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第18回【私を映画に連れてって!】満島ひかりと安藤サクラが大ブレイクすることになる園子温監督映画『愛のむきだし』 

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第18回【私を映画に連れてって!】満島ひかりと安藤サクラが大ブレイクすることになる園子温監督映画『愛のむきだし』 

1981年にフジテレビジョンに入社後、編成局映画部に配属され「ゴールデン洋画劇場」を担当することになった河井真也さん。そこから河井さんの映画人生が始まった。
『南極物語』での製作デスクを皮切りに、『私をスキーに連れてって』『Love Letter』『スワロウテイル』『リング』『らせん』『愛のむきだし』など多くの作品にプロデューサーとして携わり、劇場「シネスイッチ」を立ち上げ、『ニュー・シネマ・パラダイス』という大ヒット作品も誕生させた。
テレビ局社員として映画と格闘し、数々の〝夢〟と〝奇跡〟の瞬間も体験した河井さん。
この、連載は映画と人生を共にしたテレビ局社員の汗と涙、愛と夢が詰まった感動の一大青春巨編である。

 
 
 一つの映画で、俳優や監督が一気にメジャーへブレイクすることがある。

 
 きっかけは『愛のむきだし』(2009)のシナリオを渡され、読んだことからスタートする。正直、園子温監督とは、映画の志向や嗜好? が異なると感じていて、『紀子の食卓』(2006)を観るまでは縁がないと思っていた。この映画は面白かった。それでも、一緒に映画を創ることはないだろう……と。そんな時、脚本を読み、渋谷の喫茶店で会うことになった。

 
 いきなり「カンヌ映画祭で賞を獲りに行こうか」と。彼は、「イエス!」の返事。

 
 これはエドワード・ヤン監督との初対面で僕が言ったことと近いのだが、「賞は、もらうのではなく、獲りに行くもの」とエドワードから言われたセリフだ。

 シナリオは、カンヌ映画祭でコンペティションに行けるレベルかと思ったが、長い! 300ページを超える脚本は、普通の監督なら5時間分だ。しかもカンヌでは彼の実績は足りない。この点は、カンヌ常連のエドワード・ヤン監督とは違う。

 園監督のそれまでの映画は、国内、海外(ベルリン映画祭)で評価はされていたものの、自主映画的なものも多く、一般への浸透度は低かった。

 当時、在籍していたGAGAでは、もちろんNo Good。僕もメジャー中心の映画製作を行っていた。しかも、諸般の事情で突然、フジテレビに一旦、戻ることにもなってしまった。こんな危ない企画はテレビ局では100%成立しない。

 このモラトリアム期間を生かして、ちょっとお金のかかった自主映画? でやることになった。いい意味では、プロデューサーと監督だけですべてを決められる。製作委員会ではないので、出資者からの意見もない。この形でしか映画『愛のむきだし』は成立出来なかったかもしれない。

 脚本は彼の友人の、ほぼ実話体験から発想を得ているとのことで、その点は興味深かった。初対面ながら「キャスティングは基本的にプロデューサー側に託してほしい」と。なぜなら、それまでの彼の映画よりも大きくアピールしていくためでもある。すでに彼の中ではキャストは決めているようだったが、一旦、リセットした。

 わざと目の前から、僕の知人のメジャー系俳優に電話したりして、有名かつ良い俳優の必要を示唆したりした。その役は、『スワロウテイル』(1996)でも一緒だった渡部篤郎さんにやってもらうことになった。

 目標の「カンヌ」は共有したが、そこまでのプロセス、アプローチは基本、プロデューサー側のジャッジと責任である。

 大きなハードルは長さだ。『ヤンヤン 夏の想い出』(2000/カンヌ映画祭監督賞)も2時間53分と長かったが、エドワード・ヤン監督はカンヌで実績があった。初挑戦の園監督はその点でハンデがある。

「尺は2時間半で行こう!」

 
「……わかりました……」

 

 今、振り返ると5時間分の脚本を半分にするのは無茶なことだったかと。それでも、モチベーションというのか、「カンヌで賞を獲る」ことを自分の第一に置いてしまっていたのかもしれない。

▲『愛のむきだし』は、〝作家主義〟を標榜し、アジアを中心として各国の独創的な作品を上映する東京フィルメックスの特別招待作品として2008年11月の上映後、2009年1月31日に東京・渋谷の渋谷ユーロスペース2ほかにて公開された。東京フィルメックスでは、観客の投票により選出される東京フィルメックスアニエスベー・アワードを受賞。決定稿台本は311ページ、上映時間は237分と長く、公開終了後に発売されたDVDは2枚組だった。長尺のため劇場探しが困難で、劇場によっては、インターミッションをはさむ二部構成での上映となった。舞台挨拶が行われたユーロスペースでは目いっぱい1日3回の上映を敢行した。

 

 キャストの中で、監督が最初からこだわっていたのが満島ひかりさんだった。僕は、よく知らなかった。事務所のマネージャーと会った時、何冊か水着の写真集などを渡され、10代では<Folder(フォルダー)5>でアイドルだったと。<フィンガー5>世代の我らには沖縄出身だけは認識できた。本人と初めて会った時「アイドル崩れ……ですがこの映画で女優として勝負かけたい!」旨を言われ、凄い迫力を感じた。

 
 行動も伴い、撮影前には、渋谷区内の小学校の夜の体育館を借り、日々、アクション指導を受けていた。一度、覗いた時も、マットや跳び箱のあるところで、汗だくの彼女がいて、感動すら覚えた。

 
 もう一人は安藤サクラさんだ。昔、一緒に『新宿鮫』(1993)で仕事をした奥田瑛二さんの娘さん程度の認識だった。僕としては珍しく、撮影現場に顔を出した。「長さ」のことが気掛かり……というのが一番の理由だが、いつも安藤さんがいて、こんなに出番があったかな? と思うほどだった。奥田さんも気になったのか、撮影現場にいらして、久々にお話しした。その日は、彼女は血みどろのシーンだったが。

 

<AAA(トリプル・エー)>の西島隆弘さんはプロデューサー側のキャスティングだが、見事にはまった気がする。

 
 西島隆弘、満島ひかり、安藤サクラの若手陣と、渡部篤郎、渡辺真起子らのベテラン俳優が上手く絡み、とても良いキャストの組み合わせになった。

 

 一方で、長さに関する懸念は払しょくできないままだった。昔、大林宣彦監督と『水の旅人 侍KIDS』(1993)を製作した際、「1時間半が理想です!」と話した時に「僕は、普通の2倍、シナリオが2ページで1分ですから200ページでも1時間30分台で撮れますね」という大林監督のフレーズが蘇り、300ページなら2時間半で可能か、と独り言を言ってみたり……。

 
 ラッシュ(撮影部分試写)は、すこぶる面白く、僕の予想を超える出来だった。シナリオに無いシーンも加わったような気もしたが……。

 

 撮影が終わり、編集マンのスタジオで全体ラッシュ。監督はこのバージョンで行きたい、と事前に聞いていた。ラッシュなので音付けも無い状態なのに、圧倒される展開の速さ。飽きさせないストーリーの中で俳優たちが躍動する。傑作かも。

「これ、ちょっと長めだけど、どれくらいの尺」

「5時間ちょうど位です!」

 まず、カンヌ映画祭が脳裏を駆け抜け、次に上映予定の劇場、ユーロスペースの支配人の顔が浮かぶ。「1日2回上映も厳しいのでは……。途中休憩あり??」そんな長い映画は作ったことがない。

 即刻、「面白いけど、2時間半程度で約束したよね……」

「わかりました。2時間半バージョンで編集し直します」と、監督がやけに素直に。

 アメリカでは編集権はプロデューサーにあるが、日本は監督との〝協議〟がほとんどだ。『スワロウテイル』の時は、僕が配給会社との契約で「2時間15分程度」と契約を交わしていた。監督最終バージョンはほぼ3時間だった。とても面白かった。しかし「2時間15分程度」ではない。やはり2時間30分を切らねば、と決断し、2時間29分の完成版となった。カットしたシーンには僕が好きなシーンもあったが、そこは堪えて……。

 『愛のむきだし』のカットはそのレベルではない。半分の尺だ。その後、編集し直した2時間半バージョンを観せられ、最終決断を迫られる。これではダイジェスト版だ。面白さ半減、というか面白くない。まさか2部作にも出来ない。カンヌは厳しいだろうが、日本の公開は1日2回以上上映しなくては……。

「4時間を切ろう! 3時間何分ということで。以上!」

 中味には殆ど言及しなかった。出来なかった。撮影が終わった時から「5時間」は監督の頭の中にあったのだ。2時間半バージョンは、「ダメ」のリアクション想定なのである。勝ち負けではないが、ちょっと負けた気分になった。

「完成尺3時間57分」。3時間台の映画です! というには無理があり、「4時間」の映画になった。

▲園子温監督23作目の作品となる2009年公開の映画『愛のむきだし』。第59回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に選ばれ、若手監督の登竜門であるフォーラム部門で上映された。結果、カリガリ賞と、国際批評家連盟賞を受賞した。園監督が知り合った〝盗撮のプロ〟の実話を基に、監督自身の体験や取材を組み込んだ作品で、親の愛情が欠如した状態で育ち、その空虚感を埋め合わせるために変態行為、暴力、宗教などに走る若者たちの姿を描いた衝撃的な作品であると共に、若手俳優たちのエネルギッシュで、その役に入り込んだ演技が印象的な映画だった。西島隆弘、満島ひかり、安藤サクラ、渡辺真起子、渡部篤郎などのほか、まだその名を知られていないころの綾野剛や松岡茉優の顔も見える。キネマ旬報ベスト・テンでは日本映画ベスト・テン第4位に選出され、西島隆弘は新人男優賞を、満島ひかりは助演女優賞を受賞した。毎日映画コンクールでは、園子温が監督賞に、西島隆弘と満島ひかりがスポニチグランプリ新人賞に輝いた。映画雑誌「映画芸術」の2009年日本映画ベストテン第1位に選出されている。ベルリン国際映画祭でのQ&Aには園子温監督(右端)と安藤サクラ(左から2人目)が登壇した。

 

 カンヌには行けなかったが、ベルリン国際映画祭のフォーラム部門に選ばれ、ベルリンに行った。2000人前後が入る大劇場で4時間の映画がスタート。エドワード・ヤン監督のお陰で2000年のカンヌ映画祭上映では、物凄いスタンディングオベーションを味わった。一方で、カンヌでつまらないと思われると平気で皆、席を立つ。終わったら十数人しか観客がいなかった映画に遭遇したこともある。

 外国人、しかもうるさ型の観客がこの〝ヘンタイ映画〟を最後まで、観てくれるのか? しかも、始まる直前に監督が「ちょっと外で飲んで来ます!」と。「えぇ~、上映中のリアクションとか見ないわけ~」と言ったような・・・。上映後はQ&Aがある。また、へべれけ状態で?? 実は小心者??

 さすがに上映終わり直前には戻ってきた。一目で、「酔っている」。

 会場が明るくなり、観客はみな、残っていた。大きな拍手とスタンディングオベーション。キリストを侮辱するようなシーンが多いのに大丈夫??

 酩酊状態の舞台でのトークは、司会者を困らせ、NGワード連発、安藤サクラさんも苦笑するしか……ゴメンナサイ。

 しかし、権威ある「カリガリ賞」を受賞。プラス、「国際批評家連盟賞」も獲り、2冠。実は、フジテレビに籍が戻っていたので、ベルリンは〝有給休暇〟で。ヴァージンアトランティック航空の格安往復66000円のチケット。隣の声が駄々洩れの狭い部屋。すべては懐かしい想い出だ。

 

 国内でも毎日映画コンクールで監督賞受賞、西島隆弘&満島ひかりは多くの新人賞も獲得した。満島ひかりさんは、キネマ旬報助演女優賞などにも輝いた。安藤サクラさんの怪(快)演? も大きな評判になり、ヨコハマ映画祭では助演女優賞を獲得した。その後の、それぞれの活躍は此方も嬉しい。

 園監督もその後『ヒミズ』(2012)ではベネチア映画祭でコンペティション部門に選ばれ、染谷将太&二階堂ふみは、マルチェロ・マストロヤンニ賞(俳優新人賞)に輝いた。僕は関わらなかったが、GAGAにいた時の後輩たちが中心になり、製作・配給も行った。

『愛のむきだし』から数年経ったあたりに、「5時間バージョン」の話が、時折聞こえてくるようになった。確かに、最初に観た時のインパクトは忘れない。

 一緒に制作したプロデューサー陣や監督の本気さは持続していたらしく、J:COMが放送前提で資金を提供してくれ「5時間版」が復活し、放映された。

 手元に、DVDを持っているが、未だに見ていない。なぜだかわからないが……。

 

かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。また、武蔵野美術大学造形構想学部映像学科で客員教授を務めている。

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