短命だったプラレール「ライト付」の100系新幹線 貴重な初期の姿とその後
text & photo:なゆほ
60年以上の歴史があるプラレールの製品・歴史・情報をまとめ、自身のホームページ「プラレール資料館」で公開しているプラレールコレクター なゆほさん の鉄ホビ連載!長い歴史を持つプラレールというおもちゃをコアな目線から語っていただきます!今回はプラレールの100系にクローズアップします。初期は「ライト付ニュー新幹線」として、その名の通りライトが光るギミックを持っていましたが、この機能は早々に廃止されました。ですが、その後生まれ変わって長らくラインナップに載り続けるロングセラーとなりました。(編集部)
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近年のプラレールでは、動力と連動して前照灯が点灯するギミックを搭載した車両、いわゆる「ライト付」機能は新幹線を中心に多く存在しています。ライト付車両の歴史は古く、今から45年前の1979年4月に発売された「ライト付ひかり号」にまで遡ることができます。
1980年にはライト付のD51が発売され、1985年には当時最新型だった100系新幹線も「ライト付ニュー新幹線」として新発売されました。しかし「ライト付D51」は定着したのに対し、「ライト付ニュー新幹線」は早々にライト機能を廃止されてしまいました。
今回はその「ライト付ニュー新幹線」と、その後の姿である「2スピード新幹線」を比較しつつ、短命に終わってしまった姿を見ていきたいと思います。
▲「2スピード新幹線」(1987~2002年)と「ライト付ニュー新幹線」(1985~1987年)。
1985年9月。翌月に控えた実車の100系新幹線デビューに先立ち、プラレールの「ライト付ニュー新幹線」が発売されました。当時1編成のみ在籍していた試作車の9000番代X0編成をモデルとしており、特徴的な小窓が並ぶ姿が上手く表現された製品となっています。中間車には9号車に連結されている2階建てグリーン車の149-9001が選ばれ、大きな窓が特徴的な食堂車は絶版に至るまで製品化されずに終わりました。
商品名の通り、前照灯が点灯するライト付車両として発売されています。前照灯に加えて「鼻」と形容されることが多い「光前頭」も点灯する「ライト付ひかり号」の仕様を踏襲したものだと思われます。100系では元々「鼻」が光る機能は存在しないため、プラレールでも実車同様に車体色の「鼻」を持った姿となりました。
前照灯は「ひかり号」と同じく、動力台車の先頭部中心に配置された豆電球を点灯させ、車体のクリアパーツから光を透過させて点灯させるギミックとなっています。
▲ライトを点灯させた姿。
クリアパーツも「ひかり号」と同じくクリアレッドで成型されたものが取り付けられ、印象としては尾灯のようにも見えてしまいますが、そこはプラレールなので特に違和感なく見ることができます。
こうして「ライト付」の新製品として華々しく登場した100系ですが、実際に点灯させてみると残念なことにあまり目立ちません。0系とは異なり鼻が光らない上、ライトが細長いためほぼ真横から見ない限りあまり光って見えないのです。
これが不評だったのか定かではありませんが、「ニュー新幹線」に限っては1987年の動力更新(新動力化)と同時にライト機能が廃止されてしまいました。同じくライト付の「D51」「ひかり号」は機能を維持したまま動力を更新されているため、やはり何かしらの問題があって廃止されたもものと見ていいでしょう。
「ライト付」ではなくなった100系ですが、新動力化の際に新たな特徴を得る事になります。それが「2スピード」動力の採用です。1スピードしか存在しなかった旧動力に対し、スイッチの位置によりギア比を変えることで高速・低速の2スピード走行ができるという、以前連載記事で紹介した「急行電車」で登場した動力が改良の上で本採用となりました。これにより商品名が「2スピード新幹線」に変更され、新たな動力の搭載をアピールする立ち位置となりました。2スピード動力自体は後に他の新幹線車両や特急型にも採用され、100系のみの特徴とはなりませんでしたが、他の車両よりも高速で走る新幹線を表現したという点では特筆できます。ライト機能は廃止されましたが、豆電球を支持するユニットはシャーシに残されため、以前はライト付車両であったことを後年まで伝えていました。
「ライト付ニュー新幹線」は短命に終わりましたが、「2スピード新幹線」となってからは1987年から2002年までの14年間、姿を変えることなくラインナップに載り続けました。
長らくシャーシに残っていたライトユニットも、2002年の「新幹線一斉リニューアル」を受けて金型から撤去され、ライト付車両の痕跡はほぼ失われてしまいました。実車の100系も時代の流れにより、2003年には東海道新幹線から撤退。プラレールで製品化された二階建て車両は営業線上から姿を消し、その後短編成化されて山陽新幹線で活躍していた車両も2012年に引退したため、発売から29年が経った2014年にとうとう絶版となってしまいました。
量産車がデビューした後も車体の改修が行われず、絶版まで試作車の姿を維持していたプラレールの100系。来年2025年は100系のデビュー40周年です。0系にはリアルな造型となった製品があるので、100系も現在の造型技術を反映した「ライト付」の製品が登場することを期待したいですね。