北海道民おなじみ「バターごはん」も…100年企業の歴史と愛されるヒミツとは
2025年は昭和で数えると、ちょうど“昭和100年”となります。
この記念すべき年に、北海道内で創業100周年を迎える企業があります。
手探りで始まったバター作り。黄色いパッケージは、100年の時を経ても変わりません。
画期的なアイデアが生んだ串だんごが大ヒット。
今年、創業100年を迎える北海道内の企業が、いまも愛され続けるワケは、いったいどこにあるのでしょうか。
北海道の乳製品といえば…「雪印メグミルク」
雪の結晶のトレードマークでお馴染み『雪印メグミルク』。
札幌で創業したのは1925年です。
札幌工場の敷地内には、100年の歴史に触れられる『酪農と乳(にゅう)の歴史館』があります。
大正から昭和初期は、輸入の乳製品が増え、北海道の酪農業は大ピンチに陥りました。
そんなピンチの中、酪農家たちが組合を立ち上げ、バターの製造に挑んだのです。
雪印メグミルク酪農と乳の歴史館の菅谷正行館長が最初に使っていた「バターチャ―ン製造機」を紹介してくれました。
「当時は機械設備もなくてすべて手作りでバターを作っていたんですね。この製造機の中にクリームを入れて、ひたすら、ひたすらかき混ぜます」
当時のバター1箱(450g)は、いまの価値で3000円ほどする高級品でした。
その“高級な”バターを庶民にも広めようと、レシピ本を作り、200種類ほどのバターを使った料理を紹介しました。
北海道民にはおなじみの、ほかほかのごはんにバターを乗せて食べる「バターごはん」。
そのレシピもこのときに提案されているんです。
その後、チーズやヨーグルトなど、さまざまな乳製品を食卓に届けてきた『雪印メグミルク』。
2025年は創業100周年のプロジェクトを計画中です。
名物「コハクだんご」の野島製菓
小樽で100年続く老舗の「野島製菓」。
こちらの団子に“うんうん、コレコレ!”というかたも、多いのではないでしょうか」
野島製菓の名物『コハクだんご』という名前は、皆さんも、聞き馴染みがあるかもしれません。
一見、普通の“串だんご”ですが、長年、愛される魅力はどこにあるんでしょうか。
3代目の野島弘社長が、50年以上前に使っていたお団子を丸く成形する木型を見せながら教えてくれました。
野島製菓は今から100年前の1925年に小樽で創業。当初は“だんご”ではなく、飴の専門店でした。
1970年頃からは“だんご”の製造に乗り出します。
しかし、当時の“だんご”は1日で固くなってしまうため、遠くのマチで販売できないことが、大きな課題になっていました。
「なんとか“釧路まで送りたい”と先代が頭をひねった。よく加熱殺菌すれば日持ちするという情報があって…」
独自の加熱殺菌の工程と、熱に強い包装資材を導入するという画期的なアイデアで、2週間経ってもやわらかい“串だんご”を実現。
その結果、ついに全道各地に販路を広げたのです。
そして、今も変わらないのは食材へのこだわりです。
「北海道でつくっているんだから、北海道原料にこだわろうと…。そうすることで付加価値がつけることができました」
うるち米に、砂糖、醤油までも道産品を使用する、北海道ならではの味です。
現在は、日本全国の物産展のほか、アメリカの物産展でも人気を集めています。
「ちょっと先を見て、やってきたのが、もしかしたら100年続いた理由の一つかなと思います」
文:HBC報道部
編集:Sitakke編集部あい
※掲載の内容は「今日ドキッ!」放送時(2025年1月10日)の情報に基づきます。