1980年代のコンサートホール御三家は【中野サンプラザ・東京厚生年金会館・渋谷公会堂】
駅近、音よし、おいしい店多し。中野サンプラザは “ちょうどいい” 会場
1980年代、コンサートといえば収容人数が約2,000人程度の中規模ホールが定番だった。なかでも、私が都内の “コンサートホール御三家” と思っていたのが、中野サンプラザ、東京厚生年金会館、渋谷公会堂の3会場だ。
私の初中野サンプラザは、1983年6月、ジョン・ライドン率いるパブリック・イメージ・リミテッドの初来日公演。セックス・ピストルズで来日しなかったことを気遣ったわけではないだろうが、「アナーキー・イン・ザ・U.K.」まで演奏してくれるサービスぶりだった。それなのに記憶に残っているのは、盛り上がるどころか、ぼーっとジョン・ライドンを眺めていた観客たちだ。あの頃は、指定された座席から動いちゃいけないみたいな気持ちがあったのかもしれない。
このあとも中野サンプラザには通い詰めた。中野サンプラザって、いろいろな意味で “ちょうどいい” 会場だったと思うのだ。駅から近いし、音響はいいし、周りには終演後に寄りたくなるリーズナブルでおいしい飲食店がいっぱい。山下達郎や松任谷由実など、中野サンプラザがお気に入りだったアーティストも数多くいる。まさに中野区のシンボルだったと思う。
海外アーティスト公演のメッカ、厚生年金会館と “ロックの殿堂” 渋谷公会堂
3会場の中で最も早く閉館してしまったのが、新宿にあった東京厚生年金会館。1980年代に来日した海外アーティストのほとんどが、ここで公演を行ったのではないか。アダム&ジ・アンツ、スタイル・カウンシル、インエクセス、デペッシュ・モード、アズテック・カメラ、トンプソン・ツインズなどなど、私も数々のライブのために厚生年金会館に足を運んだ。
たしか、建物に入ると、真っ赤なカーペットが敷き詰められた階段があり、どこか古き良き欧米の劇場のようだった。厚生年金会館の駐車場で、スタカン時代のポール・ウェラーにサインをもらったこともあったっけ。
“ロックの殿堂” ともいわれた渋谷公会堂には、何十回通ったことだろう。ハノイ・ロックス、エコー&ザ・バニーメン、U2、ストレイ・キャッツ、シーナ・イーストン、ABCなど、ここでも数々の海外アーティスト公演を体験した。2015年に閉館したものの、解体・建て替えを経て、2019年より2代目の渋谷公会堂ともいえるLINE CUBE SHIBUYAが開館している。建て替え後は、収容人数をもっと増やすのかと思っていたのだが、規模は前と変わらず、初代と同程度の約2,000人だそうだ。
音楽好き中高年の心と体には、中規模ホールがちょうどいい
1990年代以降は、キャパ1,000人以内のライブハウスと、大規模ホール&アリーナにライブ会場が二極化。その後は、オールスタンディングが可能な大規模のライブハウスが続々と増えていった。
今や、「アナーキー・イン・ザ・U.K.」でぼーっと立っていた観客は遠い過去。“日本の観客はおとなしい” という、ライブ後の海外アーティストの声もほぼ聞かなくなった。椅子のないスタンディングの会場が当たり前となったことで、ライブののり方もみんな上手になったようだ。だが50代ともなると、疲れたら座ることもできて、アーティストとの一体感も味わえる中規模ホールって、やっぱりいいなぁと思うのだ。音楽好き中高年の心と体には、あのくらいの広さのホールがちょうどいいのかもしれない。
2025年3月、中野区が中野サンプラザ跡地の再開発計画を白紙撤回したことが明らかになった。理由は工事費の高騰だそうだ。ならば、今のサンプラザをこのまま使えばいいじゃん、と思っているのは私だけではないだろう。