神奈川県民ホールが開館50周年記念オペラシリーズVol.2として、S・シャリーノ作曲『ローエングリン』を上演
2024年10月5日(土)・10月6日(日)神奈川県民ホール 大ホールにて、神奈川県民ホール開館50周年記念オペラシリーズ Vol.2 サルヴァトーレ・シャリーノ作曲『ローエングリン』が上演されることが決定した。
2022年に他界した、神奈川県民ホール名誉芸術総監督・一柳慧氏が、本シリーズについてこのように記した。
~ 神奈川県民ホール名誉芸術総監督・故一柳慧の言葉 ~
令和7年に迎える神奈川県民ホール開館50周年を機に、新たな舞台芸術作品を創っていこうというプロジェクトの一環として企画いたしました。タイトルこそ「オペラシリーズ」と冠しておりますが、私がめざしているのは、これまで皆さまが見聞きされてきた「オペラ」ではありません。
今私たちは、コロナ禍や戦禍、気候変動に起因する災害など、困難が多く、先が読めない時代を生きています。しかし、芸術はこれまでの歴史の中においても「創造する力」によって時代を切り拓く糸口をつかんできました。先が読めないからこそ、従来のジャンルや形式といった既成の考え方にとらわれることのない「自由な発想」を堅持したい。「オペラ」についても、従来の考え方を吟味し、未来志向での創造をめざしたい。そうした活動の中にこそ、芸術の希望がある、と私は考えています。
神奈川県民ホールは、連続企画の第1弾として、22年10月にR.ウィルソン/P.グラス『浜辺のアインシュタイン』を上演した。平原慎太郎(演出・振付)、キハラ良尚(指揮者)を中心に、これからの音楽界や舞踊界を牽引する若い力が結集し、日本初演から実に30年ぶりとなった新制作上演は、革新的なステージであったと大きな支持を得ることができた。
サルヴァトーレ・シャリーノ作曲『ローエングリン』の上演は、一柳が推進した最後のプロジェクト。私たちが抱えている様々な現代性と共に、悩みながらも明日を指さし、一歩先へ進むための仮説に挑んでいきたい。劇場は豊かで楽しい生きる力となるインフラであり、劇場芸術によって、人知を超えた目に見えない大きなものと、かき消されてしまいがちな目には見えない小さな声を現出させることができると信じて、今回の上演に取り組む、と神奈川県民ホールは伝えている。
なお、本公演の指揮は杉山洋一、エルザ役は橋本 愛が務める。
沼野雄司(神奈川県民ホール・音楽堂 芸術参与) コメント
~ 月夜と瓦礫 ~
この世の中には二種類のものがある。ひとつは確固とした輪郭と重みを持ち、硬い殻に覆われたもの。もうひとつは、おぼろげな輪郭のなかで常にかたちを変えてゆく、壊れやすくも儚いもの。
イタリアの作曲家、サルヴァトーレ・シャリーノが扱うのは、常に後者である。そこではあらゆることが曖昧なまま推移し、夢と現実のあいだをふわりと浮遊する。そのもっとも顕著な例がオペラ「ローエングリン」だろう。
決して名を問うてはいけない白鳥の騎士の伝説。どこか日本の「鶴の恩返し」にも似た話だが、この物語をロマンティックなオペラとして提出したワーグナーに対して、劇作家ラフォルグは徹底的にそれを茶化した短編を書いた。シャリーノがオペラのテキストの土台に据えているのは、この短編である。しかも、なんと彼は登場人物をヒロインのエルザひとりにしてしまった。
伝説→ワーグナーのオペラ→ラフォルグの短編、という連鎖が、ただエルザというひとりのなかに封じ込められているわけで、当然の成り行きとして、物語はバラバラに解体されている。ただ「さびしい」「おかしい」「くるしい」「いとしい」「くやしい」といった小さな感情の断片が、声にならない声として、途切れ途切れに響くのみ。普通の人から見たら、これは狂気にしか感じられないだろう。
しかし、月夜のなかでさまようエルザは必死なのだ。彼女は、この世界のなかで壊れやすい何かをつかもうとしながら、失敗し続ける。その過程を描くことがオペラの目的だと言ってよい。
オペラの前に演奏されるシャリーノの近作「瓦礫のある風景」も、基本的にはよく似た構造を持っている。ショパンをはじめとする音楽史のさまざまな断片——すなわち瓦礫——が散乱するなかで、まるで自然の音のような、あるいは雑音のような響きが鳴りつづける。しかし注意して耳を傾けるならば、そのなかに一筋の叙情が流れていることが感得されよう。
2024年10月、横浜。月夜のなかに瓦礫がうっすらと輝く風景を、ぜひ観にきてほしい。