高蔵寺ニュータウンの団地リノベから見る、現代に合った団地の住まい方とは。築50年以上の団地が“贅沢な空間”に生まれ変わる。
高蔵寺ニュータウンでリノベーションに取り組むプロジェクト「団地のつづき」
愛知県春日井市にある高蔵寺ニュータウンは、東京の多摩・大阪の千里と並ぶ日本三大ニュータウンの一つ。日本住宅公団(現在の独立行政法人 都市再生機構(以下、UR)が手がけた最初のニュータウンで、名古屋市のベッドタウンとして発展した。1968年に入居がはじまり、1995年には人口がピークを迎え、5万2,000人に達した。
JR高蔵寺駅から車を走らせ、10分もすると視界の両側に並ぶ建物群が見えてくる。行けども行けども、ずらっと続く団地群の景色は壮観だ。
しかし、団地の本当の姿は中に入ることで見えてくる。外からは無機質な物体がずらりと並んでいるだけに見えたが、一歩中に入ると意外なほどに木々の緑が目に飛び込んできた。真っ直ぐの一本道だけではなく、くねくねと曲がりくねったり、坂を上ったり下ったりする道は迷路のようで、なんだか少しワクワクする。
「車からは見えないところに、団地の魅力はあると思います」と話すのは、高蔵寺ニュータウンで団地をリノベーションするプロジェクト「団地のつづき」に取り組む建築士の内藤太一さんだ。ニュータウンで育ち、現在も自ら改装した団地の一室で暮らしている。
内藤さんは、地元の建築士とデザインユニット「Danchitects(ダンチテクツ)」を結成し、仲間とともに活動している。約702ヘクタールの敷地内に、賃貸物件が約6,800軒、分譲物件は約2,000軒ある広大な高蔵寺ニュータウンを舞台に、建築だけにとどまらない化学変化が起きていた。地元のまちづくりにも関わる内藤さんに、団地が持つ可能性を聞いた。
古い建物が当たり前に残るスイス
高校を卒業するまで、高蔵寺ニュータウンで暮らした内藤さん。両親ともに建築関係の仕事をしており、小さい頃から親が建築やデザインについて話すのを何気なく聞いて育ったという。
両親の影響もあってか、大学の進路は自然と建築系の学部を選択。ゼミの先生が世界の建築を紹介する雑誌の編集をしており、海外の建築家について教えてくれたことで、スイスの建築に興味を持つようになった。大学卒業の時期が近づき、大学院進学も考えたがあまりピンとこない。「一番行きたいところから当たってみよう」と、頭に浮かんだのはスイスの有名大学だった。
「行けるかどうかわからないけど、ダメ元でスイスの大学にメールを送ってみました。そしたら、入学に必要な書類や試験などの情報を送ってくれて、もしかして行けるかもと思って」
ドイツで半年間語学を学び、2003年にETH Zürich スイス連邦工科大学チューリヒ校に入学した。
スイスでは「日本とは異なる学習環境に驚いた」という内藤さん。実際に建築家として現役で活躍している先生ばかりだったことや、海外から有名建築家を招いての授業など、レベルの高い内容だった。3年間の学習を終え、大学の先生から声をかけられ、スイスの田舎にある小さな設計事務所で働いた。
「スイスでは16世紀の建築が並んでいることもざらで、古い建物を長く使うのは当たり前という雰囲気でした」
内藤さんは約5年間、スイスの設計事務所で働いたのち、日本に帰国。「ずっとスイスで働こうとは思わなかったんですか?」と聞くと、こんな答えが返ってきた。
「よく知らない土地でやるのは、なんか違うんじゃないかという感覚がずっとありました。建築って生活に根付いたものだと思うので」
リノベーションで、団地が贅沢になる
帰国した内藤さんは、母の設計事務所で建築士として活動を始めた。実家で暮らして7~8年が経った頃、「肩身が狭い」と感じて物件を探していたときに、高蔵寺ニュータウンの物件に出会う。そこは200万円以下で売りに出されていた。
「そもそも団地の物件を買えることを知らなかったので、『団地って買えるんだ!』と驚きました。一般的なアパートに住むより、団地を自分でリノベして住んだらおもしろそう!と思ったんです」
もともと3DKだった部屋のふすまを取り払い、ワンルームに。一部は自らDIYをして住み始めたら、思った以上に住み心地がよかった。
「友人に部屋を見せたら『贅沢だね』と言われて。団地と贅沢という言葉ってあんまり結びつかないじゃないですか。そういう認識になるのか、おもしろいな、と思いました」
かつての団地は4人家族を想定してつくられた。しかし、現代の暮らし方に合わせて、1人や2人で暮らすために改装すれば、ゆとりのある部屋になる。
団地の可能性を感じた内藤さんは、自分だけではなく、建築士仲間と一緒にやろうと思い立つ。春日井市でそれぞれ事務所を構える井村さん、河合さん、酒井さんの3人と、高蔵寺駅のプロジェクトに取り組んでいた株式会社ナゴノダバンク(名古屋の円頓寺商店街を拠点に活動する会社)に声をかけ、ダンチテクツを結成。「団地のつづき」プロジェクトを開始した。
内藤さんは団地の管理組合の理事も務め、約3年前には団地全体の耐震診断を実施。今も十分な強度があることがわかった。
ダンチテクツの活動を見て、「うちもやってほしい」と依頼されたこともあった。依頼者は親から団地の部屋を相続していたご夫婦。部屋を活用できずにいたところ、ダンチテクツのことを知り、「こんなに素敵になるなら住んでもいいかも」と思ったという。
現代では再現不可能な団地の価値とは
とはいえ、「リノベーションをしてみて、そんなに簡単には売れないことがわかりました」と内藤さん。それは、売り物件の金額からも推測できる。内藤さんが団地の物件を買った2017年当初、1部屋の金額は約200万円だったが、現在は90万円で売られていることもあるという。それだけ安くても、なかなか売れない。
4、5階建ての団地はエレベーターがないため、上層階は人気がないことと、「どうしても団地にはネガティブなイメージがつきまとう」と内藤さんはこぼす。
日本では新築が好まれる傾向が強い。しかし、古い建物がたくさん残るスイスで暮らした内藤さんは、「古いものにも価値がある」と語る。
「日本では、建物をどんどん建てる時代が続きました。そこから50年以上経ち、『古い建物をどうするか』という選択を迫られる時代にきているのではないでしょうか。壊して新しいものをつくることもできる。でも、古いものにも価値があるという考えが根付けば、ものを使い続ける人も増えるんじゃないかと思います」
確かに、団地は古いが、現代では実現できない建物でもある。建物の間にゆったりとした間隔を設け、緑や公園も豊富にある。部屋は風通しがよく、頑丈なつくりで耐震の面でも問題ない。「今だったら、たぶんこんなに広々とした土地の使い方はできない」と、内藤さんは団地の魅力をキラキラした目で語った。
団地から地域づくりへ広がる
内藤さんの活動は、団地から地域全体に広がっている。春日井市では、2016年3月「高蔵寺リ・ニュータウン計画」を策定し、住民を巻き込みながら地域づくりに取り組んでいる。いくつかの部活動がつくられ、内藤さんは高蔵寺の魅力をSNSなどで発信する「ReNEW宣伝部」に参加した。
また、高蔵寺に移住してコーヒー屋を営む夫婦が、団地内でマルシェ「KOZOJI ICONIC MARKET」を開催。会場デザインはダンチテクツが担当し、団地内におしゃれな空間を出現させた。
内藤さんは「地元でやるリアリティがおもしろい」と、地元で活動する意義を感じている。まさに、内藤さんの言う「生活に根ざした活動」だ。
さまざまな人とのつながりは、新しいプロジェクトも呼び寄せた。これまでは、ニュータウン内の分譲物件を手がけてきたダンチテクツだが、今後はURの賃貸住宅のリノベーションプロジェクトにも企画協力することが決まった。
団地の可能性はまだまだ続く。専門学校で講師も務める内藤さんだが、卒業生の1人が団地の1室を購入し、リノベして住み始めるのだ。
「一般の人は、古い団地を素敵に作り変えられるイメージがなかなか湧かないと思います。そこで、建築家のたまごやアーティストがまず入居して、『あそこってなんだかおもしろそうじゃない?』という流れができていったらいいですよね」
ダンチテクツの手法は高蔵寺以外でも応用可能だ。内藤さんは、他の地域にも広げることを目指している。団地で育ち、海外でも学んだ建築士が、今は地元に恩返しをするかのように活動している。内藤さんはニュータウンでのイベントも企画しているので、興味のある方はぜひ一度現地を訪れてみてほしい。