【守谷市】野木崎に若き飛行士の慰霊碑、山本勲美少尉ここに眠る(山口県柳井市新庄町出身)
太平洋戦争末期、柏の田中飛行場から飛び立った日本軍飛行機3機が米空軍の急襲を受け、野木崎上空で撃墜されました。戦争の悲劇と平和の尊さを伝える慰霊碑が、ひっそりと残されています。
少年の目に映った戦争の光景
当時17歳だった稲木さん(仮名)が目撃した記録が、野木崎の椎名照雄さん宅に残っています。
「1945(昭和20)年5月25日午後のこと。空襲警報が鳴り、防空壕(ごう)へ向かう途中、上空に3機の飛行機が上昇するのを見ました。その後方から2機の飛行機が爆音とともに現れ、火砲を放ち、あっという間に3機が撃墜されました。1人の搭乗員はパラシュートで脱出しましたが、さらに攻撃を受けました。私は墜落したのは敵機と思い、皆で駆け付けると翼に大きな日の丸があり、焼けた操縦士らしき姿がありました。弾がパチパチ跳ねる音の中で、日本兵が撃墜された事実に深く落胆し、言いようのない悲しみに襲われました。」
戦後80年たった今、当時を知る人も少なく、事実確認は難しくなっています。
若き命をしのび 平和を願って…
撃墜された3機のうちの1機は野木崎の椎名豊次郎さん(故人)所有の田んぼに墜落し、搭乗していた山本勲美少尉は壮烈な戦死を遂げました。
戦後、豊次郎さんは国から機体の処理を任せられ、少尉の遺骨を丁重に収容し、山口県の遺族の元に送り届けました。
そして23歳という若さで命を捧げた少尉を悼み、墜落現場を見渡せる場所に「厄除地蔵」を祭りました。
後に、豊次郎さんの息子の椎名四郎さん(故人・元守谷町教育委員会教育長)が地蔵の隣に慰霊碑を建立。1995(平成7)年5月23日、山本少尉の五十回忌には遺族が山口県から訪れ、慰霊碑に手を合わせました。
慰霊碑は今も椎名照雄さん夫妻が手入れを続けています。
照雄さんは「先祖から受け継いだ平和への願いを伝えていかなくては」と語っています。
(取材・執筆/房)
※慰霊碑は道幅の狭い農道沿いにあるため、車の場合は守谷SA(下り)一般道用駐車場などの利用を