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【福山市】笠井伸二×果実工房 ~ 車いすのペインティングアーティストの絵がスイーツのパッケージを飾る

備後とことこ

笠井伸二×果実工房 ~ 車いすのペインティングアーティストの絵がスイーツのパッケージを飾る

チョコレートのパッケージを目にし、猫の表情や仕草のおもしろさに目が離せなくなりました。
この猫は飛行機に乗ってどこかへ行きたいのかな?この子はこれからお花を植えるの?踊っている?サーフィン?なんだろう、見ているだけで楽しい!

明るい色使いで表情豊かな動物たちを描くのは、福山市在住のペインティングアーティスト、笠井伸二(かさい しんじ)さんです。
笠井さんが絵を描くようになったきっかけや、株式会社果実工房とのコラボレーションのことなどを聞いてきました。

ペインティングアーティスト笠井伸二の世界

画像提供:笠井さん

ゆったりと構えたゾウや楽しそうなパンダ、ふわりと浮かぶクジラ。
笠井伸二さんの絵を見ていると、動物たちの生き生きとした表情に頬が緩んできます。

笠井さんの肘から下は、まったく感覚がありません。
手に自助具をつけ、固定した筆を両手で支えて描きます。

制作中の笠井さん(画像提供:笠井さん)

こちらの動画は、笠井さんの制作のようすを伝えています。

「僕はぶっつけ本番で描くスタイルです。諦めも早いので、ボツにする絵も多いですね。納得いかない絵がそこにあるのが嫌なんですよ」と笠井さんは笑って言いました。

手の届く範囲に限界があるため、描けるのは60cm四方の大きさが限界です。
それよりも大きな絵を描くときには、A4くらいの大きさの絵を複数枚描きます。それらをパズルのようにつなげて1枚の絵にするのです。

2014年の最初の個展を皮切りに、さまざまな場所で個展を開いてきました。
2024年春の個展のようすはこちらにも紹介されています。

突然の交通事故からペインティングアーティストに

画像提供:笠井さん

1981年に福山市で誕生した笠井さんは、授業以外で絵を描くこともなく、美術の成績が良かったわけでもない子どもでした。
海が好きでよく釣りを楽しんでいたことをのぞけば、とくに打ち込んだものもなかったと言います。

死を考えた交通事故

左官となって広島市で働いていた2006年、25歳のとき。
バイクに乗っていた笠井さんは交通事故に遭いました。事故の瞬間「これ、全身折れたな」と思ったそうです。

手術をした福岡の病院の医師からは、一生寝たきりか車いすだと告げられます。

「頸椎損傷(けいついそんしょう)で、体が動かなくなったんです。
未来がまったく見えず、死ぬことしか考えられませんでした。

けれども体が動かないから、自分で死ぬことすらできないんです。
誰にも会いたくない。友達にも自分の姿を見られたくない。そんな状態が1年続きました」

病院には1年しかいられません。重度の障がいを負った笠井さんがリハビリをしながら過ごす場所として移ったのは、大分県にある別府重度障害者センターでした。
センターでは、車いすの乗り降りや着替えなどの日常生活の動作のほか、筋力トレーニングや自動車の運転など、社会復帰のための訓練をおこないます。

「そこで2年半過ごしました。
同室になった人は、僕と同い年でした。その人は、死ぬことしか考えていなかった僕をあちこち連れ回して、『どうにかなるよ』というんです。センターには僕と同じような体の人が大勢いました。そして皆、どうにか生きていました。

未来を考えられるようになったのは、別府で出会った人たちのおかげです」

負けず嫌いに火がついた

笠井さんが絵と出会ったのも、別府のセンターでした。

「そこでは学校のように時間割があって、パソコン絵画さをり織りの、どれかを選ばなければいけなくて。
パソコンはやりたくなかったし、さをり織りも興味が持てなかったので、消去法で絵を選びました」

まず自助具の付け方から教わり、絵を描く練習に取り組みます。

笠井さんの自助具(画像提供:笠井さん)

「やってみたら、これがまったく楽しくありませんでした。消去法ですし、当然ですよね(笑)
けれども周りを見てみると、自分と同じような体の状態の人が上手に描いているんです。
自分もそれくらい描けるようになってやる、と負けず嫌いの性格に火がつきました」

最初は点を描くのも困難でした。両手で筆を支えて点を描きました。いくつもいくつも描きました。
点が描けるようになると線を、次に文字を、そして絵を描く練習を重ねます。

「描けるようになってくるとだんだん楽しくなってきて、はまっていきました。
でも担当の先生は、僕くらいの体の状態の人が描けるのはここまで、なんて言うんですよ。
悔しくて、それならそれ以上のものを描いてやろう、という気持ちになりました」

「すげえこれ!くれぇや!」

「すげえこれ!くれぇや!」と友達が言ったゾウの絵(画像提供:笠井さん)

笠井さんは、センターでの訓練が終わった後も独りで描き続けました。

人生で初めて、本気で努力しました
絵を描くのが楽しくなったのは、人に決められてやるものではなかったからですね。絵は自由で決まりがありません。自分の好きなようにできる絵が性に合っていたんです」

センターから紹介されたトールペインティングの仕事では、決まった絵を描かなければなりません。そのことに強い違和感を覚えました。そのため1年くらい何も描かないときもあったそうです。

「しだいに、自分の描きたいものを描くようになりました。
僕には、保育園のころからずっと兄弟同然に過ごしている幼なじみの友達がいます。
その友達に花の絵なんかを見せても、ちっとも興味を示さないんです。『すげえ頑張っとるんじゃけえ、もうちょっと褒めろや』って感じでしたね」

しかしある日、「インドでは動物を大切にする」という友達の言葉に触発されて描いたゾウの絵を見せたとき、これまでとはまったく違う反応がありました。

「彼は見た瞬間『すげえこれ!くれぇや!』と、興奮気味にいったんです。初めて褒められた。視界が急に開けたような気がしました」

それまでの笠井さんは、とくに動物が好きだというわけでもありませんでした。しかし、友達の言葉を聞いて、こういう絵で個展をやってみようと思い立ちます。

2014年に開いた初めての個展に並べたのは、ゾウとフクロウとクジラの絵、あわせて50枚ほどでした。
それ以来、笠井さんのおもなモチーフは動物たちです。

「友達をぎゃふんと言わせたい、それが絵を描く原動力かもしれません」

かつて死を見つめていた笠井さんは、見る人に明るい気持ちになってもらいたいと、生命力にあふれた動物たちの絵を描き続けています。

個展のようす(画像提供:笠井さん)

絵がチョコレートのパッケージに

笠井さんが株式会社果実工房の平野幸司(ひらの こうじ)社長と初めて会ったのは、2024年5月のことでした。共通の知人に紹介された2人はあっという間に意気投合し、時間を忘れて語り合いました。
商品のパッケージに使いたいと、平野さんはその場で笠井さんに猫の絵を依頼します。

平野さん(左)と笠井さん(右)

笠井さんの動物たちは、表情がいい。オリジナルのキャラクターがほしかったので、キャラクターといえばやっぱり猫だろうと」と平野さんは振り返ります。

5月の終わりに笠井さんが描き上げた絵を見た平野さんは「目がいい」とひと目で気に入りました。

「久遠チョコレートを知っていますか?障がいのある人たちが作っているチョコレートです。チョコレートは失敗しても溶かしてやり直せるし、具を入れればさまざまなチョコレートが作れます
やり直せるって、すごくいい。久遠チョコレートで修業させてもらって、うちでも作ることにしました。
パッケージには、障がいのある人のアートを使おうと思っていたんです」

岡山産のほうじ茶や牛乳、フルーツを中心に使った「1枚の幸せショコラ」。そのパッケージを笠井さんの猫が飾りました。

果実工房のプロジェクト「HEART FOR ART」

岡山県倉敷市で生まれた平野さんが最初の就職先に選んだのは、大手製菓会社でした。17年働いた後、2006年にUターンし、贈答用の果物を扱う会社に入ります。
そこで見たのは、傷があったり形が悪かったりして廃棄されてしまう果物でした。

株式会社果実工房

せっかく作った果物を廃棄していては、農家の所得を上げることはできません。
どうすれば農家の所得を上げられるかと考えた平野さんは、2011年に果物を使ったスイーツを製造する会社、果実工房をおこしました。

果実工房店舗のひとつ、GOHOBI倉敷美観地区店

「農家さん自身もフードロスをなくそうと6次産業化に取り組んでいて、ジャムやカップゼリーなどを作っています。私が同じものを作っては、農家さんのライバルになってしまう。だからまったく違うものを作る必要がありました」

製菓会社に勤めていたときに住んでいた横浜の社宅では、盆や正月に帰省するとおみやげを渡していました。手渡す相手はたいてい女性。いいおみやげの条件は、もらったときに女性が喜ぶもの、そして家族みんなで楽しめるもの、でした。

平野さんは、果実工房のターゲットを40代から50代の女性に定めます。
おいしいのは当たり前で、プラスアルファの要素として女性がうれしいものを取り入れたい。何かないだろうかと考えていたとき、子どもが食べていた駄菓子のスティックゼリーが目に留まります。これだ!
スティックゼリーなら、大人も子どもも食べられます。
また、女性が笑顔になる場所、ワクワクする場所として思い浮かんだのが、化粧品売り場でした。

そうだ、おみやげのスイーツに『美容』の要素を取り入れよう。コラーゲン入りのスティックゼリーだ。化粧品売り場にありそうな、おしゃれなパッケージデザインにしよう。

GOHOBI倉敷美観地区店内

果実工房の主力商品であるフルーツコラーゲンゼリーの誕生です。
工場では障がい者を積極的に雇用し、障がい者就労施設との連携も進めていきました。

岡山県産フルーツなどを使ったスティックコラーゲンゼリー

障がい者アートのプラットフォームづくり

おみやげもの売り場には違和感すらあるデザインが目を引き、フルーツコラーゲンゼリーは人気商品となりました。
パッケージで新しい価値を創造する手応えを得た平野さんが次に取り組んだのは、障がい者のアートをパッケージに使うことでした。

「ビジネスでは、世の中にないものを出すこと、まだ誰もやっていないことを先にやることが重要です。
障がい者アートには大きな魅力がありますが、なかなかそのアートを活用する場がありません。アートやデザインで社会に参画できる仕組みがあれば、働きたくても働けない人の生きがいにつながります。

障がい者アートを衣料品や文具などに使う会社もあります。しかし、うちは食品メーカーです。
食品のパッケージにアートを使えば、多くの人の目に触れる。中身は通常商品ですし、食品は消費するもので価格も手頃。プレゼントするほうもされるほうも負担なく、障がい者アートを活用できます」

こうして生まれたプロジェクトがHEART FOR ART

笠井さんだけではなく、他のアーティストの作品も果実工房のスイーツのパッケージを飾ります。

2人のこれから

平野さんと笠井さん(画像提供:笠井さん)

チョコレートは季節商品なので、「一枚の幸せショコラ」の販売は2025年3月までです。

「その後は、また別の商品を作ろうと考えていますよ」と平野さん。

「今回の猫のように、新しいものを描きたいです。
ずっと僕の絵を見てくれている人のなかには、なんかタッチが変わったよね、と声をかけてくれる人もいます。前のほうが良かった、という人もいます。
けれども、描いていて自分が楽しいと思えるものを、見る人が楽しい気持ちになるものを、描いていきたい。
だから、絵は変わり続けると思うんです。

いつか挑戦したいのは壁画やラッピングバスですね。自分では壁に描けませんが、絵を壁画にするノウハウを持っているところと組めば実現できるかな」

と笠井さんが言うと、
「壁画?ノウハウのあるところを知ってるよ。やろうよ、それ」と平野さんが声をかけました。

2人のコラボレーションは、これからも続きそうです。

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