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泉谷しげるの初期アルバムがサブスク解禁!70年代から異彩を放っている唯一無二の存在

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1972年04月25日 泉谷しげるのアルバム「春夏秋冬」発売日

泉谷しげるのフォーライフ復帰に際し、デビューアルバム『泉谷しげる登場』を含むエレック時代のアルバム5作品、そしてフォーライフ時代のアルバム4枚と1枚目のシングル「寒い国から来た手紙」がデジタルリマスター配信された(エレック時代の『光と影』は6月以降配信予定)。今回の配信に際して、改めてエレック時代のアルバムを振り返ってみよう。

ライブアーティストの面目躍如


泉谷しげるはライブアルバムがきわめて多いアーティストだ。なにしろデビュー作の『泉谷しげる登場』からしてライブアルバムである。確かに、彼のダイナミックで迫力あるライブには、何ものにも代えがたい魅力がある。だから必然的にライブアルバムが多くなるのは納得がいく。

それにしても、フォーライフ・レコード(現:株式会社フォーライフミュージックエンタテイメント)に在籍していた1975年〜1977年に発表されたアルバム4枚のうち2枚がライブアルバムというのはかなりすごい。移籍第1弾のアルバムが『ライヴ!!泉谷~王様たちの夜~』で、もう1枚が、ロサンゼルスのライブハウス、トルバドール(Troubadour)での公演を収録した『HOT TYPHOON FROM EAST』。まさにライブアーティストの面目躍如だ。

初々しさあふれるステージの様子が伝わってくる「泉谷しげる登場」


本題に移ろう。デビューアルバム『泉谷しげる登場』が発表されたのは1971年のことだ。同年10月25日に行われた目黒杉野講堂での実況録音盤。泉谷しげるらしいワイルドさもありながら初々しさあふれるステージの様子が伝わってくる。

収録されている12曲のほとんどは泉谷しげるのオリジナル曲だが、1曲目の「白雪姫の毒リンゴ」は当時、泉谷や古井戸などをマネジメントしていた門谷憲二が作詞・作曲している。また、「義務」と「人生をこえて」の歌詞は吉田拓郎にも多くを提供している岡本おさみで、作曲がエレックレコードの中心人物のひとりだった浅沼勇。そうだと知って聴いてみると、泉谷しげるの書いた曲とはニュアンスの違いがあるけれど、それがアルバムのアクセントにもなっていると感じられる。

泉谷しげるが書いた曲も多彩である。いかにも彼らしさを感じさせる「砂時計」のような前のめりの曲。「プロフィール」などのコミカルな曲、「人生の曲がり角」などのしっくりと聴かせる曲、さらには1925年に出版された紡績工場での女工の過酷な境遇のルポ『女工哀史』を呼んだインスピレーションで書かれた「うられうられて」などの社会的テーマをもつ曲…。演奏も弾き語りの他にピピ&コットのメンバーなどが参加するなどバラエティに富んでいる。

けれど、全体的に後期のライブに比べると静かで、曲も丁寧に歌っている印象がある。そんな雰囲気の中から、日々の暮らしの中で人が感じる困難や挫折感、劣等感などを優しく見つめる視線が感じられるアルバムだ。

加藤和彦がプロデュースしたアルバム「春夏秋冬」


1972年4月、セカンドアルバム『春夏秋冬』が発売される。前作から5か月しか経っていないことを思うと、本作こそが実質上のファーストアルバムで、前作『泉谷しげる登場』は、泉谷しげるというアーティストの “素” を紹介するアルバムといえるのかもしれない。

『春夏秋冬』は、タイトルから見ると「春夏秋冬」という曲をメインにしたアルバムと思いがちだが、実際は収録されている13曲全体で構成されたメッセージアルバムだ。プロデュースは加藤和彦。加藤和彦は1971年11月に発表された吉田拓郎のアルバム『人間なんて』も手掛けており、この2枚のアルバムを聴き比べてみるのも、いろいろな発見があって面白いと思う。

『人間なんて』でも感じたことだけれど、加藤和彦のプロデュースは、自分の世界観でアーティストを染めていくのではなく、アーティストの持ち味を理解した上で、その音楽を少し洗練させたり、躍動感を与えたりすることで、その音楽に秘められている次の展開への可能性を暗示する、という色合いが強い。

だからこの『春夏秋冬』でも、『泉谷しげる登場』にあったエネルギーや、その中にあるナイーブさ、シャイな一面といった繊細な隠し味をスポイルせず、粗削りだった前作の泉谷しげるの世界をもう少し洗練させて、ライブの泉谷しげるを知らない人にも入りやすく、けれどその本質も伝えられる作品として仕上げている。

収められている曲も「春夏秋冬」だけでなく、「地球がとっても青いから」「街はばれえど」といった印象的なものが多く、1970年代初頭にあった時代のの閉塞感や、そこで必死に生きようとする人たちの葛藤を描きながらも、どこかに希望を感じさせる作品になっているのだ。

演奏にサディスティック・ミカ・バンドの初期メンバーであるつのだ☆ひろや高中正義が参加しているのも聞きどころ。「黒いカバン」「君の席」の2曲は岡本おさみが作詞している。蛇足だけれど、同じ年に「春夏秋冬」のシングルが出ているが、これはアルバムからのカットではなく、「唄の市コンサート」のライブテイクが使われたものだ。

泉谷しげるの力量を示した「地球はお祭りさわぎ」


1972年11月にはサードアルバム『地球はお祭りさわぎ』が発表されている。このアルバムでは泉谷しげる自身がプロデュースを担当しており、収録楽曲もすべて泉谷の作詞作曲によるものだ。しかし、サウンド的には前作の『春夏秋冬』と大きく変化したわけではなく、レコーディングには前作にも参加した高中正義の他、原茂、ジョン山崎らが起用されている。言ってみれば、前作で加藤和彦からレコーディングのノウハウを学んだ泉谷しげるが、そこからさらに一歩進んだ自分のプロデュース・スタイルを追求したアルバムという感じがする。

収録楽曲も、テーマへの向き合いを明確にさせている印象が強い。例えば、奥手な男をテーマにした曲はそれまでにもあったが、このアルバムに収録されている「初恋純情編」は、ドラマのワンシーンのような描き方でコミカルさとシリアスさを鮮やかに浮き上がらせている。「街からはなれられない」「久しぶりです」などの屈折感の描き方も見事で、アーティストであるとともに作家・プロデューサーとしての泉谷しげるの力量を示したアルバムといえるだろう。

泉谷しげるなりの反抗精神が生み出した「光と影」


『光と影』は1973年9月に発表された3枚目のスタジオアルバムだ。『春夏秋冬』『地球はおまつりさわぎ』と泉谷しげるならではのアルバム表現を追求していった流れでいえばやや異色作という気がする。それというのもアルバムの始まりと終わりに人気作曲家の三保敬太郎による「序曲」と「終曲」が置かれて、いわゆるフォークのアルバムというスタイルからはみ出そうとしているように感じられるのだ。

プロデューサーのクレジットは浅沼勇で、編曲も曲によって、加藤和彦、中川イサト、三保敬太郎、生田敬太郎がそれぞれ担当しているという、複数のプロデューサーを起用する1990年代以降のR&B系アルバムにみられるような作り方になっている。それでもアルバム全体の統一感が損なわれていないのは、泉谷しげるのアーティストとしての力量なのだろう。「国旗はためく下に」など、今でも歌い続けられている曲も多く、“叙情派フォーク” と呼ばれる音楽がメインストリームになりつつあった時代への泉谷しげるなりの反抗精神がこうしたアルバムを生み出したとも言えるのかもしれない。

2つのバンドを従えたロックアルバム「黄金狂時代」


エレックレコードからの最後のアルバムになったのが、1974年10月に発表された『黄金狂時代』だ。このアルバムは再び泉谷しげるのプロデュースだが、実質的にはブルースロックの流れを汲む “イエロー” そしてカントリーロックの “ラストショウ" という2つのバンドを従えたロックアルバムと言っていいだろう。

この『黄金狂時代』は、エレック時代の最後のアルバムには違いないのだが、フォーライフ・レコードでのファーストアルバム『ライヴ!!泉谷~王様たちの夜~』と連動する作品だ。事実、このライブではイエローとラストショウがバックバンドを務めているのだから。「眠れない夜」など、ロックをリードした泉谷しげるの曲はいつ聴いてもかっこいい。

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