<洗脳?しつけ?>よその子どもとママの会話に違和感。「私はよい母親やってます」圧がすごくて…?
子どもがたくさん集まる場所では、各家庭の教育の仕方が見えてきます。親子の関係はさまざまですが、ママスタコミュニティのあるママは、少し違和感がある関係性に気づいたようです。
『児童館でこういうママに会う。子ども同士がおもちゃの取り合いになったとき ママ「こういうときはどうするんだっけ?」 子ども「……、どうぞと言う」 ママ「そうだね。〇〇はえらいね。あっちで遊ぼうね」
絵本を読んでいて ママ「このリスさんはよい子? 悪い子?」 子ども「……悪い子」 ママ「たしかに、意地悪していたよね。でも意地悪には理由があって、本当は助けていたよね?よい子? 悪い子?」 子ども「いい子」 ママ「そうだね。リスさんはウサギさんを助けてあげていたからよい子だよね」 よい母親風だけど違和感があるのは、私が敏感なだけ?』
児童館に行ったときに、他の親子の会話を聞いた投稿者さん。何気ない親子の会話なのかもしれませんが、母親の言葉が気になってしまったようです。投稿者さんとしては違和感があるようですが、他のママたちはどう感じるでしょうか。
「私はよい母親やってます」的な違和感、あるかも
『いるいる、苦手なタイプ。周りに聞こえるくらい大声で絵本を読んでいたり、子どもを諭すときに大きい声で言ったりして、いい母親ぶる人ね』
『病院で絵本の読み聞かせを大声でする人が私は苦手だから、投稿者さんの言っていることもなんとなくわかる』
『いるいる! 私はこんなに子どもに丁寧に接しています! 躾をちゃんとやっています! 見て見て! みたいな圧を感じる』
大勢の人がいる場所で子どもに絵本を読んだり子どもに教えたりする親を見て、苦手意識があるママもいるようですね。子どもの教育を考えている、よい親であることをアピールをしているように感じられるとのこと。実際には家でも同じように子どもに接しているのかもしれませんが、ここぞとばかりに「いい母親」を演じているように思うのかもしれません。
子どもを見ていないよりはいいのでは?
『私はなんとも思わないかも。子どもがやりたい放題しているのに、お母さん同士でしゃべっている人たちの方が気になっちゃう』
『おしゃべりに夢中で、子どもを見てない親よりいい』
投稿者さんは、親子の会話を聞いて違和感を持っていますが、少し違う視点でこの親子を見ているママたちもいます。児童館など複数の親子が集まる場所で、子どもたちを見ないで親同士がおしゃべりに夢中になっていることがあるようです。そうすると子どもが危険なことをしたり、他の子に意地悪をしたりしても気づけないことも。そうした親の方が気になるという意見もありました。
「白黒つけるママの言うことが正解」と子どもが学びそう……
『ただただ読み聞かせをしているのはいいのよ。感想というか、考え方を「これが正しい、こう思わないのは正しくない」みたいに聞こえるのはよくないと思う』
『母親本人は子どもに選択肢を与えている、考えさせていると思っているけれど、自分が決めた選択をするように誘導しているよね。子どもは「私はどうしたいかな」「私はどう思っているのかな」と考えて選択しているのではなく、「ママはどう思うかな」「ママの思う正解はどれかな」と考えるようになってしまいそう』
児童館で会ったあるママは、子どもに意見を求め、子どもにも考えさせるようにしているのでしょうが、見方によっては自分の考えを押し付けているようにも感じられます。子どもが自分の考えを言ってもそれを否定してしまうような言い方になってしまうと、子どもは母親の顔色を伺い、母親が思う正解を言うようになってしまうかもしれません。
いろいろな考え方があることを教えるきっかけにはなりそう
『言葉を誘導している感は否めないけれど、偏った考え方をさせないようにしているんじゃない? 今の日本社会も、たとえばネット記事が出たら、すぐに悪だ! と決めつけて叩く傾向があるから。私は悪くないと思うけれどね』
今回の親子の場合、子どもの意見と母親が求めていた意見は違っていて、母親が訂正するような場面がありました。そこに違和感があるママもいます。たしかにこのやり方だと、子どもに母親の意見が正しいと思わせてしまう恐れもあるでしょう。
一方で、子どもは自分とは違った考えがあることに気づけるかもしれません。子どもの年齢や性格によっても違ってくるでしょうが、一つの情報があったときにそれをどう捉えるかは人それぞれ。いろいろな見方があると気づけることは、情報が溢れた現代で自分なりの考えを持てるようになるかもしれません。
子どもと親との関係性はいろいろな形がありますね。親としても、子どもとの接し方や会話の仕方などに悩むことがあるでしょう。決まった正解はないですが、さまざまな親子の形を見て、自分と子どもの関係を考えるきっかけにしてもよいかもしれませんね。