京極夏彦×松本幸四郎インタビュー〜新作歌舞伎『狐花』の不思議な世界をのぞいてみませんか?
京極夏彦の脚本による新作歌舞伎『狐花(きつねばな) 葉不見冥府路行(はもみずにあのよのみちゆき)』が、2024年8月4日(日)より歌舞伎座で上演される。主人公の中禪寺洲齋(ちゅうぜんじじゅうさい)を演じるのは松本幸四郎。京極と幸四郎に意気込みを聞いた。取材会でのコメントとあわせてお届けする。
※「中禪寺洲齋」の「齋」の上部中央は正しくは「了」。
■夢の夢の夢がかなう京極作品の歌舞伎化
ーーお話が決まった時の思いをお聞かせください。
幸四郎:京極さんの作品を歌舞伎でやらせていただけるのは夢の夢の夢。それが実現する時がきたことに興奮しました。京極歌舞伎が誕生する。その使命感を持って取り組もうと思ってます。
京極:小説に限らず色々なものが歌舞伎化されています。夢枕獏さんの『陰陽師』が歌舞伎になった例もあり、お話をいただいた時は「光栄なこと」と思いました。しかし最初の打ち合わせで「新作書下ろしでお願いします」と。しかも脚本という形です。結構尻込みをしましたが、その段階で嫌だとは言えませんでした(笑)。キャストが決まった時は、その豪華さにびっくりしました。役者さんてすごいなと思うのは、役を引き寄せたり逆に寄っていったり。必ず役そのものになってしまわれるんですよね。逆に、僕がどう書こうとその人なりの役になる。その安心とプレッシャーの中、演じる方を意識せずいつも通り書かせていただきました。
ーー7月26日には原作となる書き下ろしの小説が発売されます。小説と脚本の執筆はいかがでしたか。
京極:小説は文字で全てを表さないと読者に申し訳が立ちません。ですから僕はこれまで映像化や舞台化しにくい小説を書こうとしてきました。小説家としてそういうものを書くべきだろうと思っていた。それでも果敢に挑戦される方々がいらっしゃって、舞台化のために小説を脚本にするのに七転八倒し苦労される姿をみてきた。今回は、それらの苦労が僕ひとりの中で起きた。なんなんだ、という状況でした(笑)。
■京極堂の曾祖父、中禪寺洲齋を主人公に
ーー『狐花』は、江戸時代の終わり頃の話となります。中禪寺洲齋は、京極先生の「百鬼夜行」シリーズに登場する京極堂こと中禅寺秋彦の曾祖父にあたります。
京極:25年ほど前のドラマ(2000年、WOWOWオリジナルドラマ『京極夏彦 怪』)で初めて登場したキャラクターで、今年6月に刊行された『了巷説百物語(おわりのこうせつひゃくものがたり)』という「巷説百物語」シリーズの完結巻にも出てきました。
幸四郎:武蔵晴明神社の宮守なんですよね。陰陽師にも通じる憑き物落としを行う人物ですが、物事に対し常に冷静で、あくまでも対等にいる存在だと感じます。
ーー歌舞伎に限らず、京極先生は様々な古典芸能の台本を読んでこられたそうですね。今回の執筆に影響は?
京極:歌舞伎には所作や台詞に独特の間合いがありますよね。どこがどうと説明するのは難しいのですが、中禅寺秋彦には台詞や動きに他のキャラクターとは明らかに違う部分があり、歌舞伎の影響を一番受けているのが中禅寺だと思います。その曾祖父にあたる中禪寺洲齋の登場は、今回ある意味では必然だったように思います。
ーー幸四郎さんは、京極先生の作品にどのような魅力を感じますか?
幸四郎:独特な世界観ですよね。やさしいというか妖しい、艶っぽい音楽が聞こえてくるような。今回の台本を読んだ時も、京極さんの書いた台詞に音楽がのっているような感じがしました。歌舞伎の世話物よりもシェイクスピア劇に近い印象です。そして絢爛豪華とは違う色彩の美しさを感じます。
歌舞伎もやはり絵的な美しさを大事にします。ただしその表現方法は歌舞伎ならではものが多いです。たとえば書割と呼ばれる舞台美術や生で鳴らされる音響は、リアルさを求めず抽象的に表現されます。役者の「台詞回し」も人を表現するためのもので、役者もひとつの楽器として高い音や低い音、小さい大きい、少し息が入った声などを使い台詞にリズムや抑揚をつけます。「怒鳴る」もリアルに大声を出すのではなく、怒鳴って聞こえる音の出し方がある。怒りの台詞さえ、怒りは伝わった上で音の表現として成立させなくてはいけないんです。歌舞伎にはたくさんの引き出しがあります。歌舞伎の型に押し込めるという意味ではなく、歌舞伎でやってきたことを堂々と使い、京極さんの『狐花』を歌舞伎の演目にしたいです。
■それは歌舞伎の得意なところ
ーー7月26日刊行の小説の表紙には、黒の背景に深紅の彼岸花が描かれています。暗い物語になるのでしょうか。陰か陽かでいえば、陰というような。
京極:はじめに「怪談物はどうか」という提案もあったんです。四世鶴屋南北の『東海道四谷怪談』を筆頭に、歌舞伎にはよく幽霊が出てきます。しかし僕が怪談というのもどうだろうかと。僕は実はミステリー作家なんですね(笑)。ただミステリーといっても……という作風なので、歌舞伎の怪談っぽさを出しつつ歌舞伎ならではのトリックを考えたり。小説はこの表紙ですし、殺したり殺されたり陰の部分は多いです。ただ陰と陽で分けるのは難しい。陰陽五行にも「陰中の陽」という考え方があり、陰の中にも必ず陽があるといわれます。陰火(いんか)とは鬼火や人玉のことですが、あれは明るいものなんです。陰と陽は常に両方存在するものだと思います。
ーー陰が多めの中で、幸四郎さんはどのように歌舞伎としての華や艶を作るのでしょうか。
幸四郎:それは歌舞伎の得意分野ではないでしょうか。陰陽と善悪は少し違うかもしれませんが、たとえば歌舞伎には「悪の華」というものがあります。歌舞伎の華やかさは、絢爛で色彩豊かなものばかりではありません。たとえば殺しの場が艶っぽく妖しく感じられる表現になったりもします。『狐花』も、観れば「暗い」という言葉は浮かばないんじゃないかな。
京極:泣く人は泣くかもしれない。
幸四郎:そうですね。
京極:中禪寺洲齋は悪ではない。むちゃくちゃ善だけれどすごく陰なんです。タイトルが『狐花』ですから花が出てきます。この花はあれですね。
幸四郎:ですね。
京極:どちらかというとね。
ーーなぜ、おふたりでニヤニヤされているのでしょうか。
京極:言いにくいんですよ、ネタバレしないように!
幸四郎:だから小説を買って、歌舞伎も観にきてください!
■能動的に見つけた楽しみは宝物になる
ーー京極先生が考える歌舞伎の魅力をお聞かせください。
京極:「伝統」は守るものとよく言われますが、守りに入ったらお終いだと僕は思っています。博物館に入れて守るようでは、もう伝統ではない。その意味で歌舞伎という伝統芸能は、時代ごとに空気や文化、見ている人たちの気持ちを汲み、時代に合わせて変わってきた芸能。演じる方の心持ちや心構えが変われば、同じ演目も昔と今では全然違うものになっているでしょう。その時代の人に届けやすく分かりやすく面白く。その点において歌舞伎は、伝統芸能と言われるものの中でも突出したものがあります。ハードルが高いイメージがあるかもしれませんけども、全然そんなことはないと思います。
ーーたしかに歌舞伎は娯楽としてハードルが高いイメージがあります。また、活字離れと言われる時代に、京極先生の小説は初めての方には手にとりやいとは言えない分厚さがあるものやタイトルも簡単には読めないものも。歌舞伎俳優として小説家として、「分かりやすさ」を意識されることはありますか。
幸四郎:分かりやすさと面白さはイコールではないですよね。だから、あえてナビはしません。歌舞伎も演劇のひとつ。役者が人物を演じるわけですが、台詞は現代の言葉とは違います。その時点で分かりにくいことは分かっています。でもそのままの台詞でドラマとして感動していただきたい。分かりにくいと分かっているけれど分かってほしい。歌舞伎はよほどのひねくれ者でないとできないでしょう(笑)。よく「何かを探しに来てください」と言うんです。難しいと思いますし、すぐ手に入るものではない。でも、それを逆手にとって、色んな情報が簡単に手に入る今の時代に「何か分からない、不思議な世界を覗いてみませんか」と。
京極:世の中には、ぼうっとしてれば入ってくる受動的な楽しみはいくらでもありますが、読書や観劇はお客さんの「わざわざ」という能動的な部分が絶対に必要。本を買って開いて読む。切符を買って劇場に足を運ぶ。でも能動的に見つけた楽しみは宝物になりますよ。一歩踏み入れたらのめりこみます。歌舞伎なんか病みつきになるでしょう。
幸四郎:(うなづく)
京極:高いけれど。
幸四郎:(笑)
京極:でも高いと思わなくなります。それだけの価値があるから。
ーー京極先生は、はじめから歌舞伎を楽しむことができましたか?
京極:若い頃、最初に歌舞伎を見た時は言葉が分かりませんでした。舞台は綺麗、役者さんも美しい。でも東南アジアの舞踊を見るのと大きな差はなかった。ところが、よく聞いていると言葉の意味が分かるんです。言葉が古かったり抑揚やイントネーションが日常会話とは違うけれどやはり日本語なんですよね。でも、ぼうっとしていたら寝ちゃいます。だから「見ろよ!」って思うんです。先ほど幸四郎さんがおっしゃったように、たとえば本当には怒鳴らない。約束事が分かるようになると、ものすごく怒鳴って聞こえてくる。音楽的に引き込んで、その共犯関係をお客さんといかに作れるか。そこが役者さんの腕の見せ所なのでしょうね。
本を書く人間からするとこの関係性はとても羨ましいんです。役者さんたちは、劇場の中でお客さんと場を共有できるんですから。演劇はそもそも一種の呪術行為でもあった。一緒に場を作っていくもので、劇場は一種の祝祭空間でもあるのでしょうね。その意味では3階席でも舞台近くの一等席でも、参加をしてその場にいることには違いはない。お祭りと同じです。
ーーたしかにお祭りは、通りすがりでも一歩足を踏み入れたら非日常的な体験になりますね。
京極:だから観劇というよりは参加。参加しなさいよ。そこまできたなら神輿かついでくださいよって世界です。それに比べて小説は、作家と読者が場を共有できない媒体。人により読む速度も読む時間も全員バラバラですし、便所で読もうがどこでよもうが良いわけで。
幸四郎:いやいやいや!(笑)
■豆腐小僧が繋いだ小説家と歌舞伎俳優
ーーおふたりは今日が初対面だと伺いました。
幸四郎:でも繋がりは10年どころではないんですよね。
京極:僕の小説『文庫版 豆腐小僧双六道中ふりだし』の解説をお願いしたんです。どのような経緯だったか、幸四郎さんは豆腐小僧がお好きだという話を耳にした。絶対引き受けていただけないだろうと思っていたのですが「原稿いただけました!」と。
幸四郎:豆腐小僧がとても好きなんです。食玩の妖怪根付シリーズを集めていたことがありそれをきっかけに知って。
京極:あの時にお会いできればよかったのですが、できなかったんですよね。
幸四郎:できませんでした。
京極:それから長い時間が過ぎて今年、私は30周年を迎えまして記念PVを50数本作っていただく企画があり、最後に一言ナレーションが入るんです。それをまた幸四郎さんにお願いしたところ、引き受けてくださった。
幸四郎:やらせていただきました。
ーーその時も。
京極・幸四郎:お会いできませんでした。
京極:そして今回のお話です。主演が幸四郎さん。いよいよお会いできると思っていたら今日までお会いできず。
幸四郎:今日初めてお話ししました(笑)。
『前巷説百物語 京極夏彦30周年記念PV祭り(22)』
ーー古典歌舞伎と向き合うことの多い歌舞伎俳優さんにとって、原作者とお話しできる状況はいかがですか。やりやすいものですか?
幸四郎:鶴屋南北でも真山青果でも、会うことはできないから「作者は多分こう思ってるだろう」、「脚本にはこう書かれているけれど、こういう解釈もありだったんじゃないか」とか言えますよね。「天から声が聞こえてきた」とか(笑)。でも生きていらっしゃるなら、直接お話を伺えるし見ていただくこともできる。そこはいいですよね。
京極:その意味で、僕は生きているけれど死んだ者扱いの“物故系”作家と言われているんです(笑)。8月のチラシを見てください。山本周五郎、河竹黙阿弥と並んでいるんですから。役者さんから「どう思いますか」と相談されても、仏前に手をあわせるようなものです。台詞は、基本的に演じる方と舞台を演出される方の思うがままに言いやすい形に変えていただいていいと思っています。演劇には動きも表情も声の抑揚もあり、文章での説明を省ける部分がいっぱいある。今回は、小説から先に書くことになり、戯曲の段階で僕なりに引き算をしましたが、それでもまだまだ余計なものがあるでしょう。僕の書いたことを忠実にやろうとし過ぎて成立しないよりは、歌舞伎として格好良くやっていただいただければ。
ーー京極歌舞伎が歌舞伎のレパートリーとなって古典になり、次の時代でも上演される時、俳優さんたちに「これだけはお願いしたい」といったこともありませんか。
京極:本当に物故してしまった後でしょう? なおのこと如何様なりとも。僕の書いたものがもし残ったとしたら、その時代の解釈にあわせて演じる方がやってくだされば。「格好良くやって」と言いましたが、「思い切り格好悪くした方が面白くない?」と思われたならそうしてくれていいんです。原作改変問題ってありますよね。
幸四郎:最近話題ですね。
京極:僕はひとつも気にならないんです。僕は小説を書いただけ。話の筋が変わってしまったらそれは別の作品ですし、アニメや映画になったらそれは別の人の作品です。仮にそれらが非難ごうごうだったとしても、僕の小説への評価や価値になんら変わりはありません。どちらかと言えば「原作の小説よりずっと面白い」と言われた方ががっかりするでしょうね。だから幸四郎さんが「こうだろう」と思われたらそれが正解です。舞台を楽しみにしています。
ーー京極歌舞伎の初演を観る側としては、もっと踏み込んでほしい気持ちもあります。
幸四郎:京極さんは時々ご出演もされますよね? 朗読ですとか『巷説百物語』の京極亭(アニメ版オリジナルキャラクター)とか。
京極:何かやれといつも言われるからやっているんです。それだけです。
幸四郎:今回はどうなんでしょうね。
京極:今回!?
幸四郎:京極亭とか『狐花』の世界にもいそうですけれど。
京極:いやいや、そういうのがないおかげで安心して楽しみにできるんです。山本周五郎も出るというなら僕も出ますがそうじゃないでしょう? 僕は物故したものと思って、幸四郎さんの好きにやってください(笑)。
幸四郎:えー!(笑)
■松本幸四郎
ヘアメイク:林 摩規子
スタイリスト:川田真梨子
衣装協力:ONtheCORNER
(〒231-0023 横浜市中区山下町108小黒ビル301 045-211-4565)
取材・文=塚田史香 撮影=山崎ユミ