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“決断”をすれば、全ての出来事に意味を見出せる #10荒川颯<上>【KINGS PLAYERS STORY】

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“決断”をすれば、全ての出来事に意味を見出せる #10荒川颯<上>【KINGS PLAYERS STORY】

学生時代に比べると、僕は人間的に大きく変わった。 以前は、一言で言えば「尖っていた」。チームメイトとも、仲のいい選手以外はほとんどコミュニケーションを取らない。バスケットも自分がやりたいようにプレーする。選手として培った自信が、悪い方に出てしまっていた。 僕のプロキャリアは順風満帆ではない。B3も、練習生も、トライアウトも経験した。多くの葛藤や挫折の中で、もがいてきた。「このままじゃダメだ」と、何度自問自答したか分からない。追い込まれ、「もうバスケを止めるかもしれない」と思ったこともある。 その中で、物事の考え方や日々の習慣を改善し、周囲の人たちとの関わり方も変わっていった。少しずつ、人間的に成長することができた。我ながら、だいぶ大人になったと思う。

2023年に練習生として加入したキングスでプロ契約を結んだことが、キャリアが好転する大きなきっかけになった。2024-25シーズンも浮き沈みはあったが、チャンピオンシップファイナルでは成功体験を積むことができた。一人のプロ選手として、まだ何か結果を残したわけではないが、「キングスに育ててもらった」という感覚は強い。

NBA選手の中で一番好きなコービー・ブライアントが、引退セレモニーで発した名言がある。 「夢は結果ではなく、旅路だ」 僕もいま、旅路の最中にいる。結果は求めるものではなく、万事を尽くした先に、後から着いてくるものだ。こういった思考ができるようになったのも、多くの試練を経ての成長の証だと思う。これまでに得た学びを今一度心に留め、前進していくために、この機会に自分のキャリアを振り返ってみたい。

松脇圭志や寺嶋良を見て、「こんなやべえ奴らがいるんだ」と驚いた。

僕は愛知県名古屋市の出身。二つ上の兄・凌矢(岐阜スゥープス所属)がバスケをやっていた影響で、自分も市立黒石小学校3年生の時に同じクラブチームに入った。ドッジボールとバドミントンもやっていて、スポーツが好きだった。中でもバスケには一番ハマり、小学6年生で身長が170cm近くあったら、その頃から進学先の中学校の練習にも参加していた。 市立神沢中学校2年の時、既に今と同じ182cmまで身長が伸びた。まわりより大きくて、運動も何でもできたから、自信だけは異常にあった。「オレ、最強」くらいの感覚だった。ただ、シュートも上手くないし、何か特徴があった訳でもない。ただデカいだけだった。 中学2年で2012年のジュニアオールスター(第25回都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会)に選ばれた時は、上には上がいることを知った。愛知県は平岩玄(アルバルク東京)や中村浩陸(同)もいて優勝候補だったけど、ベスト8で茨城県に負けた。初めての全国大会で、自分は何もできなかった。 松脇圭志がいた福岡県が優勝し、寺嶋良(広島ドラゴンフライズ)がいた東京都Aが準優勝。決勝は上の席から観ていて、同じ世代に「こんなにやべえ奴らがいるんだ」と驚いた記憶がある。ただ、チームに戻ったら自分のワンマンチーム。地区大会で、一人で55点を取ったこともある。その後も井の中の蛙だった。 この頃から、得点を取ることが自分のストロングポイントではあったと思う。

「絶対に俺も代表に入ってやる」と思っていたことが、努力の源になっていた。

高校は洛南(京都府)に進んだ。1対1を強調していた藤枝明誠(静岡県)と迷っていたけど、洛南のクールな雰囲気に惹かれた。入れ替わりだった伊藤達哉さんたちの代はインターハイ準優勝、国体優勝、ウインターカップ3位。強さも理由だった。 入学したら、中学の時に“あり過ぎた”自信を全てへし折られた。フィジカル、シュート力、ハンドリング…。それまでできていたことが、全部できなくなった。全部が足りない。どうしたらベンチに入れるか、どうしたら試合に出られるか。初めて「何かを変えないといけない」と感じた。 ただ、当時は特別な知識があるわけじゃない。幸い、寮から徒歩30秒くらいで体育館があったから、チーム練習以外の時間に人より多くシュートを打ったり、ウエイトトレーニングをしたりしたけど、努力の質は高くはなかった。 それでも、2年生の頃から1番(ポイントガード)や2番(シューティングガード)で試合に出場することはできた。洛南は入学してすぐに50種類くらいのフォーメーションを覚える。自分のスタイルとは真逆だったけど、3年間を振り返ると、戦術的な部分は叩き込まれたと思う。 高校3年生の時にはU18日本代表に入った。2015年8月の第23回日・韓・中ジュニア交流競技会だ。当時は「エンデバー」という育成枠のような合宿に参加していた。大浦颯太や一つ下のテーブス海らがいた。合宿の最後にメンバーで1on1トーナメントをして、1番になった。シューティング賞も獲得したことで、U18のトップチームに招集されたんだと思う。 当時は、寺嶋や鈴木悠介(三遠ネオフェニックス)など洛南の同期の3人が2年生の頃から代表候補に入っていて、それがすごく悔しかった。「絶対に俺も代表に入ってやる」と思っていたことが、努力の源になっていた。こういう負けず嫌いな部分は、自分のもともとの性格。今も変わらない。 初めての国際大会だった交流競技会では2試合目からスタートで出て、二桁得点を挙げたりして、結構活躍できた。あの時、「努力は報われる」という感覚を初めて味わえた。

大学では自分がやりたいようにやっていたから、ストレスを抱えているチームメイトはいたと思う。

大学は自由な文化がある拓殖大学に進んだ。もう少しでBリーグが開幕する時期だったから、プロに行くことを見据えて、自由な環境でもっと自立心を磨きたかった。その時に、初めて努力の質を求めに行ったと思う。 2年の時には当時4年の阿部諒さん(佐賀バルーナーズ)や飯田遼さん(川崎ブレイブサンダース)、1年の岡田侑大(島根スサノオマジック)らと秋のリーグ戦で優勝した。同級生には平良彰吾もいた。東京五輪を見据えて動き出していた3×3(3人制)の日本代表にも招集されて、3年の時には松脇や杉本天昇(ファイティングイーグルス名古屋)とアジアカップに出場した。 ある程度の活躍ができていた一方で、大学のチームでは浮いていた。言葉を選ばずに言えば、イキっていた。ほとんど周囲と喋らず、ずっと一人で黙々と練習をしていた。やりたいようにやっていたから、自分に対してストレスを抱えているチームメイトはたくさんいたと思う。 今振り返ると、好き勝手にやっていた小中学校時代にそういう性格が形成されたのだと感じる。シンプルに、プライドが高かった。 我ながら、今とは性格が全然違う。変わるきっかけは、その後のプロキャリアで苦労してきたことがあるのは間違いない。プレーの面以上に、人間的な部分で「このままじゃダメだ」と痛感させられる場面と何度も対峙することになる。

人間性もひっくるめて評価をされる。「このままじゃダメだ」。そう思った。

僕が初めてプロと関わりを持ったのは、大学2年生の時。当時B2だった島根スサノオマジックの練習に参加させてもらった。特別指定で入る希望を持って行ったけど、2日くらいで「絶対無理だ」と思った。まだ、プロのレベルに達していなかった。 大学4年生だった2019-20シーズンには、ライジングゼファーフクオカの特別指定選手になり、B2で11試合に出場した。ただ、コロナ禍に入った影響で、翌シーズンの契約が決まっていない状態でシーズンが途中終了した。当時もまだ自信だけはあった。福岡から契約をもらえなかったことは、GMとの面談に臨む自分の傲慢な姿勢も影響したと思う。

なんとか滋賀レイクスに練習生として受け入れてもらい、2020年12月には当時B2だったFE名古屋とプロ契約を結ぶことができた。ただ、福岡の時も同じだったけど、練習ではいいパフォーマンスが出せても、試合でそれを発揮できない。試合に臨む上で準備不足だったし、「自分はできる」という思いが先行して、それに体が追い付いていなかった。案の定、シーズン終了後はFE名古屋も含め、どのクラブからもオファーはもらえなかった。

それまでは、オファーがもらえないことに対してエージェントの方に不満を示したりして、本当に心が未熟だった。ただ、FE名古屋を退団した後、これまでのプロキャリアで一番壮絶な時期に入る。このあたりから、徐々に“尖り”が丸みを帯び始めていったように思う。 この時のオフには10チーム近くのトライアウトを受けた。仙台89ERSや三遠ネオフェニックス、長崎ヴェルカ、熊本ヴォルターズなど、全国各地を巡った。しかし、なかなか思うような契約を勝ち取ることはできなかった。 その間に面倒を見てくれたのが、横浜エクセレンスの石田剛規GMだった。「颯は絶対に上のカテゴリーでやれるから」と言ってくれて、チームに所属していない自分に対して住む場所の提供や練習参加の許可を出してくれた。最終的にはオファーもくれて、2021-22シーズンの契約を結んだ。今でも、心から感謝している。 トライアウトを通して、選手として感じたこともあった。プレー面で突き抜けている部分が自分にないということに加えて、契約を勝ち取るためには、コミュニケーションなどを含めた人間性も大事なんだということだ。それもひっくるめて評価をされる。 「このままじゃダメだ」 そう思った。

寺嶋良がオススメしてくれた本が人間性を変えるきっかけになった。“決断”の重要さを学んだ。

2021-22シーズンの途中、自分の内面が変わるための大きな転機があった。読書を始めたことだ。些細なことに感じるかもしれないが、僕の人間性を変える上で、大きなターニングポイントになった。理由は特にない。本当になんとなくだった。 まず、洛南時代から仲の良かった寺嶋が読書好きだったから、彼に「何かオススメの本ある?」と聞いてみた。紹介してくれたのは「大富豪からの手紙」と「運転者」という2冊。いずれも、ストーリーの中に人生を好転させるヒントが散りばめられている本だった。 物事を動かすに当たっての決断の重要さや、日々の地道な努力や周囲への感謝が運を“貯める”ことにつながるという考え方など、多くの学びがあった。これを機に読書にのめり込み、いろんな本を読んで考え方の幅を広げた。すると、うまく行かないことも含めて、「全ては意味があることなんじゃないか」と考えられるようになった。 自分が「決断」した道を行くために、「B1で活躍する選手になる」「Bリーグのトップ選手になる」ということを決めた。視野が広がったことで、この時期には謙虚さもだんだん身に付いてきていた。以前から努力はしていたけど、この頃からエージェントが主催するワークアウトに小まめに参加したり、練習内容を試行錯誤したりして、トレーニングの質も上がっていった。 そしたら、シーズン終了後にB1のレバンガ北海道からオファーが届いた。「大富豪からの手紙」にあった“決断”の項目には、ゴールを決めれば(決断)すれば、起こる全ての出来事に意味を見出せる、ということが書かれていた。決断をした瞬間に、物事が動き出す。その通りになって、本当に驚いた。 寺嶋には、自分の現状について相談をしたり、自己啓発のような本を紹介してほしいとお願いしたりした訳ではない。彼は「人にオススメする本を選ぶ能力がある」と自分で言っていた。おそらく、僕の置かれた状況や心中を察して、本をチョイスしてくれたのだと思う。感謝は尽きない。 2022-23シーズン、遂に目標の一つだったB1の舞台にたどり着いた。しかし、国内最高峰のレベルで、初めから通用するはずもない。またも、挫折を味わうことになる。

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