時代を動かすデータサイエンス~宮田裕章さん
ファッションデザイナー:コシノジュンコが、それぞれのジャンルのトップランナーをゲストに迎え、人と人の繋がりや、出会いと共感を発見する番組。
宮田裕章さん
1978年、岐阜県生まれ。慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室教授のデータサイエンティスト。「データサイエンスなどの科学を駆使して社会変革に挑戦し、現実をより良くするための貢献を軸に研究活動を行うこと」をテーマに、医学領域を超えて様々な実践・研究に取り組んでいます。著作に『共鳴する未来』(河出書房新社、2020年)。
出水:宮田さんの小さい頃のお話をお伺いしたいです。どんな少年だったんでしょうか。
宮原:変わってはいたかもしれないですね。言葉が出始めた頃、世話をしてくれたおばあちゃんと近所を散歩しているときに、全部に「なんでこれはどうなっているのか」って。なんで?なんで?なんで?って聞いて、納得するまで許さない。どんどん問い詰めていくというか、問いをとにかく立てまくって。
JK:相手が子どもだと言っても、大人も本気で答えるものね。
宮原:適当に答えると「いや違うでしょ」っていう感じで詰めていって(^^;) 言葉が出始めた瞬間からとにかく世界を知ろうという意欲がちょっと尋常じゃなかった、っていうのは支えてくださった方々がみんな言っています。
JK:それをずっと続けていくと学部教授! 着ているものは医学教授という感じがしないんだけど、そういう人がいて楽しいですね。大学の先生って肩書を見ると固い固い感じがするじゃないですか。ほっとするわね。
宮原:やっぱりファッションも大好きなんで(^^;)
出水:今お話に出てきたおばあ様は、呉服屋さんですか?
宮原:2人祖母がいるんですけど、僕のサポートをして、なんで漬けにされた祖母は母方で、父方が呉服屋。派手な、とにかくファッションが好きな方で、そこからの影響もあります。
出水:その頃から着るものとかも? 結構小さいお子さんってわりと主張が出てきたりするじゃないですか。
宮原:自分で選びました。ただこだわりを持って選ぶっていうのは、高校大学生ぐらいなので、ファッションに特徴が出てきたのはそれからですよね。それまでは制服なので、制服文化でどう崩すかぐらい。
JK:制服脱いだら「やったるぞー!」って感じですね、一気に(笑)先生になったらもっとすごい。
宮原:若気の至りって言葉があるじゃないですか。多分、僕は今が一番恥ずかしい(笑)昔とんがっていろいろやってどんどん丸くなりました、って人がいるんですけど、僕はどんどんどんどん外れていっている感じです。
JK:そっちの方が成長してますね。
宮原:やっぱり日本のドレスコードってどうしても個を抑圧する。本来のドレスコードって、あるレギュレーション、ルールの中で個性を表現するってことなんですよね。でもどっちかというと、とにかく無難に、みたいに抑圧するのが制服だったりするんで、それを打ち破るような、ある種の多様性っていうのが必要なんじゃないかって。これくらいまで歌舞いて良しっていうか。
JK:制服って朝起きて考えなくてもいいから、自動的に着ちゃえばいいっていうのと、またかっていうのとの違いですよね。
宮原:そうなんですよ。そこに生活の豊かさもどんどん失われる部分もあるし。
JK:その反動が怖いですよ。逆にそれが面白いというか。抑圧されて、爆発みたいに「もう学校が終わったらやろう!」ってね。
出水:どういった教科が得意だったんですか。
宮原:実は東大は前期理系、後期文系を受けているんです。自分の納得できる問いにたどり着く上ではひとつの分野じゃダメだろうと思っていて、とにかくいろいろなものを学んだっていう部分があります。なんでデータかっていうと、1つは時代が変化するときに大きく動く学問が核になるんですよね。かつては熱力学だったり、宇宙工学の時代があったりするわけなんですけども、情報革命は数十年続いてきたんですけど、やっぱり核になるのはデジタルだ、っていうところで選んだ。
JK:ご自分の人生のマサカは?
宮原:コシノ・ジュンコさんはファッションデザイナーとしても、人としても本当に尊敬してるんですけど、万博のテーマプロデューサーになって、シニアアドバイザーとしていろいろアドバイスいただけたことが本当に宝物です。
JK:えっ本当ですか?? やってよかった!
宮原:本当に! 1970年のコシノさんのファッションって超かっこいいんですよ、今見ても! 25年の万博のデザイナーの服が全部かすむぐらい、コシノさんの服はめちゃくちゃかっこいい! 本当にすごいんですよ、みんな見てください! 当時は敗戦の中で、なんで日本人なのに洋服を着るんだとか一歩も二歩も遅れてるような感じがあったんですよね。でもコシノさんの圧倒的にかっこいい服、私たちが世界で戦えるんだっていう1つのファンファーレになった。
JK:すごい嬉しい! でもそんなこと自分で言えないですしね(笑)
宮原:だから僕がいっぱい言います(^^) そのコシノさんとお仕事できるっていうのはマサカだし、私自身はコ・キュレーションを長谷川優子さんとやったり、アーティストとして虹を作ったりとかいろいろやってますけども、最初の方は表現に関してはまだまだこれからだったんです。でもコシノさんは一貫して「宮原さんがやることにすごく期待してるんだ」って言って。それこそ協会内の人からは「お前に何ができるんだ」ぐらいの感じがくるんですけど、コシノさんはそこにすごく信頼をしてくださった。
JK:今日はもう生きててよかった(T_T)
宮原:レジェンドと仕事できるってことと、コシノさんの温かい眼差しと、私の何かしようってエネルギーをすごくサポートしてくださって、僕らの中である種破天荒なパビリオンがなんとか形になったのはコシノさんのおかげです。
JK:嬉しい! 私タカラベルモントと1970年の時もユニフォームやったんですけど、今回もやるんです。今回も! 2度もやる人って世の中にいない。
宮原:すごいですよね、55年を経て。デザインも拝見しましたけどかっこいいですよね! 対極っていうコンセプトもすごい大好きで。今は派手な南国の鳥みたいな色になってるんですけど、僕のベースも白と黒。対極の色を、相反するものをいかに組み合わせて作るかっていう自分のクリエーションを紙で表現してて、それはやっぱりコシノ・ジュンコRESPECTを表してます。
JK:パッと言ってすぐ分かる。考えることじゃなくて、理屈でやっと分かったっていうんじゃなくて、パッと見て分かんなきゃダメですよね。言葉になったらもっといいけど。それが万博の意味だと思うんですよ。じっくり考えてっていうんじゃなくて、瞬間的な感覚の持続だと思うのね。
宮原:おっしゃる通りです。我々の表現の中にも、もちろん考えに考えていろいろ理屈もあるんですけど、パッと見ても分かるんですよ、どれも。
出水:家のクローゼットがお洋服だらけだと伺っているんですが、どれくらいお持ちなんですか?
宮原:ちょっと数えられないですよね・・・コートだけでも50着以上あるので大変です(^^;)部屋プラスαぐらい全部埋まってます。捨てないんです。売らないし、捨てない。
JK:最後はミュージアムですね(笑) でもそれもいいかもしれない。20年前に好きなものってずっと着るでしょ。
宮原:そうなんですよ、それがすごい面白いところで。もう着ないだろうと思った直ぐらいに着たくなったりするんですよ。
JK:あれないかしらって探してるうちに見つかったりする。それがずいぶん前だから、新鮮になっちゃって。
宮原:またインスパイアされて。時代巡ってきて。
JK:やっぱり好きなものだから。結局時代がどうとか言っても、昔の方が面白いの買ってたとかあるじゃないですか。でも自分の感性って変わらないでしょ? 好きなものは嫌い、嫌いなものは嫌い。
宮原:すごい見る分には好きだけど、着たら大事故を起こす自分に似合わないものっていうのもわかる。
JK:着れば肌が感じるのよ、なんか違うなみたいな。理屈じゃなくて、違うのよね。「らしさ」って理屈ではなく感じるものだから、違うものを着てたら「どうしたの?」ってなりますよね。
宮原:僕もスタイリストさんがやってくださることもあるんですけど、どうにも入らない。自分のプロは自分ですよね(笑)1回だけあって、「ああ、ごめんなさい、だめだ」って。自分に対しては持ってくる側も怖いらしいです(^^)
出水:今日も緑のスニーカーと、全部グリーン系! Tシャツも何種類の緑が大事なんだろうって・・・脱いでも脱いでも緑でした(^^)
JK:ひとつの絵ですよ!
出水:今後何かチャレンジしてみたい、やってみたいということ何かありますか?
宮原:実はもうチャレンジ始めていることなんですが、飛騨を拠点にしながら新しい大学を作る。私がやってきたことに近いんですけども。今まではどうしても1分野だけ学ぶってことだったんですが、これからはデザイン、ファッションだったり、あるいは経済だったり・・・
JK:要するに境界線がない? 点じゃなくて面ですね!
宮原:AIを使っていけばいろいろな知識は習得できるので、共創学っていうものを軸にして、繋がる力っていうものを育成しながら未来に向かっていく。そんな大学です。
JK:今までは専門ですよね、偏ってますよね。
宮原:そうです。専門的な部分っていうのが逆にAIでできるようになってきてしまった。育てられないのはやっぱりセンスだったり、感性。そこをいかに磨いていくか。新しい大学、学び。それをまさに今、まだ挑戦中です。昔は学ぶ時期って青年期、20歳前後ぐらいだったんですけど、これからやっぱり人生100年時代になってくるともう年齢なく学ぶ。学ぶって楽しいことなんだっていろんな人が関われるような、そういう場を作っていきたい。
JK:学びって一生だと思うんですよね。学校の中入らないと学びじゃなくて、生活が学びでしょ? 毎日違うんですもん。新しいことって見たことないことでしょ? そこに驚きとか感動とかある。学校の中だとやっぱりどうしても教科書に基づいていくから。教科書じゃいらないかもしれない。
出水:ユニークな大学になりそうですね! 教授陣もなんか非常に尖った方とか、当然宮原さんも教鞭をとられる?
宮原:もちろん! 頑張ります! 学ぶことと遊ぶことと働くことは 一体化してくるので、境界なく。
JK:そうなの。遊びの中から仕事が生まれる、仕事の中遊びも生まれる。これがテレコでどんどんどんどん広がっていくから、最終的には人間の広がりですよね。職種ってダメですよ。
宮原:ほんとその通りだと思います。僕も「何やってるかわかんないです」ってよく言われたんですけど(^^;)ベンチャー企業の社長にも「あなたの企業って20年前説明できましたか?」って。何やってるかわかんないってこと自体が、むしろ新しいことをやっているというか。カテゴライズされると僕ももしかしたら終わりかもしれない(笑)
JK:すごい人が現れましたよ!
(TBSラジオ『コシノジュンコ MASACA』より抜粋)