ひらがな、数字が覚えられないまま就学目前に…先天性の病気と発達障害のある息子の小学校生活は【新連載】
監修:新美妙美
信州大学医学部子どものこころの発達医学教室 特任助教
生まれつき、目の障害を持って産まれた息子。さらに発達の懸念を指摘され……
はじめまして、河野りぬと申します。現在、わが家は夫、私、息子、娘の4人家族です。息子は片眼性先天白内障という目の病気で、生後2か月で左目の手術をしました。
弱視訓練のため、毎日コンタクトレンズとアイパッチ訓練を続ける日々。
幸いにして視力は弱いながら順調に育っていっていた中、幼稚園にあがって集団生活をするようになり、徐々に新たな問題に直面するようになりました。
年中に上がる直前に幼稚園の先生から「集団行動についていけていない。指示が通らない」という指摘をされたのです。
最初は「そうはいってもまだ幼いのだから様子をみていいのではないか」と考えていました。息子は言動や普段の様子だけを見ているとしっかりしていると感じられる部分があり、さらに少人数で遊んでいる時はなんのトラブルもなかったため、当時は発達の凸凹に気付くことができませんでした。しかし、いよいよ年長に上がる直前になり、とあることが気になりはじめました。
就学間近なのに……いくら教えても初歩的な学習が入っていかない
遊び中心のゆったりとした教育方針の幼稚園に通っていたため、学習については家庭でゆっくり教えればいいや、とのんびり構えていたのですが、就学にそなえて周りの子どもたちが次々と自分の名前を書いたり、数字を数えたり、早い子は足し算なども勉強している中、息子は6歳を目前にして20までの数唱がスムーズにいかず、ひらがなについては1つ2つしか覚えていないような状態でした。全く教えてないのなら納得ですが、少なくとも数唱に関しては毎日お風呂で20数えていたのになかなか覚える事ができませんでした。
また、集団行動からは相変わらず逃げ回り、みんながお部屋で集会しているような時でも、部屋の外で座って終わるのを待っていたり、同じように集団行動が苦手なお友だちと別の遊びをしていたりしました。
さらに、周りの子たちの遊びがどんどん規模が大きくなり、追いかけっこ、こおりおになど、ルールのある遊びを大人数でする事が多くなっていくと、息子は遊びの場にも入っていけない事が増えていきました。
言葉が達者で工作なども得意、興味のあることなら大人が覚えていないような事も覚えていたりするのに、なぜ初歩的な学習や集団行動ができないのだろう、と疑問と焦りが募っていた頃、ついに3歳年下の娘のほうが先に数唱を覚えてしまいました。
そんな様子を見て「やはりなにか理由がある。一度病院に行ってみよう」と決意したのです。
やっと行った病院で受けた診断は
さっそく幼稚園の先生からの紹介状をもらい、運良く空きがあったので早々に児童発達専門の先生に診ていただきました。すると、事前に渡した問診票の回答や紹介状の内容、当日の様子を見て早々に、
「ASD(自閉スペクトラム症)+ADHD(注意欠如多動症)ではないか」という見立てを頂きました。
集団行動への参加の難しさや、学習への興味の無さは、ASD(自閉スペクトラム症)特性である「興味の極端さ」「集中力コントロールの不得手(過集中または注意散漫)」「一斉指示の聞き取りの難しさ」などの理由から来るもの。また同時にじっとしていられない多動的な面も見られ、体幹の弱さも見受けられる事から、DCD(発達性協調運動症)やADHD(注意欠如多動症)も併せ持っていると思う……という事でした。
私は、息子の困りの全貌がようやっと見えてきて「これから具体的に対策できる!」という前向きな気持ちと、見る人が見ればこんなにすぐ分かる障害を親である自分が見過ごしてきた申し訳なさ、さまざまな障害を併せ持つ息子の行く末を案じる気持ち、など複雑な気持ちがせめぎあう中、診断を受け止めました。
療育へ通うようになり、小学校は特別支援学級を選択
その後、学習や運動プログラムのある療育へ通い始め、学習への向き合い方は少しずつ改善されていったものの、あいかわらず集団活動や場面の切り替えの苦手さが目立ち、情緒不安定な様子が続きました。
最初は個別指導、そこから少人数……と規模の大きい活動にチャレンジしていくのですが、たった3人4人の集団規模でも、コンディションによっては部屋に入っていけない、かんたんな活動に参加できないということがあるのです。そういった様子を歯がゆく見守っていた頃、いよいよ就学へ向けての相談が始まりました。予約していたWISC検査を受け、多少の凸凹はみられるものの、なんと息子は数字の上では「正常の範囲」とされたのです。
当然、通常学級を希望する前提で話が進みそうになりましたが、「待った」をかけ、一度家庭へ話を持ち帰ることにしました。
WISCの検査結果を考慮したとしても、DCD(発達性協調運動症)や弱視の問題、また実際の困りから発達障害があるという判断はありましたし、なにより療育での様子を見ていて通常学級に入るイメージは全く持てませんでした。
夫や教育相談員さんとも相談し、わが家は最終的に「特別支援学級」を希望しました。(※特別支援学級への入級基準は地域差があり、学校への事前確認が必要です)
特別支援学級での生活、療育を続ける事で得られたもの
現在、息子は1年生も終わりの頃を迎えています。あれだけドタバタとした年長の時期を超えて、今の様子はというと……別人のように穏やかに、順調に学校生活に馴染んでいます。
進学した当初こそ、激しい行きしぶりがあり、大号泣で「ぜったい行かない!」などの抵抗が続いて、何が正解か分からなくなった時期もありました。そういった時期、やはり私も息子も苦しみましたし、一朝一夕の解決策もなく、ただ苦しい時間が続くこともありましたが、家族や学校、療育現場の支援員さんが連携して支えてくださり、難しい時期を乗り越える事ができました。
2学期になると顔つきが段々と変わってきて「もうお兄さんなんだよ!なんでも聞いて!」というような言葉も聞かれるようになりました。特別支援学級での取り組みや療育を通して、明らかに「自尊心の回復」が見られ、何にでもチャレンジする前向きな心の土台が育まれていったのだと思います。
もちろん不安が全くなくなったわけではなく、まだまだ特性に振り回される日常のシーンがあったり、進路の事で悩んだりといった事はあります。ただ、チームで育児していっている感覚が得られ、困難な事があった時に頼る先が、親子ともどもできたなと感じています。
いま進級をひかえ、頼もしさも感じるようになった息子の様子を見ながら、夫と「この選択は間違ってなかったね」と振り返っています。これからも困難なことや迷いはあると思いますが、助けを得ながら協力して、あかるく育児していきたいと思っています。
執筆/河野りぬ
(監修:新美先生より)
河野さん、はじめまして。
生まれ持っての片眼性先天白内障の手術に引き続いて弱視訓練と続いた中に、就学前にASD(自閉スペクトラム症)+ADHD(注意欠如多動症)があるということも分かってということで、大変だったことと思います。小学校に上がって、いろいろありつつも順調に学校生活を送り、頼もしく感じられるほどの成長の実感を持って1年生を終えられているとのこと、嬉しいですね。文末の「あかるく育児していきたいと思っています」との河野さんの言葉がとっても素敵だと思いました。河野さんのあかるい子育てについて、これからいろいろ聞かせてもらえるのを楽しみにしています。よろしくお願いいたします。
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。