ピアニスト・嘉屋翔太「プログラムのテーマは『愛』」~デビューリサイタルに込めた想いやこれまでの歩みなどを聞く
ピアニスト・嘉屋翔太。第10回フランツ・リスト国際ピアノコンクール(ワイマール)最高位入賞など、国内外で輝かしい実績を持つ彼が、2024年7月4日(木)王子ホールでデビューリサイタルを開催する。
曲目として、ショパンの3番ソナタとベートーヴェンの『熱情』という2曲のソナタの傑作を発表するとともに、プログラムのテーマは「愛」と語った嘉屋。そのリサイタルに込めた想いと、これまでの歩み、そして音楽観まで広く聞いた。
ーー嘉屋さんは、プロフィールや他のインタビューなど拝見していると、ピアノ一筋では全くない音楽人生を歩まれてきた印象です。
ピアノは、正直たまたまピアノに出会ったから弾いているんですけど、音楽をやる中でピアノが身近にあって、再現性が高いからそれを使って今も音楽をしている感じです。
3歳くらいから音楽に触れるようになって、小学校でハマったのがモーツァルトのレクイエムでした。合唱にも非常に感銘を受けていましたね。
中学ではオーケストラに入って、コントラバスを弾いてたんですが、高校生になると学生指揮をやることになりました。みんなで楽器の音を出して音が合わさっていく感じは、ちょっとピアノでは得難いもので、オケという存在の懐の深さを感じていました。ただ、それこそ音程が正確というわけでなかったので、合奏中にもどかしさはあって、家に帰るとそれを自分の10本の指に託してピアノにぶつけて、ピアノに対する情熱に変換して練習していました。
高校からは指揮の山上紘生さんと一緒に、アマチュアオーケストラの立ち上げから関わっていて、ピアノ協奏曲の演奏でゲストとして共演させてもらったりしました。
人が好きで話すのも好きなので、飲み会に参加したり、ゲヴァントハウス管弦楽団の奏者が来日するから、と一緒に演奏させてもらったり、良い経験だったな、と思います。協奏曲もメンデルスゾーンの1番から、ベートーヴェンの1・5番、モーツァルト・ラフマニノフなど色々な曲をやらせてもらいました。おかげでスコアを読むのは自分にとっても当たり前の習慣になりましたね。
そういう意味だと、ピアノにオーケストラらしさを求める時期が長かったんです。
オーケストラと一緒に演奏していると、やっぱり音量も大きいじゃないですか。もっとピアノでもオーケストラみたいな響きを、悪く言えば力むような、求めすぎてしまうようになっていって。
だからそういう意味でオーケストラは、自分にとってはありがたい存在でもあり、呪いのように付きまとう存在でも合ったんです。「なんでオーケストラはできるのに」、というような感じで。
そこから、オーケストラのような表現を諦めて、もう少しピアノでできること、ピアノという楽器を活かせるような表現方法を、と思ったのが大学2年生の時でした。
ーー大学2年生というのはピンポイントに何か出来事があったんですか?
大きかったのは、野島稔先生に出会ったことだと思います。
野島先生の言葉で印象的だったのは、「自分の聴けていない音は絶対相手には伝わらないよ」という言葉でした。
自分で何を弾いているのか分からないことがないように練習するようになると、暗譜が飛ぶなんてことはまずない。少し思い通りに指が動かなかったとしても、自分の頭の中、指には全て入っているからパニックになることもないんです。今の練習もその一言に基づいていると言っても過言ではないし、アドバイスする時なんかもこの意味の話をしていますね。
ピアノという楽器についてある意味「諦める」までは、オーケストラの響きを求めて「鳴らす」ことを考えていたけれど、無理させないで、自分の中でピアノに対する期待値をちょうどいいところに置いてあげるようになったんです。例えばフルートみたいな音を出したい、と思った時に、あくまでもピアノという楽器でどう表現するか、一番いいバランスをどう取るか、というところに目を向けようと思うようになったんです。
そう思うと、32番以降をベートーヴェンが作曲しなかったことも合点がいくというか。ベートーヴェンの曲なんて、無茶なことや、今のピアノだと鳴りすぎるような瞬間がある。当時の楽器でやれる限りのことで音を書いていると思うんです。
ベートーヴェンが圧倒的な効果として思い描いていたその効果を、雑音とならないよう、どうやって現代のピアノで表現するのか、いい塩梅を見つけるその作業というのは、本当に耳を使う作業ですし、練習や演奏に直結するかな、と思っています。
ーーオーケストラのような響きから、ピアノらしさへ。そういう点では嘉屋さんがお得意とされているリストと、今回演奏されるショパンの対比にも似たような部分がある気がします。
リストは中学校1年生で初めて取り組んだ時には「すごい人」くらいにしか思ってなくて、それよりはモーツァルトがずっと好きだったんです。
二つの演奏会用練習曲を初めて弾いた時も、指が回る人の曲を弾いている自分が好き、みたいな程度でした。でも一番大きかったのは、中学校に入って聞いたCDですね。プロコフィエフがメインのCDだったんですけど、その中に入っていた『孤独の神の祝福』のような、シリアスなリストの楽曲に出会って、そこからリストをちゃんと知って、ヴィルトゥオーゾ的というよりは音の少ない、ちょっと神聖な雰囲気がするようなリストに傾倒していきました。
そのころはショパンよりリストが絶対に偉大だと思ってました。リストは、オーケストラや合唱とコンビネーションを作ることができたり、譜面の書き方一つをとっても一見ややこしい書き方をするんですけど、読み解くとその意味合いを強く感じるんです。一方でショパンは結構メロディライン勝負の人だと思っていて。
ただそういう部分は、後々ピアノという楽器を活かせるような表現方法を考えたときに、ショパンなりの良さがあると気づいたんです。
ーーお話を伺っていると、最初はモーツァルトのレクイエムに始まって、プロコフィエフや、オーケストラの音楽を辿りつつも、リストはより神聖なものに惹かれたりと、根幹にはずっとモーツァルト的なものとでも言えるものがあって、今再びピアノの音の世界に戻ってきているような感じなんですかね。
それは最近気づくようになりました。大学で色々考えているうちに、実は自分の根幹はあまり変わっていないのかな、と思うようになって。
モーツァルトも家で弾きたくなって弾いたり、最近はバッハの良さも分かってきて、音の少ないというか、必要最低限のもので作られる良さ、本質的なところに目が向くようになってきたのかな、と思いますね。
ーー今回のデビューリサイタルのプログラムは、初めに大曲2曲が発表されていますが、選曲の意図はどのようなものでしたか?
今回のプログラムは、最近目を向けている「バッハ的なもの」や「本質的なもの」を軸に選んでいます。
ベートーヴェンのピアノソナタ第23番『熱情』は言うまでもなく象徴的な作品で、ショパンのピアノソナタ第3番も、複雑な部分はありますけど、結局2曲は殆ど、ロマン派に派生してきただけで、本質的にはバッハに通ずると思うんです。
僕の中では、伝統の中に積み重なってきた傑作として同じカテゴリの2曲なんです。
ーー全体を貫くものは「愛」とコメントも頂戴してますね。
メインの2曲は、ピアノを習っている人は誰でも憧れる曲だと思うんですけど、プログラム全体を見てもらったらその認識がひっくり返るような、ちょっと裏をかきたい、と思ってます。
あの2曲がメインになるのは、その「愛」の表現方法の複雑さに魅力を感じるからです。一筋縄ではいかないもの。大きなストーリー性のある、起伏のある愛の表現として、あの2曲を持ってきています。
端的な表現として入れようかと思っているのは、ショパンのバラードなら、愛のものの叙事詩から着想を得て表現しているものとか、またバッハについても『最愛の兄の旅立ち』という「最愛の兄」と分かりやすいワードが入ったもの、またリストの『愛の夢』も3番まで揃えて、「全人類に対するメッセージとして」という詩がついているような曲です。だから、メインの2曲はもう少しドロドロした、愛から憎しみに変わったり、望郷の念だったり、入り組んだ複雑な感情の表現として見せたいんですよね。
平面的な、小品と大曲というプログラム形式じゃなくて、違う評価軸を持ってプログラムを見れるようにできたら、と思って考えているテーマなんです。全体を通して、記憶に残るような、後から思い返して糧になるようなものにしたいです。
ーープログラム構成や演奏家としての歩みを伺っていると、ご自身の中に哲学を持たれているのだな、と強く感じます。
哲学というと環境や金銭的に余裕のある人たちが考えるものだと思うんですけど、僕の場合は、何のために生きるのか、人生をより良いものにするためには、と考えることがあります。まだ明確な答えは出せてないですけど、物事の良さを味わえること、文化の良さ、その価値がわかる人間になりたい…物事の本質とか価値をちゃんと見出せる人間になりたいと思っています。また、そうした文化の一つのパートを担えれば、とも思いますね。
「演奏」というのも、何が人にいい影響を及ぼすのか、人生を豊かにするのか、と考えたときの一つの表現方法だと思います。音楽家じゃなかったら、という質問に、「政治家になりたい」と答えたこともあって。人に良い影響を及ぼすためには、自分の中にある哲学に基づいて表現する必要があると思いますが、その表現方法は政治でも音楽でも、要はスピーチでも演奏でも変わらないと思っています。
音楽も、耳当たりの良い曲を聴いて、「あの人の演奏好きだった」と思ってもらえるのも嬉しいけれど、目指しているのは、その背景にある音楽そのものが人生を豊かにするものだった、という記憶が残るようなものです。弾き手として、シューマンやショパンの名曲だけを弾いていれば喜んでもらえる、みたいなことは全く望まなくて、これだけ練習して演奏会に出すということは、その曲の何が良いところなのか、というところを我々は伝えたい、共有したい、と思いますね。
人気だから行ってみよう、と広まるのは嬉しいけれど、本質は見失って欲しくない。何か音を聴いてみたい、というだけでなく、曲の良さをぜひ理解してほしいと思います。今回のリサイタルは、普段からその価値を味わっている方により届くものがあるのでは、と思っています。
ーー演奏家として、自分の今のフェーズと音楽を重ね合わせられる方もいらっしゃいますけど、嘉屋さんは別のレベルで考えられているように思いますね。
自分がどういう状況なのかと考える癖はあって、音楽に自分の心境がこう影響が出ているな、と分析するのも好きなので、自分と音楽が結びついているのは当たり前だと思っていますね。
だから、「今の自分を聴いてほしい」ではなくて、「今自分ができるベストの状態で、いいフィルターになって音楽を届けたい」という方が強いんですよね。
演奏は結局のところ、自分の脳から相手の脳へと、時間や空間を介して何か物事を届けるためのものだと思っているので、自分という存在だけがフィーチャーされる必要はないと感じます。音楽そのものの力、素晴らしい価値を見てもらう、というのはそういうことだと思うんです。
ーー最後にお越しいただく皆様へメッセージをお願いいたします。
裏テーマとも言える「愛」は、一番人間の根源的・根幹をなすもので、日常的に存在すべきものだと思うんですけど、音楽で表現する、演奏で伝えるとなった時に、愛をいろんな視点から考えていただける機会になれば、愛の大切さを感じてもらう機会になれば、と思います。
また同時に純粋に、音楽の本質や美しい要素がどこに散りばめられているのか、というのが伝えられるような演奏会にしたいです。最上級の、という意味で、クラシック音楽の演奏会というものが体現できればと思っています。
銀座は中学の頃からうろちょろしていたので、この愛着のある街で、その愛を語る演奏会とすることができればと思います。