低置胎盤で点滴をしながら自然分娩。1910mlの大量出血が止まらない!
夫と息子と私、3人家族のママライターの“あさ”です。これは、今年で中学3年になる息子を産んだ時のお話。
私にとって初めてのお産だったので、当時、里帰り出産をすることに決めて、妊娠21週目から実家近くの市立病院へ転院しました。
低置胎盤の診断。医師の「大丈夫」に安心しすぎた私
初回の診察を受けたところ、医師から「低置胎盤気味ですね。この位置ならまぁ、自然分娩でも大丈夫でしょう」と言われました。低置胎盤は大量出血があるため、帝王切開が多いと聞いていたので、自然分娩ができるという医師の言葉にホッとしました。
何度診察しても医師は「上がってくるでしょう。大丈夫」と言うので、すっかり安心してしまい、低置胎盤の自然分娩について、自分で調べることは全くありませんでした。
低置胎盤の自然分娩は、大量出血に備え万全の体制で
出産予定日から2週間過ぎても陣痛が来ませんでした。最後の診察で、「羊水が濁るので、陣痛促進剤を使って産みましょう。自然分娩ですが、大量出血に備えて点滴をしながらの出産となります。また、輸血の準備もします」と医師から説明がありました。
出産当日は8時に入院してすぐ、陣痛促進剤を投与され、14時ころに急に陣痛が来ました。仕事を終えた夫が来てくれました。立ち会い出産の予定だったので分娩室に移動し、私は点滴をつながれ、夫は私の頭の方に立ちました。
出産は看護師さんが褒めてくれたくらい順調で、息子は無事に産まれました。カンガルーケアで、息子に初乳を与えた数分が人生で一番幸せな時間でした。
1910mlの大量出血と地獄の激痛を伴う子宮圧迫
しかし、息子と夫が退室後、医師が「出血が止まらない…。子宮の収縮を促すために、圧迫しますね」と、子宮に片手を入れ、もう片方の手はお腹の上に置いて、全体重をかけて押し始めました。子宮を内側と外側から手ではさんで圧迫する双手圧迫法でした。
出産の1000倍以上の激痛で、押されている間、私は叫び声をあげ続けました。医師が「輸血の準備を」と看護師に指示しましたが、輸血をしたら母乳があげられなくなるので、痛みの中「輸血は絶対しないで!」と叫びました。
その後、輸血はせず、医師が数えながら子宮内にガーゼをどんどん詰めていって、最終的に36枚のガーゼで出血が止まりました。心から安堵しました。
起きるとめまいがする極度の貧血のなか、息子が入院
産後は貧血がひどく、ナース室側の部屋で過ごしました。どす黒い鉄剤を点滴で打ち、看護師さんに清拭をしてもらいました。息子に会えるのは1日1回授乳のときだけでした。
産後3日目に大部屋に移動し、新生児用のキャリーベッドで眠る息子を嬉しい気持ちで見ていた15分後、義理の両親と義兄夫婦がお祝いにやってきました。私は何も聞いておらず、夫に腹が立ちました。自分が抱いていない子を、人が簡単に抱くのは悲しかったのです。
翌日、息子が哺乳不良、脱水症状、渇熱で、検査入院することになりました。点滴につながれた息子に毎日搾乳して母乳を届けることが、私の唯一できることでした。心配で辛くて、毎日自分を責めました。
私が退院した6日後、息子も無事退院しました。それまで、私の心の支えは看護師さんでした。泣いている私を励まし、入院した息子の様子を毎日ノートに記録して、乳腺炎一歩手前の胸をマッサージしてくれました。看護師さんたちには感謝しかありません。
低置胎盤の自然分娩に後悔はありませんが、大量出血となるリスクへの覚悟を持って、産後の入院生活や子どものケアまで医師や看護師に事前に相談して、心づもりをしておけばよかったと今でも思います。
[あさ* プロフィール]
あさです。夫と息子の3人家族です。0歳で息子を保育園に預け、正社員で働きながら、ワンオペ育児をしてきました。月日の経つのは早いもので息子は今年高校受験です。皆さまに役立つ記事が書けるよう頑張ります。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。
※この記事は、過去にたまひよONLINEで公開されたものです。