畠山織恵講演会(2024年8月11日開催)~「ピンヒールで車椅子を押す」の著者が語る「あきらめない」生き方
「お母さん、自分の気持ちを大事にしてください。目いっぱい、自分を褒めてあげてください」
講師の畠山織恵(はたけやま おりえ)さんの言葉は、静かに、しかし力強く会場に響き、聴く人の心のなかへ沁みこんでいきました。
織恵さんの目標は、本と講演を通して1年で5714人の人に話を届けることです。日本における15歳〜39歳の死亡原因の第1位はなんと自殺です。5714人に1人が自ら命を絶っている計算になります。
「もし私が5714人に生きる力を届けられれば、1年に1人の命を救えるかもしれません」
そのために、織恵さんは全国を回って講演を続けています。
福山市霞町にある、まなびの館ローズコムで2024年8月11日(日)に「自分らしく生きたい ~私はあきらめない~」のタイトルで開催された講演会のようすをお届けします。
テーマは「自分らしく生きたい」
畠山織恵さんプロフィール
一般社団法人HIFIVE代表/障がい児のための【GOKAN療育プログラム】考案者。講演家。地方自治体・教育機関・一般企業への女性活躍推進研修等おこなう。著書【ピンヒールで車椅子を押す】Amazon部門1位獲得。
(畠山織恵さんFacebookより)
「ジグソーパズルってやったことありますか。ジグソーパズルのピースには、凹んだところと突き出たところがあって、隣のピースとつながります」
穏やかな関西のイントネーションで、畠山織恵さんのお話が始まりました。パワーポイントも資料も使わず、マイク1本で織恵さんは語ります。
「人も同じやと思ってるんです。凹んだところがあるから誰かの凸とつながれる。凸のある人は、尖ったところをもっと磨いたり、あるいはまあるくしたりするのも素晴らしいことです。でもね、みんなが真四角で凸も凹もなかったら、誰ともつながられへんのです」
織恵さんが19歳で生んだ息子の亮夏(りょうか)さんは、生後9か月のときに脳性麻痺と診断されました。脳性麻痺とは、胎内にいるときから生後間もない時期までに負った脳のダメージによる、運動機能の障がいです。
亮夏さんは、筋肉に勝手に力が入って突っ張ってしまったり、意思に関係なく勝手に体が動いてしまったりして、ミルクを飲むのもゆっくり眠るのも困難な子どもでした。
医師からは「歩くことも笑うことも、難しいと思ってください」と告げられます。
織恵さんは母子手帳通りにいかない子育ての原因がわかったことに、ある意味ホッとしたそうです。
その後、織恵さんには、いくつものターニングポイントがありました。
両親からの冷たい言葉に「この子を立派な人間に育てる」と決めたとき。
亮夏さんが初めて笑ったとき。
すれ違った女子高生に「大したことない、ただのオバサンやん」と言われ、タイトスカートとピンヒールに着替えて街に出たとき。
織恵さんにとってもっとも大きなターニングポイントは、亮夏さんが幼稚園の年長のときの運動会だったそうです。
運動会のメイン競技であるリレーに、亮夏さんも出場することになりました。
亮夏さんは最初の走者。グラウンドに敷いたマットの上を腹ばいで進み、次の走者にタッチするルールです。
リレーが始まりました。
マットの上をほふく前進する亮夏さんの進みはゆっくりです。亮夏さんがマットの真ん中にもたどり着かないうちに、他のチームの子どもはすでにグラウンドを2周し、3番目の走者へとバトンが渡っていました。
そのとき急に「本当は亮夏も走りたいんちゃうかな。これじゃ亮夏のチームは勝てへんな。申し訳ない」と織恵さんは思ったのだそうです。そして、その思いは、知らぬ間に声となって出ていました。
「あんた今、なにいうた?申し訳ないっていうたんか?」
織恵さんの言葉に怒ったのは、一人のママ友でした。
「亮夏があきらめてへんのに、あんたがあきらめるんか?あんなに頑張っとる亮夏に失礼やと思わんのか?」
ハッとした織恵さんの目に映ったのは、一生懸命に前へ前へと進んでいる亮夏さんと、マットの向こうで亮夏さんの到着を手を伸ばして待っている子、そして亮夏さんへ「がんばれー!」「もう少しだー!」とエールを送っている他の保護者たちでした。
「あきらめてたのは、私だけやったんです。このときから私は、二度と亮夏をかわいそうとか、他の人に申し訳ないとか思うのはやめました」
それ以降、「亮夏には亮夏の人生を歩いてほしい。ママはママの人生を歩く。やってみたいことを、あきらめないで」「大丈夫、亮夏ならできる。どうやったらできるか考えよう」と織恵さんは言い続け、亮夏さんはさまざまなことに挑戦し続けます。
乗馬に生徒会、キャンプにヒッチハイク。
そして、今、亮夏さんは講師として仕事をしています。介護や医療を学ぶ人に、障がいのある人との関わりかたを伝えているのです。
2024年現在、25歳になった亮夏さんは一人暮らしもはじめました。
織恵さんと亮夏さんがたどった道のりの詳細については、全国各地で開かれる講演会や、著書の「ピンヒールで車椅子を押す」などで確かめてください。
「子どもの体は食べ物でできています。子どもの心は言葉でできています。言葉のなかでも一番大きいのは、大好きなお父さんやお母さんの言葉です。それが良い言葉だったら、一生背負っていくものになると思います。
一人の人間を育てているお母さんは、すごい仕事をしているんです。だから、自分を大事にしてください。自分を褒めてあげてください」
話が終わったとき、大きな拍手はなかなか止まりませんでした。
グループディスカッション
織恵さんの講演のあと、グループディスカッションの時間が取られました。
グループディスカッションに参加する人は、受付時に手首にオレンジのバンドを巻いてもらいます。
参加してもしなくてもウェルカムな雰囲気のなか、「今まで自分があきらめてきたこと、これから挑戦したいと思うこと」のテーマでディスカッションをしました。
ディスカッションでどのような話が出たのかが問われると、車椅子の子どもと一緒に参加していたママは、二人で推し活を楽しんでいる話を披露。別の女性は、子どものために自分らしく生きたいと話してくれました。
主催の藤井佳奈(ふじい かな)さんも、最後にマイクを取り、この講演会を開催した思いを伝えます。
佳奈さんは2014年に交通事故によって頸髄(けいずい)を損傷し、一命を取りとめたものの車椅子を使う生活になりました。事故後、佳奈さんを心配するあまり外に出ることを止めようとする親の言葉や、「できない」ことの数々にくじけそうにもなりました。
しかし、現在の佳奈さんは「あきらめまーや(あきらめないでおきましょう)」を合言葉に、さまざまな活動をしています。
「織恵さんに出会って、やりたいことを口に出していいんだ、私らしく生きていいんだと思いました。織恵さんのメッセージを私の周りの人にも届けたくて、講演会の主催者になることを決めたんです。私は私の人生をあきらめずに生きていきたいし、みんなの夢を叶えながら生きていきたいと思います」
ひときわ大きな拍手が、佳奈さんを包みました。
スタッフの活躍
この講演会を支えていたのは、佳奈さんの思いに共感する子どもたちや保護者たちです。
当日、駐車場から会場までの誘導をしてくれたのは、中学生を中心としたNexus東ボランティア。
受付は、小学校6年生の横山芽生(よこやま めい)さんと小学校5年生の宇田百花(うだ ももか)さんです。
芽生さんと百花さんは、お母さんたちに少し手伝ってもらいながら、ていねいに受付の仕事をこなしました。
会場では、「ピンヒールで車椅子を押す」の販売も。30冊用意されていた本は、飛ぶように売れていきました。
会場から次の講演会の主催に手を挙げる人も現れました。この先、岡山県岡山市での開催が決まったのです。
あきらめまーや!
この日の講演会に集まったのは、166人。織恵さんが目標とする5714人のうち、166人はわずかな人数かもしれません。しかし、織恵さんのメッセージを受け取った166人から、また次の人へとメッセージが伝わっていくはずです。
「あきらめまーや!」166人の声が、大きく響きました。
取材協力
・画像提供:フォトグラファー 後藤成美さん