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アートで人生をサバイブしたルイーズ・ブルジョワの最大規模の個展が開催

タイムアウト東京

アートで人生をサバイブしたルイーズ・ブルジョワの最大規模の個展が開催

「六本木ヒルズ」を象徴するように配置された、ルイーズ・ブルジョワ(Louise Bourgeois、1911〜2010年)のパブリックアート『ママン』 。クモの形を模したこの彫刻を知っている人は多いと思うが、その作家であるブルジョワについて国内ではあまり知られていない。

72歳で開いた「ニューヨーク近代美術館(MoMa)」での個展で再評価され、98歳で没した遅咲きのブルジョワは、晩年の30年間で美術史に最も強い印象を残したアーティストだ。没後も年間5本ほど世界各地の主要美術館などで展示が開催され、評価は高まり続けている。しかし、日本国内では1997年の横浜での個展以来、開催されていなかった。

そんな中、六本木の「森美術館」で、国内27年ぶり、2回目となる最大規模の個展「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」が2025年1月19日(日)まで開催されている。

Photo: Kisa Toyoshima『カップル』(2003年)

心の傷を芸術として昇華

まず触れたいのが、今回の長いタイトルである「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」。作品の一部から取られたこのフレーズは、ブルジョワの人生、そして芸術を体現する言葉だ。

Photo: Kisa Toyoshima冒頭の展示風景

20世紀初頭のフランスに生まれ、5人一家の下で育ったブルジョワにとって、人間関係、特に両親や家族の近しい人との関係性、それに基づく感情は作品制作に直接影響している。早くに母を亡くし、その後父を亡くすと、ブルジョワはうつ状態に陥り、制作を続けられなかった時期があった。その後、精神分析の治療を受け、心の平穏と負の感情のバランスを保ちながら制作に復帰する。

Photo: Kisa Toyoshima『心臓』(2004年)

しかし、ブルジョワにとって、トラウマや不安・嫉妬・憎悪・殺意などの衝動的であり無意識下に存在する感情は、完全に治癒できるものとは思えなかったようだ。これらの感情や心の傷は制作において役割を果たすものであり、芸術として昇華させるものだと考えたブルジョワは、それを最晩年の98歳まで続けた。

Photo: Kisa Toyoshima『無題』(2009年)

「地獄は素晴らしかったわ」というブラックユーモアを交えた軽やかなブルジョワの言葉は、苦しみを抱えながらも地獄からはい上がり、人生を生き抜いた強靭(きょうじん)な心を表現している。

二面性を持つ作品群

会場では、母や父を主とした人間関係、そして、関係の修復や心の解放をテーマとした100点以上の作品群が空間を埋め尽くす。

Photo: Kisa Toyoshima『かまえる蜘蛛』(2003年)

母をテーマとした作品『かまえる蜘蛛』(2003年)は、母性の複雑性を表現したもの。クモが子どもに餌を与えるように、家族に惜しみない愛情を注ぐ母を表現すると同時に、獰猛(どうもう)な捕食者としての母性も表現する。

母とは、時に我が子を不安にさせる存在でもあり、他者に害を与えてまで子を守ろうとする暴力的な母性愛の側面を持つ。200キロの重量を持つ本作品は、非常に重厚感があり、鬼気迫るものがある。

Photo: Kisa Toyoshima『自然研究』(1984年)

犬と人間が合体したような作品『自然研究』(1984年)は、男性と女性、人間と動物の違いをも超えたような存在に見受けられる。ブルジョワの自画像でもあるという頭部のない姿からは、家族を守るために他者を威嚇することもいとわない番犬のような、母性の持つ二面性がここでも感じられるだろう。

Photo: Kisa Toyoshima『良い母』(2003年)
Photo: Kisa Toyoshima『授乳』(2007年)

また、授乳もブルジョワの作品によく登場する題材だ。ブルジョワにとって母乳は、子どもに尽くす愛情だけでなく、赤ん坊に自分を重ねることで、常に母親を必要としていた自分の弱さをも表している。

このように作品が持つ二面性は、ブルジョワにとっての重要な事柄であり、全ての事柄には相反する二つの意味が内在すると語っていた。

東京を背景に見る『ヒステリーのアーチ』

フェミニズムの要素も色濃いブルジョワの作品。彫刻作品『ヒステリーのアーチ』(1993年)は、女性由来のものといわれていたヒステリーを男性も持つものとして作られ、ブルジョワのアシスタントの男性をモデルとした。

Photo: Kisa Toyoshima『ヒステリーのアーチ』(1993年)

ヒステリーを起こしそうな耐え難いポーズをとった男性のアーチ像であるが、53階からの東京の風景をバックに、金色に美しく輝いている。

カニバリズムで昇華させた父をテーマにした作品

「攻撃しないと生きている気がしない、芸術は正気を保証する」というブルジョワは、衝動的に湧き上がる攻撃的な感情に形を与えることで、負の感情を対象物として観察し、手なずけていた。

Photo: Kisa Toyoshima『少女』(可憐版)(1968〜1999年)

20歳の時に母親が亡くなり、非常に落ち込んだブルジョワは、川に飛び込んで自殺しようとした。その中で父に助けられ、誰かに守ってもらいたいという感情を抱いたブルジョワは、家父長的で威張り散らす父に対して悪意を抱きながらも、愛されたいと願い、複雑な執着心に縛られる。

Photo: Kisa Toyoshima『父の破壊』(1974年)

赤く光る洞窟が不気味な空気をまとっているインスタレーション作品『父の破壊』(1974年)では、父を殺してその肉体を食卓で食べてしまうカニバリズムを表現する。愛憎相半ばする感情を、父を破壊し、体内に取り込むという形で昇華している。

異なる雰囲気を持つ心の解放をテーマとする作品

不安定な精神を傷口とし、それを糸で縫った作品『青空の修復』(1999年)では、バランスを整え、心に平安を取り戻そうとした跡が見受けられる。

Photo: Kisa Toyoshima『青空の修復』(1999年)
Photo: Kisa Toyoshima『クラマー』(1968年)

ポコポコと下から生まれているような彫刻作品『クラマー』(1968年)は、ブロジョワにとって自由・安定・解放を表し、それまでの父や母をテーマとした作品群とは異なる空気を醸し出している。

アートがあったからこそサバイブできた人生

心の葛藤を表現するためには一切の妥協を許さず、時に鑑賞者を圧倒させてしまうほどの大胆な発想力を形にしているブルジョワ。しかし、ショッキングな作品があることは認めつつも、観る者にショックを与えるつもりはなく、正確に表現しているだけだという。

Photo: Kisa Toyoshima『部屋X』(肖像画)(2000年)
Photo: Kisa Toyoshima『トピアリーⅣ』(1999年)

精神分析に取り組んだ結果、無意識の非合理性や予測不可能性など、無意識へアクセスできることは芸術家特有の能力だとブルジョワは考えた。一つ一つの作品をたどっていくと、さまざまな感情と向き合ったことが伝わってくる。拭い去れない感情をアートで分解したからこそ、人生を生き抜くことができたのだろう。

Photo: Kisa Toyoshimaブルジョワの精神分析的著述などを掲載した展覧会カタログ

最後に、これまで日本国内でブルジョワに特化した書籍がなかったため、今回熱量をもって同美術館が制作したカタログもぜひ手にとってほしい。六本木ヒルズのクモに対しての見方が変わるかもしれない一冊だ。

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