「サッカーと人生をともに」元SC相模原オーナーの望月重良さん、実家のミカン農家手伝いながら“ダイヤの原石探し”に夢中!
SBSラジオの静岡サッカー熱血応援番組「ヒデとキトーのFooTALK!」に、元日本代表の望月重良さん(静岡市清水区出身)をお招きしました。後編のテーマはSC相模原のオーナー時代のこと。パーソナリティのペナルティ・ヒデさんと鬼頭里枝さんが話を聞きました(2024年10月15日放送)
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引退後、ゼロから「SC相模原」を創設
ヒデ:望月さんは引退してからの第2の人生も魅力的なんです。
鬼頭:横浜FCでプレーした2006年シーズンを最後に現役生活の幕を閉じた後、すぐに自らがオーナーになって、SC相模原を立ち上げました。
ヒデ:今はオーナーではないですが、どういうルートで立ち上げたんですか?
望月:30歳過ぎてからセカンドキャリアを考えていました。最初は監督とかコーチとかが頭にあったんですけど。
ヒデ:日本サッカー協会S級ライセンスは取ってますか?
望月:取ってます。でも引退した時に相模原に住んでた知人に「美味しい店あるから、ちょっと食べに来い」と誘われて。
それまで神奈川県の相模原っていう土地も知りませんでした。食事をしてる時に、たまたまその居酒屋の大将が「望月さんですよね?」と声をかけてきて、「相模原にサッカーチームを作ってください」みたいな話になりました。
冗談だと思って話半分で聞いていたんですが、2回目に行った時にリアルに話が進んでるんですよ。地元の名士みたいな人が来てたり。
ヒデ:あららら。脇固められ始めたわけですね。
望月:それで、僕も相模原という土地をリサーチするわけですよ。そうすると人口が72万人いて、隣の町田より大きい。スタジアムも建設中だったんです。もしJリーグチームができたら、ここでもできるなと思いました。
もちろん監督、コーチという目標もあったんですが、それを一旦捨てて人と違ったことをやろうと思って、ゼロからスタートしました。でも、選手もいなければ、チーム名もない。まずJリーグを目指すにあたり、法人格にしなきゃいけない。そこで会社を立ち上げて、チーム名を何にするか考えました。
ヒデ:めちゃくちゃ楽しい作業。でも、普通は飲み屋で終わるレベルよ。
望月:サッカーなんで「FC相模原」はどうかと思ったんです。でも、調べたら同じ名前の少年チームがあったんです。そこで、スポーツクラブ相模原で「SC相模原」にしました。
ヒデ:俺も五反田の飲み屋で、「『ハレンチ五反田』はどうだ?」「ハレンチェのほうがサッカーっぽくない?」とか話したことありますよ。
鬼頭:どっちもよくない(笑)
監督も営業も、全部自分でやった
ヒデ:大変な苦労がありましたか?
望月:半年ぐらいで選手集めて、その年に神奈川県の3部リーグに登録しました。
ヒデ:Jリーグに行くまでめちゃくちゃ早かったじゃないですか。
望月:6年ですね。
鬼頭:最短距離。こんなチームはないんじゃないですか?
望月:ただ、やる前から何となく勝てるなというか、こういう戦力を集めればJリーグにいけるなという計算が自分の中でありました。
ヒデ:Jリーグに行ってからが大変だけど、行くまでだったらいけると。とはいえ、知見だけじゃなくて、先立つものが必要ですよね。スポンサー集めとか。
望月:資金はなかったです。ゼロから。監督も、営業も、全部やってました。メディアが当時は結構取り上げてくれてたので、対戦相手は「絶対勝つ」となっていました。トントン拍子でいったのは、ツキもありました。
鬼頭:いやいや、運だけではないと思いますよ。
初回の練習はわずか4人
鬼頭:戦績がすごすぎちゃって…。どこかのチームを買収したわけじゃないですよね…?
望月:ゼロから集めました。初回の練習は4人でした。
鬼頭:まずメンバーが11人いない。
ヒデ:小説とかドラマにできる。
望月:夜、公園の駐車場の街灯の下でスタートしました。4人が5人になり、10人になり、11人になった時は、これで試合できるなと思いました。そんなレベルです。
鬼頭:漫画のスタートです。
望月:最初から出来上がってるものじゃなくて、作り上げていったチームです。
鬼頭:ちょっと信じられないですね。
心配で夜も眠れなかった
ヒデ:そこからDeNAさんに譲渡したんですね。
望月:2023年に株を譲渡して、経営権を渡しました。
ヒデ:どういう思いでした?自分がゼロからイチにしたチームですよ?
望月:2020年にJ2に昇格したんです。J2を戦う中で、個人でやる限界を感じました。要は資金ですよね。J2で年間15億円ぐらいかかるんですよ。でも、当時の僕らは3億、4億ぐらいしかなかったんです。このクラブを成長させるためには、個人じゃ難しいなと思いました。
たまたまタイミングよくDeNAさんもサッカーチームを探していたので、いろいろ話し合いながら決めました。大きい企業ですから、J1を目指す体力もあるし、いずれはアジアも狙えると思いました。
ヒデ:めちゃくちゃ面白い遊びじゃないすか。
望月:遊びじゃないですよ!(笑)
ヒデ:大人の一部しかできない遊びというか。僕、クラブオーナーが夢なんです。
望月:やめたほうがいいです。寝れないですよ。
ヒデ:じゃあやめた!クラブオーナー、もう1回やろうとは思わないんですか?
望月:絶対ないですね。当時は若さもあって営業とかもできましたけど、今はお腹いっぱいですね。それだけ財力には神経を使いました。バックに企業があるわけではなかったので、何かあったらすぐ潰れちゃうんです。
ヒデ:無理だ、やめた。基本10時には寝たいタイプだから駄目だ(笑)
望月:ただ、勝てば嬉しいし、負ければ選手と同じぐらい悔しい。
ヒデ:今となってはいい思い出ですか?
望月:そうですね。今は、また違う湧き上がるものをやりたいなって思います。
海外で「ダイヤの原石」見つけたい
鬼頭:チームのオーナーを離れて、現在はどういうことを?
望月:DeNAに経営権を渡したあとも、アドバイザーとして残っています。解説業もやってます。
あとは、Jリーグに海外選手を入れてます。今年から始めて、今15人ぐらい。ジュビロ磐田だと、マテウスペイショット、レオゴメス、ブルーノジョゼらは、僕らのグループが入れてます。免許がないので、代理人じゃないんですけど。今はグローバルに選手の成長を見たいと思っています。
ヒデ:でも、すぐ飽きるでしょ?
望月:飽きないですね。面白いです。今年の夏に、京都サンガにラファエルエリアス選手を入れたんですけど、9試合9ゴール入れてるんですよ。
ヒデ:ずっとその仕事をやるんですか。
望月:そうではないと思うんですけど。
ヒデ:一緒にやろうよ。俺、ビジネスの話大好き。面白い遊びがしたいなって、ずっと思ってるんですよ。
望月:サッカーが好きなんですね。チームを作ることだったり、マネジメントすることだったりですよね?
ヒデ:チャンスがあれば、全部やりたいっすね。望月さんは、今はダイヤの原石探しですか?
望月:そうですね。2年前、久々にブラジルに行ったんですけど、若くていい選手がめちゃくちゃいるんですよ。ただ、練習場に行くお金がないとか、食事がとれないっていう理由で、せっかくの原石が潰れてっちゃう。なので、現地の代理人事務所に資金を提供することもしてるんです。
僕らが見ても、「10歳でこんなプレーするの?」とか、驚きがあるんです。携わった子が、将来的にブラジル代表になったり、ヨーロッパでチャンピオンズリーグに出たりとか、夢があるじゃないですか。
ヒデ:そうか…じゃあ私はオーナーの夢は諦めて、目利きのほうにいこうかな。
望月自然農園でミカンの加工品づくり
ヒデ:サッカー以外に農家のお手伝いをしているそうですね。
望月:実家がみかん農家なんです。時間がある時に手伝っています。「望月自然農園」っていうんですけど、美味しいですよ。
親父が2年前に亡くなって、長男が引き継いでやっています。僕は加工部というか、クラフトビールやジェラート、ジュースなどを作ってます。知り合いにしか売ってないんですけど。
ヒデ:この話を公共の電波に乗せた時点で、もうビジネス始まってますから。「それはどこで買えるんですか?」って聞かれますからね。
望月:趣味でやってて、ビジネスじゃないんですよ。
ヒデ:ここからビジネスの話なんすけど、うちの番組のスポンサーになってほしいんです。
望月:いいですね、それ。
鬼頭:今、なりますよって言った…?
ヒデ:どうですか?ぜひ前向きにご検討していただけたら。
望月:一旦持ち帰ります(笑)
ヒデ:最後に今後の夢についてお話してください。
望月:子どものときからサッカーに携わって、サッカーで作られた部分があるので、死ぬまでサッカーに携わった人生を歩んでいきたいなと思っています。サッカーを大事にしたいというか、両手で扱いたいという感じですね。サッカーと人生を共にしたいです。