山国・丹波篠山に地下鉄?1970年大阪万博輸送で大活躍した地下鉄が健在!【兵庫県丹波篠山市】
兵庫県の内陸部、大阪駅から直線距離で48キロも離れた山国・丹波篠山市の町外れに、なぜか大阪市営地下鉄(現・大阪メトロ)御堂筋線とその相互直通路線である北大阪急行電鉄で大活躍した電車が突然現れてビックリ!
大阪市の地下鉄路線では最も古い1933年に開業した1号線(御堂筋線)は、東京メトロ銀座線に次いで我が国で2番目に走り出した地下鉄路線で、現在では大阪メトロ一の過密路線となっています。
1970年に開幕した前回の大阪万博への旅客輸送と郊外住宅地からの通勤輸送を担うため1969年に万博会場駅まで開通した私鉄が北大阪急行電鉄です。開通当初から御堂筋線との直通運転が前提でしたので、もはや関西人にとっては御堂筋線と同一路線という感覚です。
丹波篠山市の国道から少し脇道に下りたところにその地下鉄車両は現れます。筆者は淡水魚の調査でその奥の林道脇の川へ向かおうとした際に地下鉄車両が現れたので、かなりたまげました。
大阪万博当時の方向幕を表示したまま、美しいステンレス鋼車体のそれは、かなり良好な状態で静態保存されているようです。
現在の所有者は大阪市でリサイクル事業を行っている「小倉商事株式会社」で、電車が保存されている敷地はその会社の保養施設の一角ということです。アスベスト(石綿)の除去作業も行っている企業なので、古い電車の解体作業も担っている関係で、この由緒ある電車は原型を保ったまま保存されることになったとのことです。
強力な超弩(ど)級電車として登場
そのステンレスの電車は2000系と呼ばれ、北大阪急行電鉄開業に際して1969年に登場した車両で、ステンレス車体製造に関する特許を米国企業との提携により取得していた東京急行電鉄の電車のような台枠までステンレス製のいわゆるオールステンレスカーではありません。台枠は普通鋼製のスキンステンレス車体と呼ばれるタイプです。
大阪市営地下鉄は、戦前の開業時から将来、急行運転を行う計画をずっと持っていたので、最初の100型という吊り掛け駆動方式の電車からして、東京の銀座線の電車とは段違いの大型かつ強力な超弩(ど)級電車として登場しました。
1933年当時においては、我が国初の最高速度120km/h運転を実現していた阪和電気鉄道やそれに準じた性能を有していた参宮急行電鉄(現・近鉄大阪線)と新京阪鉄道(現・阪急京都本線)のて1時間あたり定格出力150kw級モーターさえも凌駕(りょうが)する170kwという、いうまでもなく我が国では地下鉄らしからぬ最強のモーターが搭載されていました。その出力は後年の初代新幹線0系の180kwに迫るものといえばそのすごさがわかると思います。
この戦後の高度経済成長期の真っ只中に登場した2000系電車にもその設計思想は受け継がれており、駆動方式は1950年代から普及した、騒音が格段に少ないカルダン駆動が採用されたものの、当時のカルダンドライブ用モーターとしてはやはり最強クラスであった120kwのものが採用され、高速域の加速性能を改善する弱界磁制御併用時は最高速度100km/hでの急行運転が可能でした。
集電にパンタグラフを用いない、第三軌条集電方式の地下鉄車両としてはやはり今日の車両と比較しても破格の性能を有していました。
総合的経済力に関していえば、東京都と大阪府のそれが逆転したのは万博の年、1970年だったと言われています。
その後ずっと続いてきている首都圏への人口・経済の一極集中により、地下鉄における急行運転計画は棚上げされたままで、結局、大阪メトロになってからも最高運転速度は戦前と変わらぬ70km/hのままで、高性能な車両もオーバースペックなまま耐用年数を迎えることになってしまいました。
現在の大阪メトロは、省エネルギー推進という時代の流れにより、電車の速度制御において電力ロスが多かった抵抗器を使った方式は全廃し、全て交流モーターを電圧と周波数で制御する最新の車両に置き換わりました。
丹波篠山市の篠山口駅と大阪方面を結ぶJR福知山線(宝塚線)には、厳密には地下鉄ではありませんが、全線地下路線として建設されたJR東西線に直通し、京都府や奈良県方面まで足を延ばす快速電車はラッシュ時に運行されています。
しかし、正真正銘の地下鉄が山中に保存されていたとは、なかなかのミスマッチたる発見でした。
※写真は全て筆者撮影