<仏教の謎>どうして、お経を読むときに木魚を叩くの?【眠れなくなるほど面白い 図解 仏教】
隠元が中国から伝えたから
江戸時代初期は徳川幕府が宗教活動を厳しく制限したため、仏教界には沈滞ムードが漂いました。しかし、一度だけ大いに盛り上がった時がありました。明の高僧、隠元隆琦が来日した時です。隠元は中国福建省の古刹・萬福寺を再興した名僧で、明を代表する禅僧です。その隠元を日本に招いたのは、長崎に住んでいた華僑の人たちでした。鎖国をしていた日本で唯一貿易が許されていた長崎には、通訳や輸出入に従事する華僑が多く住んでいました。彼らは出身地ごとに菩提寺となる唐寺を建てていたのですが、その寺に隠元を招聘することになったのです。
この話は日本の禅僧の間にもすぐに広まりました。「釈迦、達磨〈*〉の再来」とまで言われて、期待はいやがうえにも盛り上がっていきました。1654(承応3)年、ついに隠元は長崎にやって来ました。名僧をひと目見ようと、宿舎となった興福寺には僧俗男女が昼夜なく集まったそうです。隠元の人望は幕府にも届き、江戸城で謁見した将軍家綱も魅了されたといいます。幕府は隠元を日本に引き留めておくべく、京都の宇治に寺院を建立して隠元を住職に迎えました。これが黄檗宗大本山の萬福寺です。
隠元は明の建築・彫刻・儀礼をそのまま日本に伝えました。これによって黄檗文化ブームが起こりました。黄檗風の書や便箋などがにわか知識人まで流行し、もてはやされました。寺院では黄檗風の仏具が広まり、禅宗以外でも用いられました。その代表が木魚です。魚の形をしているのは、瞼のない魚のように常に目ざめていて修行に励めという意味です。
出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』 監修:渋谷申博