妊娠8ヶ月まで仕事継続。仕事大好き人間が、だんだんママになっていくまで
中1と小3の二人の子育て中の母で、ライターと消しゴムはんこ屋を営む”ミネキク”です。私は妊娠8ヶ月半まで、制作会社でコピーライターをしていました。企画を練り取材に行き、文章を書くこの仕事が好きでしたが、出産を機に退職することにしました。仕事をしながら、子どもを優先する自信がなかったのです。
「働きたくても無理は禁物」わかってはいるけれど
妊娠中は検診や母親教室で会社を何度も休みましたが、嫌な顔一つされませんでした。会社と仲間が協力してくれたおかげです。
妊娠初期は、食べづわりが辛かったです。空腹時に吐き気がするので、一口サイズのおにぎりを持ち歩き、通勤中の山手線車内で食べたことも。妊娠8ヶ月には、青森県八戸市へ出張。新幹線で揺られること3時間。おなかがパンパンに張ってきつかったです。ちょっと無理してしまいました。
退職後は疲れ果て、出産準備する余力がなかったです。
妊娠37週と2日で出産。歩きすぎたら、陣痛が!
里帰り出産のため、妊娠36週で実家に帰省。正期産の37週に入り、散歩がてらCDショップに出かけたのですが、「あれ〜お店がない?」と歩き続けるうちに2時間。だんだんおなかの張りが強くて辛いほどに。やっと帰り着き、バタっと布団に倒れこみました。
おなかはパンパンに張って痛い…これって陣痛? おりものもある、これが「おしるし」かも? 病院に電話し、駆け込みましたが、まだ前駆陣痛とのことで一旦帰宅。
本当の陣痛がわかるか、不安でいっぱいでしたが、翌日にはとんでもなく痛みが強まり、規則的になってきました。これは間違いなく陣痛だ。そこから、お風呂に入りご飯も食べて、病院に向かいました。
いとおしい!守りたい!母性本能が目覚めた瞬間
分娩まで結局9時間かかりました。陣痛室のソファで談笑する夫と実母に、「こんなに痛いのに、なに笑ってんの?!」と怒り心頭。助産師さんが腰をさすってくれるのが救いでした。母親学級で習った呼吸法を必死に思い出し、ああ、もっと真面目に聞いておけば!と後悔も。
トイレに立ったら、パン!と音がして、温かい水がドバッと出てきました。「これが破水?!」そのまま分娩台に上げられ、あまりの痛さに「もう体が壊れる、早く終わってくれ」という思いでいっぱいでした。
やっと出てきた息子は、生まれた途端“おしっこ”をしたそうです!妊娠37週と2日で生まれましたが、3200 gもありました。へにゃへにゃで温かくて重かった。この子を絶対に守る、という決意がこんこんと湧いてきました。
おっぱいが出ない! 息子と共に築いた母乳育児
息子は、おっぱいを一生懸命吸います。これがとっても痛い!そのうち息子の体重が減ってきて、母乳の出が悪いことが判明しました。「母親失格」の烙印を押されたようで、おっぱいのたびに「ダメなお母さんでごめんね」と泣いてばかりいました。
毎日息子の体重を計り、数グラムの加減で落ち込んだり、浮かれたり。ノイローゼになっていたかもしれません。でも、ミルクを足しつつ、毎回母乳をあげ続けたら、だんだん出るようになってきたんです。
それは、息子とのキャッチボールの感覚でした。「さあ行くよ〜、それっ」「パクッ」。やがて1ヶ月後、完全母乳に切り替えることができました。母も赤ちゃんも新米。一緒に親子になっていくんだと感じた出来事でした。
仕事をしながらの妊娠は、大変ではありましたが、楽しかったです。私の場合、早く辞めたら、マタニティブルーがつらかったかもしれません。出産準備も最低限でしたが、大丈夫でした。出産退職にも後悔はありません。子どもと向き合い、今しかない大切な時間を過ごせました。でも「いつからどんな風に仕事を再開するか」は、具体的に決めておけばよかったです。期限がないと、子どもと離れがたく、なかなか復帰できないし、モヤモヤしてしまうから。
[ミネキク * プロフィール]
ライター×消しゴムはんこ屋。中1と小3の母。制作会社のコピーライターでしたが、出産を機に退職。長男2歳の時、消しゴムはんこ屋を開始。現在はライター業も再開し、紙・WEB媒体の取材執筆を手がけています。親子で剣道やってます!
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。
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