香坂みゆき【インタビュー】② 早過ぎたカバーアルバム「CANTOS」アナログ盤で聴いて!
本人がセレクトした限定版LP「BEST OF CANTOS」
香坂みゆきが『欽ちゃんのドンとやってみよう!』のアシスタントに抜擢されたのはまだ中学1年生だった1975年のこと。萩本欽一の横に座って初々しいリアクションをする可愛らしい少女にお茶の間の注目が集まった。スカウトされて少女モデルになったのが3歳の時だというから、芸歴はさらに遡る。
1977年、14歳の時に「愛の芽ばえ」でポリドール(現:ユニバーサル ミュージック)から歌手デビュー。キャッチフレーズは “とびだせビーバー14才” だった。その後、フォーライフへ移籍して1991年にリリースしたのが早過ぎたカバーアルバム『CANTOS』である。その1〜3集から本人が曲をセレクトした限定盤LP『BEST OF CANTOS』が4月9日にリリースされた。抜群の歌唱力が堪能できるカバー名盤の再評価は必至であろう。4月12日に単独ライブ、20日にはLPのリリースイベントも控えている。
「グッド・ナイト・ベイビー」で終わるのが心地いいかな
一一 今回のアナログ発売にあたっては『CANTOS』1〜3集の中から自ら選曲されたそうですが、その際のポイントを教えてください。
香坂みゆき(以下:香坂):あまり難しく考えずに、みんなの知ってる曲があった方がいいし、曲を知らない若い人が聴いてもいい歌だなと思えてすんなり入ってこられるような並びになればいいなと思って選びました。春に出されるイメージがあったので、「春の予感」から並べました。春から夏を感じながらB面にひっくり返して、ぽわーっと眠くなったところで「グッド・ナイト・ベイビー」で終わるのが心地いいかなと。最初にこの曲を入れたいというのをレコード会社の方にお伝えしてから、仮に並べていただいたものを聴きながら入れ替えていった感じですね。レコードなので収録するタイムを調整しながらパズルみたいに組み立てるのが意外と大変でしたけれども。
一一 なんといってもアナログ盤で聴ける楽しみがあって、音質の良さももちろんですが、パッケージを愛でる楽しさもありますよね。
香坂:『CANTOS』はCD時代になってからのアルバムでしたけど、特殊なジャケットだったんですよね。今回のレコードもその辺りはこだわって、写真選びに始まり1から10まで、ああしてくださいこうしてくださいと口出しをさせていただきました。これまではデザイナーさんが作ってくださったもののできあがりを見て “ふーん” みたいなのが普通でしたけど、今回は一緒に作らせてもらった感じです。デザイナーさんがお若いので “私のレコード買ってくださるような方々は文字が小さ過ぎると読めないから” って言って大きくしてもらったり。せっかくの機会なので思いの丈をぶつけました。きっとうるさい奴だと思われたでしょうね(笑)
今の「ニュアンスしましょ」を歌ってみよう
一一 代表作ともいうべき「ニュアンスしましょ」のセルフカバーがA面の1曲目に置かれていますね。
香坂: CHIHIROPE(チヒロペ) ちゃんっていうボーカリストがいるんです。ジャズをベースにして昭和歌謡を表現するような活動をしていて。彼女と一緒に仕事をした時に「ニュアンスしましょ」を演ってくれたんですが、そのバージョンがとても新鮮だったんですよね。それで、自分でも今の「ニュアンスしましょ」を歌ってみようと新たにレコーディングしました。アタマかラストにしようと思いましたが、最後はやはり『CANTOS』の曲で終わらせたかったので。それとB面の1曲目には3年前に配信リリースした石川セリさんのカバー「虹のひと部屋」(2022年)が入っています。その2曲以外は『CANTOS』からです。どちらの面も今の私からだんだん遡っていく感じで。
一一 LPが発売されてすぐにライブも開催されますね。
香坂:はい、4月12日に天王洲のKIWA で。そこは周年ライブなので『CANTOS』を中心にやるわけではないんですけど。『CANTOS』の曲をお届けできるようなライブはまた別に、アコースティックな感じで夏から秋にかけてできたらいいなと思ってます。あとは20日に渋谷のHMV(HMV record shop 渋谷店)で40数年ぶりにサイン会があるんですよ。それこそデビューの時以来かも。ミニライブ付きなのでギタリストの古川浩さんと一緒に数曲歌う予定です。
とにかく歌が好きだった
一一 歌手デビューの頃のお話も聞かせてください。最初から歌手になりたいというお気持ちはあったんでしょうか。
香坂:歌手になりたいというよりはとにかく歌が好きだったんですね。小さい頃からモデルの仕事をしていたので、小学校5〜6年生から1人で電車に乗って銀座のスタジオへ行って撮影して帰るという生活をしてました。よく家出少女に間違えられたりしながら(笑)。その時に父の会社が五反田にあって、帰りの時間が合うと一緒に車で帰るんですけど、その車中でずっと歌ってましたね。南沙織さんとか山本リンダさん。洋楽だとカーペンターズとか。かといってオーディション番組に出るわけでもなく。そのうちにモデル事務所に籍を置いていた関係で欽ちゃんの番組に声がかかって、サンミュージックにお世話になることになり。それでも最初は役者さんがいる部署ですぐに歌手デビューとはならなかったんですが。
一一 1977年にいよいよ歌手デビューされた時はどんな心境でしたか。
香坂:デビューのドーナツ盤ができてきた時は嬉しかったのを憶えてます。録音された自分の声を聴いて “私ってこんな声?” って思っちゃいました。当時は歌番組もたくさんあって、だいたい地方の◯◯市民会館とかホールからの中継が多かったので移動もあって忙しくしてましたけど、待ち時間が長かったですね。新人は一番最初に音合わせをするので本番までの時間が空いちゃうんですよ。それでも歌えればいい方で、行ってもただそこにいるだけの時もありました。なにしろ3ヶ月ごとに新曲を出す時代でしたから休む間もなかなかなかった。それも学校に行きながらでしたからね。
自分でもびっくりな曲だった「気分をかえて」
一一 アイドルらしい楽曲から徐々に路線変更されて、「気分をかえて」辺りでガラッと変わりますね。
香坂:ディレクターも水越けいこさんとかを担当されていた方に替わって、アイドルからニューミュージック班みたいなところに入りました。そうすると持ってこられる楽曲も急に変わる。もともと、その方は『エレックレコード』関係のディレクターさんだったんです。山崎ハコさんの「気分をかえて」は自分でもびっくりな曲でしたけど、出した時に周りの人からびっくりされましたね。“えっ!” っていう反応がいい方なのか悪い方なのか判らなかったんですけど。3年くらい前にクリスタルキングの田中昌之さんに会った時に “一時期俺たちの方に来ようとしてた時あったよね” って言われて(笑)。そういう風に聴いてくださった方がいたんだと思って嬉しかったですね。
一一 その辺りはわりとロックテイストの名曲が連なっていますね。「レイラ」ですとか。
「レイラ」は伊藤薫さんですね。薫さんからはアルバムも含めてたくさん曲をいただきました。「気分をかえて」の前のシングルだった「流れ星」という曲はスペクトラムの新田一郎さんの作曲です。あとはダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「乾いた花」を歌わせていただいたり。改めてみると作家さんに恵まれていますよね。スタジオのミュージシャンもすごい方々ばかりでした。
当分は歌い続けていきたい
一一 歌はこれからもさらに続けていかれるご意向でしょうか。
途中に長いブランクもありましたけど、そもそも鼻唄野郎なんですよね、私。テレビ局の人とかにも “ずっと歌ってるよね” って言われるくらい。ちょっと座って休んでる時とかでも無意識のうちにだいたい鼻唄を歌ってるんです。ボイストレーニングも還暦になるまでやったことがなかったし、カラオケにも行ってなかったんですけど、とにかく常に歌っていたみたい。歌うことが好きだし、一番性に合っていると思うのでその気持ちを大事にしたい。当分は歌い続けていきたいです。