【京都ウォーク】東海道の西バージョン『西国街道』を歩く☆向日市~五辻の常夜灯~長岡京
汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は江戸時代の西日本の大動脈『西国街道』。世界遺産・東寺を起点に西へ向かって歴史街道を行く京都ウォーク。今回は前回の続き、向日町~長岡京へ。
西の東海道とも言える大動脈『西国街道』向日町~長岡京へ
江戸時代に整備され京都・東寺から山口県下関まで続く、東海道の西バージョンとも称される街道『西国街道(さいごくかいどう)』。かつて豊臣秀吉の時代の朝鮮出兵の際には拡張整備され『唐海道(からかいどう)』とも呼ばれ、近代では『山陽道』としても知られる主要幹線道路。
その西国街道には、今でもその歴史を感じられる史跡も数多く残っています。以前にも西国街道経由で京都・長岡京から東寺を目指し、街道歩きを試みましたが、今回は東から西へ。最終、京都と大阪の府境までの道のりを数回に分けてご紹介。
前回、世界遺産・東寺からJR向日町駅までを踏破。今回はその続き、JR向日町駅からのスタートになります。
前回までの様子はこちら → https://kyotopi.jp/articles/DvJ7Z
しばらく歩くと、西羽束師川・深田橋に差し掛かり、案内板とともに鄙びた石標『光明寺道の大道標』を発見。明治33年(1900年)建立の大きな石碑で、元々は向日町駅の近くにあったものを移設。光明寺は長岡京市粟生にある西山浄土宗総本山で、法然上人が初めて念仏を説いたお寺。
さらに進むと、大通りから細い道に逸れるY字路。その分岐点には、西国街道の石標と石灯篭『築榊講常夜灯』があり目印に。築榊講常夜灯は天保13年(1842年)、伊勢参り講の一つに数えられる築榊講により建立。
周辺には、時折歴史を感じる旧家や石標、お地蔵さんの祠などを街道沿いに見かけます。
コンビニ前には4つの石標が立ち、かつての往来が賑やかだった様子がうかがえます。
ここでも愛宕山の石灯篭を見かけ、今も昔も愛宕山が火除けの神様として絶大な信仰を集めていたことがわかります。
以前、滋賀から京都・三条大橋までの旧東海道も歩いたことがありますが、旧東海道以上に石標、石灯篭、お地蔵さんが多い印象の西国街道。なので、街道風情をより深く感じることができます。
途中の西国街道沿いに、昔から地元で人気の季節の食材や高品質食品が並ぶスーパー『神崎屋』があり立ち寄ってみると、この時筍の名産地らしく旬の筍が絶賛販売中でした(4月下旬の様子)
さらに進むと、東京明治神宮のモデルとなった神社建築で有名な神社『向日神社』。青もみじの穴場名所としても知られています。
さらに、理想的なY字路(三叉路)。
いや、三叉路どころではなく、五辻が交差する場所にある『五辻の常夜灯』。現代でも、どっちへ向かって歩けばいいのやら?と迷うポイント(笑)
江戸時代、京都から楊谷寺 (柳谷観音) へ行く参拝者のため、柳谷道の起点となる五辻に建てられた常夜灯で、昭和初期に新道建設のため移設されましたが、平成24年に現在の場所へ復元。乙訓景観十景の一つに数えられ、周辺にはこの時藤の花がキレイに開花していました。
ちなみに乙訓景観十景とは、京都市西京区、向日市、長岡京市、大山崎町にまたがる旧乙訓郡において、令和元年に発足した事業で、後世に残したい自然、歴史、生態景観を認定し、その保全と活用に期待する、というもの。
街道沿いには神社仏閣が集中していますが、こちら本化日蓮宗寺院『石塔寺』も。
延慶3年(1310年)、日像上人が向日神社前に法華題目の石塔婆の傍らにお堂を立てたことが始まりとされるお寺。
住宅街の静かな佇まいに西国街道がありますが、石標も絶えずあり。またもや、愛宕大神の石灯篭。
この辺り、阪急京都線や道路入り乱れ、わかりづらい場所でしたが。
閑静な住宅街エリア。
小畑川にかかる『一文橋』を渡ります。小畑川は大枝山の老ノ坂峠に発し桂川・淀川へと合流する川。竹林を護岸林にし治水に備えられています。
橋のたもとには巨大な一文銭が飾られ、かつてここを渡るには一文銭が必要で、無銭で渡ろうとするとその場で橋守に切り付けられたと伝わっています。
さらに、川沿いの西国街道を行くと、また西国街道の石標を目印に左へ。わりと分岐点が多く、府道79号線が西国街道を縫うように整備されています。
ここから『神足商店街』へ。
この辺りからは、長岡京に本社のある電子部品メーカー村田製作所のお膝元エリア。
そして、この日のゴールとなる長岡京到着。
ちょうど、キリシマツツジの名所として知られる神社『長岡天満宮』の参道に繋がり、神社をお参りがてら見頃のキリシマツツジを観賞して終了。
というわけで、今回はここまで。次回は最終回。ここ長岡京から京都と大阪の府境まで西国街道を進みます!