玉井詩織、デビュー16年目でのリリースとなった初のソロアルバムへ込めた想いを存分に語ってもらった
デビュー16年、誰もがその名を知っているであろう国民的アイドル・ももいろクローバーZの玉井詩織が、昨年12か月連続リリースとなったデジタルシングルで約10年ぶりとなる音源を発表。2024年に入っては国際フォーラムで開催されたソロコンサートを2Days完売と、ソロアーティストとしてもその人気は盤石なものとなっている。そんな玉井が2024年6月4日(火)に初のソロアルバム『colorS』をリリース、満を持してのリリースとなった珠玉の16曲が収録された本作について、これまでとこれからの想いを含めて存分に語ってもらった。
――ももいろクローバーZにおけるご自分の歴史を振り返ってみて、人間的に変わったと思うところはありますか。
それは全部ですね。私には兄がいて、昔からすごく甘やかされてきたんです。なので割とわがままだったし、負けず嫌いだったし……負けず嫌いは今も変わってないんですけど(笑)、すごく我が強いタイプではあって。でも、グループで活動するとなるとそういうタイプって人とぶつかりやすいじゃないですか。
――そうですね。
だけど、周りがすごく優しかったこともあってぶつかることはほとんどなくて。でも、今お話したような自分のままでいると自分自身も疲れちゃうと思ったし、「自分が自分が」というよりも、グループとして一緒に活動していく中でみんなが気持ちいいように進んでいけるほうがいいなと思うようになったんです。
――そういう変化もあってソロ活動には気持ちが向かなかったんですね。
ももクロで活動し始めてから我が強い部分が本当になくなってしまって、どちらかというと自分のことよりも誰かのサポートをするほうが得意かもって感じたり、みんなで何かをするほうが楽しいっていう考え方に変わっていったり、そういった人間としての大事な部分は全部ももクロでの活動を通じて教えてもらったと感じています。もちろん、ソロでこういうお仕事をしてみたいっていう細かな願望はあったんですけど、自ら動いてソロ活動をするっていうのはちょっと違うなと思ってて。特に音楽活動に関しては、ももクロとしてしっかり活動ができているからソロで活動することの意味があんまり見出せてなかったんですよね。
――それは他のメンバーのソロ活動を見ていても、あまり変わらず?
あまり変わらずでした。他のメンバーのライブとかソロ活動はいちお客さんとして楽しんでるし、自分が一人でステージに立つとか、ソロ曲を出すというのはあんまり想像がつかなかったんですよね。「自分がライブをしてるところを想像してみてください」って言われると、やっぱりももクロとしてステージに立ってる画しか頭に浮かばなくて。もちろん、メンバーがソロコンをやる中で何度か自分にも「ソロコンサートやらない?」というお話はあったんですけど、「いやいやいや! できないし!」みたいな。自分でも分かってたんですけど、私は誰かが一緒にいてくれるから人と話せるし、誰かがいてくれるから頑張れるし、そういうほうが性に合ってるんですよね。あと、自分発信で何かをするのは向いてないと勝手に思い込んでしまって。
――そんな玉井さんに心境の変化があったのは何かきっかけがあったんですか。
明確なきっかけがあったわけじゃないんですけど、自分の年齢が上がっていって……私の年齢って会社員で言うと中堅的な感じで、中には役職に就いてる子もいたり、自分自身で切り開いていく力をみんな身につけているじゃないですか。同じ業界の同世代の友達を見てもそれなりに自分の地位を確立し始める年齢でもあるし、そもそもみんな25歳を過ぎたあたりからすでに「私はこれが得意です」「私はこれに一生懸命です」っていうふうに自分ならではの道を持ちはじめていたと思うんです。でも、自分のことを振り返ってみたときに「このお仕事をしてる上での自分の強みってなんだろう……?」って。
――ふと思ったんですね。
はい。すごく悩んでたわけじゃないけど、漠然とそういうことばかり考えてしまう時期があって。自分はももクロとして活動してるから今もこうしていられるけど、もしももクロという家がなくなってしまったらこの世界で戦ってはいけないなと思って、自分の力のなさにすごくがっくりしたんです。なので、もちろんももクロの活動をやめるということでは全然ないんですけど、一人の人間として考えたときにもっといろんな経験を積んでいきたいって25歳を過ぎたあたりからずっと思っていて。
――そんなことを考えている時期があったとは。
そうやって、何かを自分から発信して一歩前へ踏み出してみたいと考えていたときに、ファンクラブという自分のホームで、毎月撮った写真をファンの方へ向けて提供しはじめることにしたんです。
――それがここまで壮大なプロジェクトになるとは。
嬉しかったです。自分から何気なく提案してみたらメイクさんやスタイリストさんやカメラマンさんが「やろうよ!」って言ってくれて、実際に写真を撮ってみたらそれが曲のジャケットみたいに見えたんです。それで、「この写真をテーマにした曲をつくるっていうのはどうかな」ってマネージャーさんに話したら、そこからレコード会社の方につながっていって。そうやって自分が発した何気ない一言が人と人を結びつけて、そこからさらに話が進んで新しい形になっていくというのが今までにない経験だったのですごくワクワクしましたし、自分から何かを生み出せる可能性があるっていうことがわかって嬉しかったです。
――玉井さんがそうやって動き出したのは周りのスタッフさんも嬉しかったんじゃないですか?
「やっと動き出したよ」って思われたかな(笑)。ははは!
――「ついに!」って。
ね(笑)。私は学生の頃からももクロとして活動してきたんですけど、学校というところは授業があったり与えられたものをこなすことがサイクルになってるじゃないですか。それと同じように、ももクロの活動も昔はマネージャーさんや会社から言われた試練をこなしてその姿をファンの方へ見せていくことが自分の中のサイクルとしてあったから、自分から発信して何かをするっていう考えがあんまりなかったんですよね。でも、学生が終わって、仕事一本になって……ってももクロを「仕事」として割り切ってるわけじゃないですけど、社会人として今やってることをひとつの仕事として見たときに、「ちゃんと“働くということ”をしなきゃだ」って思ったんです。でも、何をしていいのか正直分からなくて。そのせいでずっとくすぶってしまっていたんですけど、この業界では自分から発信して自分で自分の像を作っていって、それをみんなに受け入れてもらうというサイクルがあることに気づき始めてから、そういうことをするのは得意じゃないと思ってたけど、自分に試練を課してみようという考え方に変わっていきました。
――これまでは大人から課されていたものを自らが課すという。
よく言うじゃないですか、「大人になると誰も叱ってくれなくなる」みたいな。たしかにそう思うんですよ。私個人としては厳しくされるほうが燃えるというか、「やってやるよ!」みたいな気持ちになるけど、周りにそれをやってもらうには難しい年齢になってきてるから、いい意味で自分で自分の首を絞めることが必要になってくるなっていうのは年々感じています。
――そうやって日々一歩一歩、「これができたならこれもできるんじゃないか」みたいな感じで進んでいったと。
そうかもしれない。今回も最初から3月のソロコンサートに向けてのビジョンが浮かんでたわけでは全然ないんですよ。これはもう、完全に私の性格だと思うんですけど、たとえば旅行中とかも、計画性なしで行ってみたお店が美味しかったとか、そのお店で話した人から聞いて行ってみたらすごい景色が見れた、みたいな行き当たりばったりの出会いを楽しむところがあるので、このプロジェクトも「とりあえずやってみよう。そこから何か新しいものが生まれるかもしれない」っていう感覚で築き上げてきました。
――それがこういった一枚の作品になるというのはとても美しいですね。
ソロで曲を出す、ソロでコンサートをする、アルバムを出すっていう流れが自分自身としてはすごく腑に落ちるというか、こういう流れがあったからこそできたことだと思うし、ソロ活動をする意義が感じられて嬉しいし、やってよかったと思います。
――楽曲をつくるにあたって、制作陣にはどんな要望を伝えていたんですか。
まず、写真に関して、この月はこの色とこの色がテーマ、みたいにテーマカラーが決まっていて、そうすることによっていつもの自分じゃない表情を出せる気がしたし、いつも身にまとっているのとは違う色を身につけることで新たな私を届けられたらいいなと思っていたんです。なので、そうやって撮った写真をもとに曲をつくることになったときに、それぞれの写真の主人公をテーマにしたストーリーを伝えたりしました。
――具体的には?
たとえば、「Another World」のテーマになっている2月はバレンタインをイメージした写真なんですけど、普通ではなくてちょっと変わったチョコレートということでオレンジ色を混ぜたオランジェットをテーマにしたんです。なので、曲も恋愛ソングになったらいいなと思いつつ、甘いだけの恋愛じゃなくて苦味や酸味があったり、オランジェットのように一筋縄にはいかない女の子、というイメージを伝えました。あとは、写真が少しレトロっぽい衣装でもあったので、ちょっと昔を感じさせるようなメロディにしたいということとか、自分の中で思いついたストーリーとか、「デート前のワクワク感」みたいなワードをとにかく伝えました。
――それは全ての楽曲に対して?
最初のほうはほとんどそういう形でした。でも途中からは、どんな方に楽曲提供をお願いしたいか意見を求めてもらえたので、ももクロの楽曲でもお世話になってるmiwaちゃんとか、番組での共演歴があるコアラモード.さんにお願いすることになったりしたんですけど、2人とも私のことをよく知ってくれているので、もともとの私という人間にプラスして、それぞれの写真から感じ取ったものを曲にしてください、というふうに丸投げしちゃいました。
――それは信頼関係があるからこそですね。
そうですね。亀田誠治さんは今回初めてお願いさせてもらったんですけど、これまでちゃんとお会いしたことがなかったんです。でも、私のイメージがなかったからこそ、亀田さんが写真を見て受けたインスピレーションというか、この写真から思い浮かんだ女性像がどんなものなのかすごく気になったので、「亀田さんにお任せします」というお願いをしました。
――それは楽曲制作にだんだん余裕が出てきたからできたところもあるんですかね。
余裕が出てきたのもあるし、自分自身の引き出しに限界も感じて(笑)。やっぱり私は曲をつくる人じゃないし、聴くことは好きだけど音楽にすごく詳しいわけでもないので、自分の中にあるイメージを具現化することに限界があって、最終的にたどり着く先が全部一緒になっちゃうんですよ。だから、「これじゃダメだ」と思って制作のプロの方たちにお願いしちゃいました。
――12枚に及ぶ写真の存在は本当に大きかったんですね。何もないところから、「じゃあ、アルバムつくりましょう!」ってなると……。
多分、アイデアはなかなか浮かばなかったと思います。あとになって思ったんですけど、私は視覚から得る情報を大事にしていて、たとえば私は去年からゴルフをやってるんですけど、「これをこうしてああして」って口で説明してもらうよりも、上手な人のフォームを見て自分の中に落とし込むほうが得意だったりするんです。あと今回、歌の先生からレッスンを受けていたときにも感じたことがあって、声の出し方もイメージなんですよ。「奥歯を緩くして口を縦に開けて」って言われるよりも、実際に口の中を見せてもらったほうが早くて。そうやって視覚から得る情報が一番身になるんだなって。だから、全くのゼロの状態で自分の引き出しを開けるんじゃなくて、視覚から得た情報を自分の中に取り入れた上で想像力を膨らませるっていう今回みたいなやり方が自分には合ってたんだなって。
――最初にそこまで考えて始めたわけではなかったんですね。
全然全然! 本当に私は感覚主義で、感覚で生きてるタイプなので、そこまで計画的だったわけでは全然ないです(笑)。結果的にきれいにまとまったかもしれないですけど。
――あはは! 今回、一人でレコーディングをしていく中で気づいたこととか、心境の変化みたいなものはありましたか。
一人だと時間をたっぷりとってもらえてより曲と向き合えるので、レコーディングブースで歌ってみてプレイバックしてもらって、ということを繰り返す中で、「ここをもうちょっとこういうふうに歌いたい」みたいな欲が出てきたのは新しい発見だったと思います。今まではそんなふうに思うことはあんまりなかったんですけど、歌に対してちょっと貪欲になってきた感じはあるかな。
――やっぱり、グループで歌うとなると全体のバランスが大事になってきますもんね。
そうなんですよ。ある程度自由は利くんですけど、グループだとユニゾンでは語尾を合わせなきゃいけなかったり、「ここはしゃくっちゃいけない」みたいな制限が多少なりともあるので。でも、そういう意味では今回新しい表現ができたと思います。あと、今までは他のアーティストさんの曲を聴くときに歌詞やメロディを意識していたんですけど、今は息の出し方とか細かい表現みたいなテクニックに耳がいくようになってきました。
――毎月楽曲を発表していく中でファンの反応もたくさんあったと思うんですけど、様々な感想を目にする中でどんなことを感じていましたか。
1年間、毎月20日に楽曲を配信してきて、「20日を楽しみにしてるよ!」っていうメッセージをたくさん頂いたり、みんなが月に1回の出来事を楽しみにしてくれてることがすごく伝わってきて嬉しかったし、皆さんの中でも私の新しい歌い方を発見したり、「こういう世界観にも合うんだ!」みたいに私の歌に関して新たに気づいたことがあったんじゃないかなって思います。でも、悔しかったこともあって。今回、難しい曲がけっこう多かったので、「これ、ライブで歌えるの?」みたいな書き込みがあったりして、そういうのを見て私は燃えてました(笑)。
――それで「ライブもやってやるよ!」ってなったんですか?(笑)
それが直接的なきっかけだったわけじゃないけど、「やるからには歌ってみせるぞ!」みたいなスイッチがバチンと入ったかもしれないですね(笑)。
――今作だと、「泣くな向⽇葵」と「We Stand Alone」が僕の好きな曲の2トップです。
嬉しい! でも今回は、私というフィルターを直接通さず、写真を通じて曲をつくったことによっていろいろなジャンルの曲が揃ったと思うので、聴く人によって好きな曲がけっこう違うんですよ。それはすごくよかったなと思いましたね。せっかく素敵な曲がいっぱいあるので、聴く時期やタイミングによっても「今日はこの曲がいいな」みたいに好きな曲が変わってくれたら嬉しいです。
――確かに、シングルを3曲くらい出してからアルバム、みたいな流れではなく、1曲1曲に等しく熱い気持ちで向き合った結果としてのアルバムですもんね。
まさにそういう気持ちです。逆に言うと、アルバムになることが決まったときに「バランス、大丈夫かな?」と不安になるところがありました。でも、並べてみたら意外と大丈夫で。それはなんでだろうって考えてみたら、ジャンルがバラバラになったとはいえ、1年には1月から12月までの流れがあるじゃないですか。なので、一つひとつの曲には個性があるけど、季節の流れに沿って曲をつくっていけたからこそまとまってるんだと思いました。そういう意味ではすごく贅沢な制作になりましたね。
――全体的に大人な雰囲気のアルバムになったと感じます。
たしかに。それをすごく意識してたわけじゃないし、楽曲の性格は写真によってバラバラかもしれないけど、年齢的なイメージとしては当時の自分の年齢……28歳ぐらいの女性のイメージでつくったので、一般的な28歳のイメージの曲が集まったのかなと思います。
――こうして1枚のアルバムとしてまとまったものを聴いてみて、楽曲の印象は変わりましたか。
うん……変わり、ました。でも最近、叔母さんと母と3人でたまにドライブに行くんですけど、叔母さんが今年3月にやった私のソロコンサートにめっちゃ感動して、そのときのセトリで聴きたいって言うから、正直アルバムの流れでまだ聴けてないんですよ(笑)。
――今、回答に一瞬躊躇してたのはそれが理由だったんですね(笑)。
そうそう!(笑)
――自分自身、改めてどんなボーカリストだと思いましたか。
よく言っていただけるのは、メンバーの誰とでも声がマッチするっていうことで、たしかに自分でもほかの誰とも喧嘩しない声質ではあると思うんですよ。でも、それは強みでもあるし、無個性と言えば無個性で。でも、今回こうやっていろんな楽曲で「色」というフィルターを通して歌わせてもらったことで、どんな色にも染まれる歌を自分は歌えるのかなって。技術とか足りない部分はまだまだあると思うんですけど、声に関してはそうやって言えるところはあるのかなと思います。
――そういう意味でも『colorS』なんですね。
そうですね。何色にも染まれたらいいなっていう自分の理想でもあります。強い個を持つこともすごく大事だし、それに憧れることもあるんですけど、歌のお仕事でも、お芝居の現場でも、バラエティ番組でも、あの人はどんな場所にも馴染むよねって言われるくらいどこにも染まれることもすごく強みになると思うし、自分自身を客観的に見ても私にはそういうスタイルが合ってるんだと思います。歌に関しても同じ部分があることに今回気づけました。
――ここまでソロプロジェクトをやってきて、「もっと早くやればよかった」と思いますか。
それは全然思わないです。昔は歌への苦手意識がすごく強くて、今でもそういう気持ちがあるはあるんですけど、今は苦手というよりも「楽しい」とか、「もっと上手くなりたい」っていう向上心のほうが強くあって。だから、もっと前にソロコンとかソロ曲をやりたいと思ってたら今みたいに楽しむ余裕はなかったと思うんですよね。だから、今回がそのタイミングだったんだと思います。
――じゃあ、この先いつになるかはわからないけど、またソロ活動をやりたいと思ったときにはスッと始められそうですね。
そうですね。前ほど未経験なことに対して頑ななところはなくなったので、自分が楽しいと思うことと周りの人が見たいと思うものが一致したタイミングでまたできるかなっていうマインドに今はなってます。自分がワクワクすることを見つけたらまたやってみたいですね。
取材・文=阿刀"DA"大志 撮影=大塚秀美
Styling=市野沢祐大(TEN10) Hair & Makeup=横山藍(KIND)