千葉にはスキー場があった~ 小説家・清水晴木「晴れ、ときどき懐う(おもう)」
千葉県習志野市出身、在住の小説家・清水晴木さん。累計4万部突破の『さよならの向う側』シリーズなど多数の執筆した小説の数々は千葉を舞台にしています。そんな清水晴木さんが著作と絡めて千葉の思い出をつづります。
清水晴木さん
1988年生まれ。東洋大学社会学部卒。2011年函館イルミナシオン映画祭第15回シナリオ大賞で最終選考に残る。2021年出版の『さよならの向う側』はテレビドラマ化して放送。『分岐駅まほろし』『旅立ちの日に』『17歳のビオトープ』など著作多数。
千葉にはスキー場があった
「習志野市は年に2、3日雪が降る」と書いたら、「習志野市は年に平均17日程度雪が降ります」と校正からの訂正が入ったのは、習志野市の小学校を舞台にした児童書『トクベツキューカ、はじめました!』を書いた時のことだった。
驚くべき回数だと思ったが、実際これはほんのかすかな降雪もカウントしているので、体感とは異なるらしい。
しかし千葉の雪事情に関して、10代やそれ以下の子どもたちにとってはもっと驚くべきものがある。
それは千葉にスキー場があったということだ。しかも船橋と津田沼の2カ所。
私の記憶にあるのは船橋の方だ。その名は「ららぽーとスキードームSSAWS」、通称「ザウス」だ。
ザウスは、長さ約500m、高低差約100mで、当時の世界最大の屋内スキー場だった。
その存在感はやはりすごく、盆に母方の実家の群馬から車で帰ってきた時にザウスが見えると、「あぁ、家までもう少しだ」という気持ちにもなった。
ちなみに母は群馬県民ということもあり、赤城山を見ると気持ちが安心したらしい。
それに比べて私はザウスを見て安心していたのだから妙な気分だ。
いや、実際のところは安心感よりも、高揚感の方が勝っていたのかもしれない。
またちなみに施設の名称である「SSAWS」とは、「Spring Summer Autumn Winter in Snow」の頭文字から来ている。
確かに私の幼少期には一年中雪と触れ合える場所がそこにあった。