【手向山公園】武蔵と小次郎決闘の地「巌流島」&砲台跡など歴史の流れを感じる公園(北九州市小倉北区)
北九州市門司区と小倉北区の境、手向山という小高い山にある「手向山公園」。
江戸時代には小倉小笠原藩の家老宮本伊織の所領地、明治から昭和にかけては旧日本軍の砲台地、そして終戦後になって公園になったという歴史があります。
展望広場からは武蔵・小次郎の決闘の場「巌流島」を望むことができるほか、園内には武蔵・小次郎の碑、探照灯台や砲座跡などの石碑、史跡などもあります。
実際に「手向山公園」に行ってみました。
駐車場には明治から昭和の<砲台地跡>
国道3号線を小倉駅から門司区方面に向かって進むと、宮本武蔵の描かれた赤と白の看板が右手に見えてきます。
手向山公園入口の交差点を右に曲がり、山道を道なりに進み続けると、開けたところに駐車場がありました。
とても広い駐車場で、複数の駐車が可能。近くにはお手洗いも設置されています。
駐車してすぐ、白塗りの壁が目に止まりました。
よく見ると、各場所ごとに四、五などと漢数字が書かれています。
他の壁にも、階段があったような箇所も見つけました。
階段の入り口近くの石銘板に「手向砲台跡」と書かれています。
説明書きによると、明治から昭和にかけて旧日本軍の砲台地として構築され、砲台や観測所などが設置されていたとのこと。公園には、砲台の跡が現在も残っているそうで、白塗りの壁はその跡のようです。
宮本武蔵や佐々木小次郎の石碑がある広場
駐車場に着くとすぐ長い階段が見え、そこが公園の入り口のようです。
階段を登り終えると、すぐ左手に大きな石碑が見えます。
調べてみたところ、この記念碑は宮本武蔵の養子であった宮本伊織が、父の業績を伝えるために1654年に建てたもの。 関門海峡にある舟島(巌流島)での佐々木小次郎との決闘をはじめ、有名な剣術家との勝負の記録が書かれているそうです。
記念碑の後ろには、少し空間があり、石でできた何かの跡のようなものが2つありました。
また、佐々木小次郎の記念碑もありました。
村上元三の小説『佐々木小次郎』の完成を記念して、1951年に建てられたそう。碑には村上元三の詠んだ「小次郎の 眉涼しけれ つばくらめ」という句が刻まれていました。
毎年、4月13日の決闘の日に近い日曜日には、両者を偲んで「武蔵小次郎まつり」も行われています。
石碑のある場所はかなり広めの広場になっていました。
巌流島や関門海峡、響灘まで見渡せる展望台
広場の奥に珍しい形をした白い建物がありました。
近づいてみると上まで登れる階段があったので、上がってみることに。
そこは、巌流島や関門海峡、響灘まで見渡せるようになっていて、展望台のようでした。
どの位置に何が見えているのか書かれている看板があり、巌流島や門司港・下関の説明も記載されています。
また、公園を中心とした周囲の山々の名称が書かれたものも設置されていました。
かなり高いのですが、柵があるため安心して景色を眺めることができます。
展望台を降りると、さらに奥に進む道がありました。
最後まで進むと、螺旋階段が設置されています。
上まで階段を登ると、こちらからも景色を楽しむことができました。
公園内には、ベンチも点在しており、山の上にある公園のため展望台に登らなくても景気を眺めることも可能です。
大瀬戸第1号導灯を発見
入り口とは違う階段を見つけ、そこから降りてみることにしました。
下には、ベンチと台があり休憩できるようでしたが、木々が生い茂っているせいか昼間なのに少し薄暗かったです。
駐車場に戻ると、遠くに白い塔のようなものが見えたので近づいてみました。
「大瀬戸第1号導灯(後灯)」と書かれており、通航が困難な水道や狭い湾口などの航路を示すため、灯光を発するもののようです。
駐車場を出ようとしたところで、看板を発見。
この付近は、1866年小倉・熊本両藩と長州藩の激戦地だったようで、その歴史が書かれていました。
探照灯台座跡も 砲台の構築とともに設置
駐車場の真ん中あたりに来た時と違う道があり、降りてしばらく進むと「探照灯台座跡」を見つけました。
砲台の構築とともに設置されたとのこと。
台座の跡がくっきりと残されています。
その横にも何かの跡がありました。
さらに降りていくとバス専用の駐車場があり、そこには「明治時代の火力発電所跡」がありました。
建物内の壁はほとんどなく一部崩れているのですが、他の場所と違い、建物の形がわかるように残っていたので、とても印象に残っています。
「手向山公園」は海の景色を眺めながら、様々な時代の歴史に触れられる公園でした。
■住所/北九州市小倉北区赤坂4丁目
■駐車場/あり
※2024年12月12日現在の情報です
(北九州ノコト編集部)