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【静岡の高校サッカー戦後史Vol.75】浜名の初代監督、美和利幸が掲げた「5年計画」強豪校の地位固める

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【浜名②】実り多かった広島遠征

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。

創部間もないころの試合風景


同好会スタートから6年目、部昇格5年目の1970年(昭和45年)度の浜名は、本格シーズンに備え、広島遠征を実施した。当時の広島は実力校がそろい、腕を磨く上で格好の地だった。

広島行きを前に、日本リーグ(JSL)の名古屋相互銀行(名相銀)と対戦し、2−0で退けた。名相銀は主力3人を欠いていたが、JSL勢を破ったことで、やれそうだ―との手応えをつかんで広島へ向かった。

その広島遠征は強豪との対戦が続いた。ところが、広島工に敗れた以外は、広島国泰寺、山陽、修道といった有力校を総なめにした。名相銀戦の勝利に加え、広島遠征でも好結果を残したとあって、選手たちの自信は一段と深まった。監督の美和利幸(浜松市南区在住)も「この遠征は実に意義あるものになった」と語る。

人脈生かして有望選手を獲得

創部当初、美和は「5年計画」を掲げた。5年後に全国大会に出場したい―と。本音は「5年をめどに戦えるチームにしたい、それくらいの気持ちだった」というが、着実に実績を積み重ねた。

部昇格の66年度に波多野一記(故人)、翌67年度に鷺坂弥寿男(故人)ら、発足したばかりというのに、有望戦力が続々と入部した。静岡大出身の美和は「大学のつながりを生かして、中学の先生方に協力をお願いした」といい、「形ができたのはそのおかげ」と感謝の言葉を口にする。

浜名サッカー部生みの親で、育ての親でもある美和利幸

「力の浜名」定着も…

60年代、県内各校の指導者が目指したのは“打倒藤枝東”だった。美和は「パワーとスピード」を前面に押し出して藤枝東に挑み、「力の浜名」のイメージがすっかり定着した。美和には異論もある。「テクニックも徹底的にたたき込んだのに、力だけが強調される」と。確かに70年代、全国舞台で輝いた浜名の攻撃陣は、速さと技を兼ね備えていた。

波多野が主将を務めた68年度、県新人戦地区予選を制し、初めて西部一の座に就く。69年度は東海代表GKの鷺坂を擁し、新人戦は西部3位だったが、県大会はベスト8に進出、秋季西部大会は優勝、と地区有力校としての地位を固めた。

福井校長のバックアップ

69年度は福井半治(故人)の校長就任年度でもあった。福井は静岡城内(現・静岡)や清水東を率いた実績があり、浜名でも全面的にサッカー部をバックアップ。美和の良き協力者となった。

地域、学校の後押しもあって力を育んだ新興浜名は、広島遠征でさらに成長し、70年度の全国総体に挑む。(敬称略)

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