ひらきはじめた街の風に乗る。HIKE佐藤充・陽子が放つひかり
天然酵母のパン、近くの生産者から届く農薬不使用のサラダとキッシュ、平飼いたまごのゆでたまご、グラノーラがまぶされたヨーグルトに季節のジャム。これは、熊本県玉名市にある「HIKE(ハイク)」のいつもの朝、いつものモーニングプレートのメニュー。
「おはよう」。「おはようございます」。「昨夜はよく眠れた?」。
私たちは朝の美しいひかりのなかで、大きな木のテーブルに腰を下ろし、そろって同じ朝食を食べる。そして熱いコーヒーをぐっと飲みほし、隣人といくつかのことばを交わして席を立つ。
「いってらっしゃい」。「またね」。「またいつか」。
<▲ 窓の向こうにひろがる景色と朝のひかりが、つぎの“旅先”へ向かう人たちを癒やす>
九州のほぼ真ん中に位置し、有明海に面した熊本県玉名市。東に菊池川、西に高瀬裏川を眺められる場所に位置する「HIKE」は、菊池川のほとりに立つ4階建ての複合施設だ。エントランスを抜けた入り口には手仕事の生活道具をあつめたショップ「タシュロン」があり、その奥には大きなダイニングテーブルがならぶカフェ&ダイニングがある。2~4階が宿泊フロアとなっており、泊まることができる。
オーナーの佐藤充(みつる)さん・陽子さん夫妻が、築44年の建物に目をつけ、1年近くかけてリノベーション。ホステル、カフェ&ダイニング、ショップからなる玉名の新名所として生まれ変わらせた。
「HIKE」のある玉名といえば、熊本の代表的な観光地のひとつ。「玉名といえば」のあとに続くことばといえば、ラーメン、温泉、花しょうぶ…などだろうか。しかしいまは、それだけではない。玉名の旅が、食が、観光が、「HIKE」とともにうごめき、ざわめきはじめている。観光とは、「ひかりをみる」と書く。この街に小さくつよく、根を張るふたりがいる。ふたりが集め、放ちはじめた「ひかり」とは何だろう。
PROFILE
佐藤充・陽子
さとうみつる・ようこ。充さんは1981年福島県いわき市生まれ。陽子さんは1982年熊本県玉名市生まれ。ふたりは東京のアパレルショップ「SHIPS」のグラフィックデザイナー(充さん)、販売員のちバイヤー(陽子さん)時代に出会い、結婚。退職後にふたりで世界一周の旅へ出た。1年3カ月かけて37カ国をまわり、帰国後に陽子さんの故郷である玉名へ。2020年にホステル&カフェ「HIKE」をオープン。
「旅とファッション」がふたりをつなぐキーワード
妻は九州、夫は東北。片田舎で生まれ育ったふたりを強く結びつけたキーワードは、旅。そして、ファッションだった。
オープンからまもなく5年を迎える「HIKE」。いまは“迎える側”となったふたりはかつて、世界を旅する“旅人”だった。ありったけの貯金と退職金を握りしめ、バックパックで旅した国は37カ国。ともに2015年12月に東京の会社を退社し、2016年1月に出発すると2017年4月に帰国するまで、日本には1度も帰らなかった。
「自分たちの心がハッとうごくもの」を確かめるように、そのルーツをたどった旅。グアテマラ、キューバ、メキシコ、ペルー…1年3カ月かけて世界をめぐり、異文化やあたらしい価値観にどっぷり浸かった。
目的は世界一周ではなく、インターネットやテレビ、雑誌でしか見たことのない世界を生で感じること。そのため、観光客があまり立ち寄らない少数民族の部落や、伝統工芸の工房などをつぎつぎに訪問。現地の人から直接見聞きし、感じた手ざわりの一つひとつがいま、ふたりが切り開いた「HIKE」という“道”をつくっている。
<▲ 東京で仕事を辞めたあと、「ありったけの貯金と退職金を握りしめて」世界一周の旅に出た>
「あわよくば、『私たち、将来外国で暮らせるかも?』とか『戻ったら何しようか?』とか、それくらいの気持ちで日本を発ちました。それが旅を通じて180度変わって、日本の素晴らしさを実感することになった。施設名の『HIKE』は“ハイキング”からとりました。旅の途中、ふたりで何度も山に登りました。山ですれ違う人たちは、知らない人同士でも『こんにちは!』『元気?』と挨拶を交わし合い、はげまし合い、情報を交換し合う。それがとても心地よく、すてきで。どこの国でも同じ光景をみました」(陽子さん)
<▲菊池川の河川敷から見上げた外観。築44年の整形外科病院をリノベーションして、まったく新しい場をつくりあげた>
「この建物がある場所は玉名の入り口ともいえるところで、とにかく目立つんですよ。以前は病院だったんですが、閉院してしまい、もぬけの殻になって3年くらい経っていたのかな。みんなずっと“次の使い手”を探していたんですが、この規模でしょう。なかなか決まらなかったみたいです。でも僕らはここが気に入ってしまった。いちばんの決め手は、この屋上からの眺めでした。ここからの眺めがなんだか山の頂上のように見えて。『ここなら頑張れそうだね』って」(充さん)
もうひとつのキーワードは、ファッション。実はふたりは日本のセレクトショップの草分け的存在でもあるアパレル企業の同僚の関係にあった。
陽子さんがファッションに興味を持つようになったきっかけは、高校3年生から大学生の間アルバイトをしていた、家業の靴専門店。店名は「イフェクト」。場所は、熊本きっての繁華街・プールスコート通りだった。
「当時(90年代)の熊本といえば空前の古着ブームでしたし、“ファッションの街”として名高かった。店は母が中心となって経営しており、私も小学生の頃から自分の靴は自分で選んでいました。アルバイトを通じて憧れの大人たちと一緒にいる時間が増え、そこで靴、ファッションにどんどんのめり込んでいって。そして、一度地元を離れて経験値を高めて、いつか熊本で店をやりたいという思いが芽生えはじめた。情報の発信地である東京に、勉強しにいくぞ! と意気込んで上京したんです」(陽子さん)
<▲ 陽子さんは両親が営む靴屋を手伝う傍ら、「いつか自分の店を」という思いが芽生えていった>
陽子さんの一学年上である充さんは、福島の高校を卒業後に上京。東京の大学でデザインを学んだあと、広告代理店のデザイナーとして勤務するように。そこからファッション業界のデザインに関わりたいという思いから、件のアパレル企業のグラフィックデザイナーに転職。そこで、陽子さんと出会った。
「僕は3人兄弟ですが、中学時代にいちばん上の兄貴が東京にいたこともあって、都会への憧れが人一倍強かったんです。当時の東京は、いわゆる“裏原”全盛期。僕も“スケシン”ことグラフィックデザイナー・イラストレーターの“SKATE THING(スケート・シング)”に夢中になって。愛読書は『Boon』(笑)。そういう、東京カルチャーとしてのファッションに心酔していた感じですね」(充さん)
<▲ 大学では工業デザイン、プロダクト、環境デザインなどひろくデザインを学んだ充さん>
結婚、世界旅、玉名移住。旅の終わりに見えたもの
ほどなくして陽子さんは販売員からバイヤーへ転身し、世界を飛びまわる日々に。ファッション業界においてバイヤーといえば、いわゆる「花形」職種だ。
「バイヤー時代は、海外でも貴重な経験をたくさんさせてもらいました。その反面、この仕事は体力勝負で、当時は毎日終電で帰ったり、食事も8~9割は外食だったりの日々。結婚して子どもを持ちたいと考えるようになったとき、充さんはいわき、私は玉名で、どちらも田舎の育ち。おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らしてきた家庭環境も似ていたから、どちらかの地元に戻ろうか、という選択肢が出てきました」(陽子さん)
「いわきと玉名って、なんかちょっと似てるんですよ。で、ちょこちょこ里帰りするなかで、僕は玉名ってなんていいとこだろう! って来るたびに感動していたんです。特に食べものと温泉のポテンシャルが高い。うちからすぐのところにすばらしい生産者さんがたくさんいて、これだけの食材が手に入る。これはすごいぞと。その感動を知ってもらいたくて、そのまま『HIKE』の企画に落とし込んでいる感じなんです」(充さん)
<▲ 「HIKE」のある高瀬地区。川沿いには江戸時代に建てられた石橋や石垣が並ぶ>
「玉名を拠点に“人が集まる場所”をつくりたい」――そんな想いをもってふたりは玉名に移住。そして、移住から1年半ほどして現在の建物に出合った。
開業イメージと大枠のコンセプトが決まったとはいえ、この建物はなかなかの規模の大きさだ。収益性だけで言えば、一部をテナントとして貸すことも考えられただろうが、そうはしなかった。「集う」から「泊まる」場までつくり、1棟まるごと使って世界観を形づくろうと考えた。
日本を出るときふたりは、“旅の終わり”に何が見えるかわからなかった。けれど陽子さんにとっての地元(玉名市)で、人が集い、心地よいコミュニケーションが生まれる場所をつくりたいと思うようになった。あの、旅先の山頂でくりかえし見た光景のように。
<▲北アフリカの先住民のことばで「職人」を意味する「タシュロン」。小代焼の器や、南関町「ヤマチク」の竹の箸など、思い入れの強い手仕事のものが並ぶ>
<▲「地元の価値を引き上げ、伝えられる拠点」を目指す>
<▲ 4m×3台のダイニングテーブルは、地元の人たちとDIYでつくったもの。HIKEの顔ともいえる>
<▲玉名に温泉旅館は多くあるが、HIKEのように気軽に泊まれるホステル形式の宿はなかった>
朝陽と夕陽はすべての人に平等に与えられる
仕事を辞めて、世界を旅してきた若いふたりである。夢はあるけど、きっとお金はあまりなかったはずだ。結果として、銀行から融資を受けることになるのだが、そもそも信用や実績など何もなかったふたりにどうやって融資がおりたのだろう?
率直に、「お金はどうされたのですか」と聞いてみると、「(両親が営んでいた)靴屋『イフェクト』の法人が休眠状態で残されていたことが助けとなりました」と陽子さんは言う。
「実は、私が上京後に店はすでに閉めていたんです。でも、“いつかまた何かを始めるときのために”と、母が法人そのものを残していて。その法人を活用し、事業形態を転換して融資を申し入れることにしました。
もちろん簡単にはいきませんでした。決済が下りるまで何度も資料を出し直し、心が折れそうになりました。でも、私たちの想いを一つひとつ丁寧に説明することで、ようやくこの夢を形にすることができたんです」(陽子さん)
靴屋から、ホステル&カフェへ。法人名は「イフェクト」から、「ライズセットクリエイティブ」になった。ライズセットとは、サンライズ&サンセットのこと。つまり“朝陽”と“夕陽”。これは、ふたりが旅の道中でインターネットにつづったブログのタイトルでもあった。長い旅は、決して楽しいことばかりではなかったはず。けれどそんな時でも必ず朝陽はのぼり、夕陽はその街に沈んだはずだ。
“朝陽と夕陽”がどんな人にも平等に訪れるように、誰もが気軽に訪れ、心を癒やせる場所となりますように。そして、この場所を出発点として、新たなつながりや物語が生まれていきますように――ふたりはそんな未来を信じ、新たな道を歩み始めた。
<▲HIKEを拠点に出発する「人」の連なりでもあり、山のようにも、波のようにもみえる美しいロゴ>
「HIKE」のコンセプトは、「誰もが集い、“カタル”場所」。語るには2つの意味があり、もちろん「語る」と、熊本の方言で「参加する」「仲間に入る」という意味がある。「人が集まる場所」を志したふたり。実は開業前から多くの人が“カタッた”という。
事実、世界旅から帰国してオープンまでに3年の月日をかけている。この時間をかけたリノベーション期は、「HIKE」ではなく「Think Building」と名付け、この建物を使って何ができるかを、地元の人たちとともに考えていった。
「近くに事務所をかまえてらっしゃる、建築士の村田明彦さん(村田建築設計所)を紹介してもらい、たくさんのアドバイスをいただきました。『いきなり建物がバンと完成しても、みんなを置いてけぼりにしてしまうよ。その過程を大事に積み上げていくといいよ』と教えてもらいました」(陽子さん)
ふたりは、現地見学&意見交換会の開催を皮切りに、塗装のワークショップ、クロス剥がし、間仕切り壁の取り壊し、カトラリーづくりのワークショップなど、さまざまなDIYワークショップを開催することで、地元の方々と少しずつ交流を深めていった。また、その様子をどんどんSNSに発信することで、オープン前から「玉名で何か面白いことがはじまるぞ」という機運を盛り上げていた。
主役はつくり手。“ひかりをみる旅”へ
話を、現在に戻そう。「HIKE」はオープン以来、さまざまな自主企画を立ち上げつつ、九州中のつくり手・生産者・クリエイターとつながりながら、ポップアップやイベントを実施している。その数と、質が、ちょっとすごい。
たとえば、月に1度開催されている自主イベント、「LOCAL MARKET」。こちらはいわゆる“朝市”で、「つくり手から買い手へ直接手渡すことを大切にした、顔の見えるゆるやかなマーケット」がコンセプトだ。
ふたりは、「HIKE」の主役はつくり手だという。自分たちはあくまで、その価値や可能性を、しかるべき人に手わたししているだけだと。
「オープン以来、できる限り地元でつくられた背景のわかるおいしい食材を探し回り、ランチやカフェ・スイーツメニューを提供しています。そうすると次第に、『この食材はどこで買えますか?』とお客さまから聞かれるようになりました。取り扱っている器も同様です。そんな声から生まれたのが、“LOCAL MARKET”でした。出店条件は、うちと関係性のあるつくり手さん。たとえば、『Bake shop Hatch』さんのパン、『嶋田自然農園』さんの野菜、『Chandra én Chandino』さんのハーブなど。どれもみんな、“LOCAL”=地元でつくられる宝ものばかりです」(陽子さん)
<▲ここならではの家庭料理として生まれた“だご汁”がランチメニューの定番>
最近では、自家採種の在来種野菜を軸に、農薬・化学肥料不使用の野菜を届けるオーガニック直売所「タネト」(長崎・雲仙市)の奥津夫妻との交流もさかんだ。
「いつだったか、ふらっと奥津さんがウチに来られたんです。『今日泊まれる?』って(笑)。その日の夜に、2階のキッチンでワインを飲みながらいろんな話をして…あの時はうれしかったなあ。そこから、雲仙の食と熊本の食と音楽をつなげる“TRIBUTE”という企画がうまれました。
昨年からは、(奥津さんの妻)典子さん主宰の料理教室“台所の学校”もはじまりました。奥津さんは、『これだけ意識が高い生産者が集まっているエリアはなかなかない。玉名、すごい街だよ!』って毎回言ってくださいます。
共同住宅、飲食店、公園など、さまざまなパブリックを耕し、日本全国で“人とまちを育てる”取り組みをされている株式会社『まめくらし』 の青木純さんも、息子さんが玉名の高校に通われているご縁から、よくうちに来られます。その縁が起点となって、JR玉名駅前にサテライトオフィス&コワーキングスペース『HOME』ができたり。2023年からは、公共空間を活用し、九州の食と農資源を伝えるイベント『knowledge(ノウレッジ)』の開催も始まりました。『玉名牧場』の矢野さん、『Peg/ROK』の冨永夫妻など、九州中から料理人さんや生産者さんが集まります。僕らからすると、ほんとうに憧れの人たちが次々につながっていくのがうれしくて」(充さん)
<▲2024年11月に2回目が開催された“Knowledge”。出店者の選定などをHIKEが担当。九州じゅうから生産者や料理人が集結するイベントになりつつある>(写真:原史紘)
<▲自然栽培みかんを皮ごと絞ったオリジナルジュース。こちらも“定番”に>
奥津さんも驚いた「玉名にこれだけ意識が高い生産者が集まっている」という事実。その理由について尋ねてみたが、その豊かさから、HIKEのふたりでさえ、それをまだ明確に言語化することはできていない。
玉名は農業がさかんで、菊池川流域の米をはじめ、野菜、くだもの、乳製品、柑橘とバラエティに富んだ農作物が採れる豊かな街だ。つまり、そもそものポテンシャルが高い。
それをHIKEのように、“そこにある価値”を伝えてくれる場所があること、「この街でつくっているものはずっとすばらしい」とひかりが当たったことで、その真価が浮かび上がったのではないだろうか。玉名にはいい水がある。いい土地がある。それを守ってきた人がいる。ことばにすることだけが、それを伝えるすべではないだろう。
さらに最近では、九州のクリエイティブを盛り上げる場としての顔も持つ。たとえば「九州ADCアワード」という九州のアートディレクターが主宰するアワードの審査会&交流会の会場となっている。
<▲2023年3月には、「九州ADCアワード2023」の最終審査&授賞式の会場になった>
また、地元クリエイターの個展や、熊本発のZINEのイベントも開催。とくに昨春開催された「味噌天ZINE」の反響は大きく、九州じゅうからクリエイターが集結。期間中は2100冊を超える本がここから旅立った。さまざまな企画をする立場からしても(筆者のことである)、九州の片田舎で、これだけの規模でクリエイターをつなぎ続ける場はないのでは? と毎回思ってしまう。
<▲ 2024年春に開催され、九州中のクリエイターを熱狂させた「味噌天ZINE」>
「いつも、クリエイターのみなさんが『そうきたか!』というような空間の使い方や提案をしてくださるから、それが楽しくて。僕らには思いつかないことばかりだし、みなさんがHIKEで思い切り遊んでくれるのがうれしいんです」と充さんは語るが、なんといってもすべては、おふたりの人柄のたまものなのだ。
東北から東京、海外を経て九州の玉名に移住したことについて充さんは当初、「玉名なんてつまんないでしょう?」「田舎で何にもなかでしょ?」そんな風にいわれることが多かったという。
「僕はいわゆるヨソものです。たとえば僕みたいなひとがこの街にきたときに、『玉名めっちゃいいところでしょう!』って言いたいんですよ。実際、僕はそう思ってる。そう言ってる。だから月並みな表現かもしれないけど、『地元の人が誇れる街をつくる』のが僕らの目標になりました」と熱く語る。
「東京で福島の人と出会って結婚して、まさかまた地元に戻って来れるなんて!」ところころ笑う陽子さん。これからのビジョンに対しては「守るべきものがいっぱいできたけど、いつまでも刺激を求める人でありたいな。おばあちゃんになっても」と軽やかに話す。何よりいまは、充さんと、今年小学生になる息子さんと3人で過ごす時間が貴重だという。
「“LOCAL MARKET”で買った野菜を、家で調理して夕食にするんです。シンプルに塩胡椒とかだけでサーッと焼いて。あとそれに合うワインも一緒にね、いただく。それが本っ当においしいんですよ! もうびっくりするくらい。食べるもの、感じることが東京にいたころとはまったく変わって、当たり前なんですけど。でも、いま豊かだなあって。働いていても、暮らしていても思う。そんな普通のしあわせで十分。十分すぎるくらいです」
「朝陽には希望を、夕陽には感謝を」―そう言ったのは誰だったか。ふたりはきっと、もうどこにも行くことはない。この街に小さくつよく根をはって、幾千の朝陽を、夕陽を、見届けていくつもりだ。
写真:内村友造(LOG)