葉山 「旧東伏見宮葉山別邸」の再生。111年の時を経て蘇る宮家の別邸の知る人ぞ知る再生までを聞いてきた
葉山の別荘文化を伝える希少な建物「旧東伏見宮葉山別邸」
都心から電車、車で約1時間。神奈川県葉山町は三浦半島西部に位置し、相模湾をのぞむ海辺のまち。葉山には、1894(明治27)年の御用邸設置以前から、有栖川宮、北白川宮が別邸を置いており、御用邸が建てられてからはその流れが加速。東伏見宮、高松宮、秩父宮などの皇族に加え、華族や政治家、財界人、軍人、学者、文士などが別荘を設け、昭和初期に約500棟もの別荘があったという。
残念ながら現在では50棟以下にまで減少。ただ、そのうちには文化的、歴史的価値を有するものも多く、町内では10棟の別荘等が国登録有形文化財として登録されている。そのひとつが、2025年春に再生されることになった旧東伏見宮葉山別邸(以下別邸)。関東大震災以前にさかのぼる皇族の別邸としては唯一のものである。
まずはその由緒を見ていこう。所有者だった東伏見宮依仁親王は伏見宮邦家親王第17 王子として誕生。イギリスやフランスに留学した後、海軍軍人として任官。1903(明治36)年に新たに東伏見宮家を創設。日露戦争では巡洋艦の船長を務め、その後も横須賀鎮守府司令長官、第二艦隊司令長官を歴任。1918年には海軍大将になっている。1922(大正11)年に葉山に滞在中に56歳で薨去している。
その妻である東伏見宮周子妃(かねこひ)は明治の元勲・岩倉具視の三男具定の長女で、当時、宮廷随一の美人として知られていたそうだ。英・仏語に堪能で親王とともに英国国王ジョージ5世の戴冠式に出席した時には流暢な英語で各国皇族を楽しませたと伝わる。社会事業に積極的に参加、親王亡き後も葉山に居住、地元の小学校の運動会に臨席するなど地域から愛される存在だった。
建設当初の敷地は8556坪(2万8000m2強)と広大で、そこに現在ある洋館に接して2階建ての和館1棟が建っており、それ以外にも数棟の附属家屋、温室、東屋に果樹園などがあったそうだ。別邸の背後には現在、東伏見台という1978(昭和53)年以降に開発された一戸建てを中心とした住宅地が広がっているが、そのエリアも含めた一帯が別邸の敷地だったということだろう。
幼稚園の敷地内にひっそりと佇む別邸に解体の危機
その後、別邸は70年ほど前に同地であけの星幼稚園を運営するイエズス孝女会(以下孝女会)に譲渡される。1871年に教育を目的としてスペインで創立された同会は1951年に来日、翌1952年にカトリック横浜司教区が所有していた現在の場所に修道院、1954 年にあけの星幼稚園を創立した。周子妃は1955年までご存命で、譲渡は財産の整理ということだったのだろう。当時は近くの和風家屋にお住まいで、シスターたちは妃殿下に日本の伝統的な文化や習慣を教えていただいたそうだ。
譲渡以降、幼稚園の建物などに阻まれて外からは見えなくなった別邸。長らく修道院の宿泊所などとして使われてはきたが、新しい修道院が建てられてからは使われなくなっていった。それを借り利用してきたのが地域の人達である。
「ここ10~20年ほどでしょうか、葉山芸術祭の会場、子ども達のピアノの発表会の場やサロンコンサート会場などとしてお借りするほか、湘南邸園文化祭で公開していただくなどさまざまな形で年に4~5回、使わせてもらっていたのですが、2023年2月末にイベントの打ち合わせに伺った際に、維持管理が難しく、解体もやむを得ないかもしれないという話を伺いました」とNPO法人葉山環境文化デザイン集団の高田明子さん。
同団体は2000年に葉山町が住民と協働で歴史的な建造物の保全と活用を考える調査・研究、各種ワークショップを行った際に参加した人達が立ち上げたもので、別荘をはじめとした地域の建物などを調査、記録する活動などを行っている。
以前から老朽化を心配していたこともあり、高田さんは思わず、「私たちが守ります」と口にした。別邸を残そうと地元で広く声をかけているうち、2024年9月には別邸の保存活用を目指す一般社団法人La Casa Blanca Hayama(以下社団)のキックオフイベントを開いた。建築の専門家、地元のまちづくりNPOなどさまざまな地域の人たちがメンバーとなっており、そのうちには地元企業で全国各地のまちづくりに関わる株式会社エンジョイワークスも参画している。
「周子妃が葉山小学校に奨学金制度を設けたり、戦後子どもを抱えた寡婦の自立のために大学で資格取得に向けての講義をしたりとさまざまに社会貢献されていたからでしょう、地域の人達はこの建物に想いを寄せています。ただ、資金調達や活用などについてはNPOなどではできないこともあり、そこを私たちが引き受けました。主役は地域。私たちは裏役として活用を支えます」とエンジョイワークスの松島孝夫さん。
「旧東伏見宮葉山別邸」は、記念日のための場として1棟貸しされる計画
具体的には2024年8月に社団が孝女会と15年間の使用貸借契約を締結、社団が資金を調達、建物を活用することでそれを返済していくことになる。孝女会としては、建物は残したいものの自分たちでは活用できない、補修もできない、負担も重くて維持しきれないという状況から解放され、建物を後世に残すことができる。
社団としては改修後、別邸を1棟まるまる貸す、泊まれるようにする計画だ。
「別邸へは幼稚園の正門から敷地内を通って来る以外にルートがないため、散発的に人が来るような使い方はしにくく、1棟まるごと使う、泊まるというやり方を考えました」と松島さん。
想定しているのは記念日のための場だ。結婚式や家族のお祝い、別れ、会社のレセプションやキックオフなどを行う。その後、宿泊して夜の別邸を楽しんでもらうというようなもの。幸い、修道院時代に宿泊所として使われていたため、キッチンは立派で業務でも使える。
「葉山は目の前の海の幸だけでなく、山の幸にも恵まれています。そうした地元の産品を地元の人達の手でお出しできるようにしたいと考えています」と高田さん。「葉山の別荘文化発祥の地でもあり、学びを応援した周子妃の暮らした場所でもありますから、地域の子ども達にも使ってもらうことができればとも思っています」
そのためには改修が必要で、現時点では1億6000万円ほどかかる見込み。前述の、使える時間が限られるという制約を考えると、この全額を建物から生み出すのは難しい。
そこで3つの手を考えたと松島さん。
「ひとつは観光庁の歴史的資源を活用いた観光まちづくりのモデル事業で6000万円の助成金を得ることができました。残りの1億円は寄付とファンドで集める予定で、寄付は1口10万円から。ファンドの募集も2025年1月末までの予定で進めています」
旧宮家の別は白い外壁、緑の屋根が印象的な堂々とした洋館
さて、建物だが、前述した通り、葉山に現存する唯一の旧宮家の別邸であるだけでなく、湘南の宮家の別邸としては最初の洋館であるというのも興味深いところ。設計は宮内省内匠寮技師だった木子幸三郎。葉山御用邸の増改築、附属屋新築、北白川宮邸など皇族の邸宅を多く手掛けており、現存する建物としてはグランドプリンスホテル高輪貴賓館(旧竹田宮邸。片山東熊との共同設計)、富士屋ホテル食堂などがある。
建物は寄棟造り銅板葺の木造二階建。人目を惹くのは端正な白い板張りの外壁とその上の緑色の屋根。屋根の色は銅版が酸化、緑青と呼ばれる錆が出ているためで、白と緑のコントラストは実に印象的。別邸は「カサブランカ」とも呼ばれるそうだが、それはこの外観からである。社団の名称もこれにちなんだものだ。
色合いには優雅な趣もあるものの、建物自体は2階の棟高13.4メートル、3階塔屋頭頂まで15メートルという、住宅としては珍しいほど堂々とした高さもあって宮家の建物らしい威厳も。
現在は幼稚園の建物が迫っていてあまり広さを感じないものの、玄関前に設けられた車寄せも幅約3メートル、奥行き約5.4メートル、高さ約4メートルという規模。かつては車寄せの先が一段低くなっており、そこには池もあったそうで、建物に囲まれた今とは異なり、ひときわ目立つ建物だったことは間違いない。
建物内部の特徴としては1階、2階ともに南、西に面してL字型の広々としたサンルームが設けられている点が挙げられる。特に2階からは大きな窓から海、山が望め、今のように建物が増える以前の眺望は素晴らしいものだったに違いない。
当時の暮らしを思わせるのは1階の各室はすべて洋室であるのに対し、生活の場であっただろう2階は和室という点。来客を招くには洋室だが、寛ぎの場には畳も必要ということだろうか。お二人の生きた時代は日本の住まいの過渡期だったのだ。
軽やかな印象の室内はそのままに外装、耐震補強などを行う計画
室内も外装同様白を基調としており、周辺にある他の文化財の建物に比べ、軽やかな印象があるのが別邸の特徴。
「ご夫妻は数回シンガポールに滞在された記録があります。もしかしたら、この軽やかな建築や内装にはラッフルズホテルの影響があるのではないかしらと妄想をしているのですよ」と高田さん。
お二人の暮らしについてはまだ分かっていない部分もあるものの、公開時にはきちんと史料を見られるコーナーを作ろうと計画しているそうだ。
建物は今後、改修を経て2025年春頃には公開されることになっている。改修は主に建物外側になる計画だ。
「第一段階では耐震補強、外壁、外装の改修を行う予定です。内部についてはほぼそのまま。維持していくためにどうするかを考えながら手を入れていきます。幸い、設計図面が残っているので、この部分はそれほど問題ではありません。ただ、過去に2回改修されており、その際の図面、仕様書などが残っていないため、外装も含めて仕様が変えられている可能性があります。今後、それを調査、オリジナルに戻すことになります。文化財を保存するためにはそうした調査、復元が重要なのです。また、空調、電気関連等の設備もすべて新しくします」と松島さん。
間取りだけでなく、皇族の菊の紋が入った家具、照明器具などでオリジナルが残っているものについてはできるだけ昔の姿に戻して使い続ける予定で、改修後も今の佇まいは残されることだろう。
高田さんが「私たちが残します」と宣言してから2年。日本全国で取り壊されてしまう歴史的な建物が少なくないことを考えると、別邸は幸せな道を歩むことができている。その背景には地域の人たちの共感、参加がある。
「皇族の別荘を世に開かれたものにした例は他にありません。でも、地域の人達が自分たちの地域の宝を守ろうと参加したら、これだけの規模の建物でも再生できる。それによって地域が盛り上がる、一体感を持てるようになる、経済が回るようになる。別邸は多くの地域にとって良い見本になってくれるのではないかと思います」(松島さん)
改修を行っていた旧東伏見宮葉山別邸の工事がほぼほぼ終わり、2025年6月22日に開業のセレモニーを開くことになったという。楽しみである。