりくる。そして、それを乗り越えたとき、사이다(サイダ)のように冷たくて爽快な感情が訪れる。
こうした起伏のある展開は、まるで人生そのものだ。感情が張り詰めたあとの解放。人生は葛藤とカタルシスの連続だ。
食べ物を使った韓国語の比喩表現
食べ物としての고구마(コグマ)も、韓国では人気を誇っている。
秋から冬にかけては、路上の屋台から焼き芋の香りが立ちのぼり、学生や会社員がほかほかのさつまいもを手に歩く姿があちこちで見られる。コンビニでも、焼き芋専用の保温ケースが登場する。
“健康食”としても定着している。食物繊維が豊富で腹持ちがよく、カロリーも低め。ダイエット中の軽食としても人気で、皮ごとラップに包んで持ち歩く「고구마(コグマ)ダイエット」はSNSでもいっとき話題になり、多くの若者が実践していた。
このように、現実でも고구마(コグマ)の存在感が強いからこそ、「고구마(コグマ)展開」という比喩も、よりリアルに感じられるのかもしれない。焼き芋のホクホクとした甘さの裏側にある、のどにつかえるような重たさ。それが感情のもどかしさと自然に重なるのだ。
韓国語には、食べ物にたとえた比喩が本当にたくさんある。「된장녀(テンジャンニョ=味噌チゲ女)」は、味噌チゲを好んで食べる庶民派を装いながら、実はブランドにこだわる女性をからかう言葉。
揶揄表現だけではない。「꿀잼(クルジェム)」はハチミツのように甘くて面白い、つまり「超面白い」という意味で使われるし、「꿀떨어지다(クルトロジダ)」は、ハチミツが垂れそうなほど甘い恋人同士の様子を表現する言葉だ。
さらに、「밥심(パプシム)」=“ごはんの力”でがんばるという表現は、食べ物を通して生きるエネルギーや気力まで語ってしまう、なんとも韓国らしい言葉だ。感情や人間像までもが、日常の味覚にのせて伝えられるのだ。
고구마(コグマ)もそんな「味覚で気持ちを語る言葉」のひとつ。五感と感情が地続きでつながっている、韓国語ならではの表現文化の豊かさを感じさせる。
人生はさつまいもとサイダーのように
いまの世の中は、すぐに白黒つけられないことだらけだ。
伝えたいことがうまく言えなかったり、気持ちだけが宙ぶらりんになったり――そんな고구마(コグマ)のようなもどかしさを抱える時代だからこそ、사이다(サイダ)のようなひと言に、心がすっと軽くなることがある。
けれど、現実の人生では、すべてがスカッと片づけてくれるわけではない。いつまでも進まない関係、どこかでつまずいたままの思い、うまく言葉にできない気持ち。そうした고구마(コグマ)的な瞬間を、無理に切り捨てなくてもいい。
のどにつかえたままのた고구마(コグマ)をゆっくりと噛みしめるような時間があるからこそ、사이다(サイダ)の炭酸が効いてくる。
ストーリーも人生も、きっとそうやって味わっていくものなのだ。
プロフィール
金光英実(かねみつ・ひでみ)
1971年生まれ。清泉女子大学卒業後、広告代理店勤務を経て韓国に渡る。以来、30年近くソウル在住。大手配信サイトで提供される人気話題作をはじめ、数多くのドラマ・映画の字幕翻訳を手掛ける。著書に『ためぐち韓国語』(四方田犬彦との共著、平凡社新書)、『いますぐ使える! 韓国語ネイティブ単語集』(「ヨンシル」名義、扶桑社)、『ドラマで読む韓国』(NHK出版新書)、訳書に『グッドライフ』(小学館)など。
タイトルデザイン:ウラシマ・リー